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横浜・渡辺監督が勇退 人生説いた名将 中退・酒…挫折しかけた過去
今大会で勇退する横浜高の渡辺元智監督(70)。挫折しかけた過去の経験から、人生を説く名将として知られました。
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今大会で勇退する横浜高の渡辺元智監督(70)。挫折しかけた過去の経験から、人生を説く名将として知られました。
高校野球の強豪、横浜高が28日、神奈川大会で東海大相模に敗れました。春夏合わせて甲子園5度優勝の強豪校に育てた渡辺元智監督(70)は、今大会での引退を表明しています。大学で野球の夢を絶たれ中退、人生に挫折しかけた過去もあったという渡辺監督。「ベンチ入りできない選手にも、野球を通して人生に何かを感じ取ってもらいたい」。そんな思いで球児に向き合ってきました。
渡辺監督は横浜高校のOBですが、選手としての甲子園出場はありません。神奈川大学野球部1年の時、右肩を壊し野球から逃げるように大学を中退。ブルドーザーの修理工場で働きますが、給料は酒代に消えるという日々でした。酔っぱらったあげく、路上でけんかをしたこともありました。
そんな時、人生の転機が訪れます。母校の横浜高から「野球部のコーチに」と声がかかります。練習も勉強も一生懸命やっていたことを、監督が覚えていてくれたのです。
挫折しかけた経験は、球児への指導にも現われます。
5度目の甲子園優勝を果たした2006年の選抜大会。中心メンバーの佐藤賢治選手が、練習でふてくされて帰宅すると、一時、謹慎させます。自分の人生に重ね合わせ「投げやりな態度をとることのばかばかしさを伝えたかったから」。決勝で大活躍した佐藤選手は「監督は我慢を教えてくれた」と振り返りました。
若いころは、「おれについて来い」と闘志をむき出していたという渡辺監督。次第にチームの雰囲気作りを大事にするようになります。どんなに有力な選手がいても、チームの和にはとりわけ気を使ってきました。1998年の選抜大会では「奪三振記録を塗り替える」と張り切る松坂大輔投手に「三振ばかり狙うな」と諭したこともありました。
渡辺監督は、70年代、80年代、90年代、そして2000年代と、時代を超えて甲子園で優勝をしています。
その秘密は、変わらぬ信念と、変わり続ける勇気と柔軟性です。「黙ってついてこい」の昭和から、「対話」の平成へ。携帯電話のメールなども使いこなし、選手とのコミュニケーションをはかりました。より細かい指導をするため、30代で大学(夜間)に通って教員免許もとっています。
礼儀にはうるさいが、必要以上に細かいルールはつくらず、選手の自主性や創造性を重んじた渡辺監督。「野球を通じて人生の荒波のくぐり方を学んで欲しい」と説いていました。
引退の知らせを聞いたOBからは、感謝の言葉が寄せられました。松坂大輔投手(ソフトバンク)は「監督から聞いた時はショックで言葉が出てこなかった」と語りました。涌井秀章選手(千葉ロッテマリーンズ)は「高校時代は節目、節目でアドバイスのメールをくれた。自分をプロに導いてくれた人で、一生の恩師。あの人がいなければプロには入っていなかった」と、述べていました。
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