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横浜・渡辺監督が勇退 人生説いた名将 中退・酒…挫折しかけた過去

今大会で勇退する横浜高の渡辺元智監督(70)。挫折しかけた過去の経験から、人生を説く名将として知られました。

横浜の渡辺元智監督=2006年4月4日
横浜の渡辺元智監督=2006年4月4日 出典: 朝日新聞

目次

 高校野球の強豪、横浜高が28日、神奈川大会で東海大相模に敗れました。春夏合わせて甲子園5度優勝の強豪校に育てた渡辺元智監督(70)は、今大会での引退を表明しています。大学で野球の夢を絶たれ中退、人生に挫折しかけた過去もあったという渡辺監督。「ベンチ入りできない選手にも、野球を通して人生に何かを感じ取ってもらいたい」。そんな思いで球児に向き合ってきました。

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野球から逃げるように大学中退

 渡辺監督は横浜高校のOBですが、選手としての甲子園出場はありません。神奈川大学野球部1年の時、右肩を壊し野球から逃げるように大学を中退。ブルドーザーの修理工場で働きますが、給料は酒代に消えるという日々でした。酔っぱらったあげく、路上でけんかをしたこともありました。

 そんな時、人生の転機が訪れます。母校の横浜高から「野球部のコーチに」と声がかかります。練習も勉強も一生懸命やっていたことを、監督が覚えていてくれたのです。

笑顔で報道陣の質問に答える横浜高の松坂大輔投手。右は渡辺元智監督=1998年11月5日
笑顔で報道陣の質問に答える横浜高の松坂大輔投手。右は渡辺元智監督=1998年11月5日 出典: 朝日新聞
神奈川大学野球部1年の時、右肩を壊した。野球から逃げるように大学を中退。ブルドーザーの修理工場で働いたが、給料は酒代に消えた。酔っぱらったあげく、路上でけんかもした。
2006年4月5日:(ひと)渡辺元智さん 5度目の甲子園優勝を果たした横浜高校監督
そんな時、母校の横浜高から「野球部のコーチに」と声がかかった。練習も勉強も一生懸命やっていたことを、監督が覚えていてくれた。人生の転機だった。
2006年4月5日:(ひと)渡辺元智さん 5度目の甲子園優勝を果たした横浜高校監督
横浜高OBだが、選手としての甲子園出場はない。大学では肩を壊して一年で中退する挫折も味わった。六八年、選手とそう変わらない年齢で監督になった。
1998年4月9日:渡辺元智さん 第70回選抜高校野球で優勝した横浜高の監督(ひと

投げやりな態度は許さない

 挫折しかけた経験は、球児への指導にも現われます。

 5度目の甲子園優勝を果たした2006年の選抜大会。中心メンバーの佐藤賢治選手が、練習でふてくされて帰宅すると、一時、謹慎させます。自分の人生に重ね合わせ「投げやりな態度をとることのばかばかしさを伝えたかったから」。決勝で大活躍した佐藤選手は「監督は我慢を教えてくれた」と振り返りました。

 若いころは、「おれについて来い」と闘志をむき出していたという渡辺監督。次第にチームの雰囲気作りを大事にするようになります。どんなに有力な選手がいても、チームの和にはとりわけ気を使ってきました。1998年の選抜大会では「奪三振記録を塗り替える」と張り切る松坂大輔投手に「三振ばかり狙うな」と諭したこともありました。

応援団にあいさつしたあと、ベンチへ引き揚げる渡辺元智監督と横浜の選手たち=2006年8月6日
応援団にあいさつしたあと、ベンチへ引き揚げる渡辺元智監督と横浜の選手たち=2006年8月6日 出典: 朝日新聞
チームの和にはとりわけ気を使ってきた。「奪三振記録を塗り替える」と張り切る松坂君には、「三振ばかり狙うな」と諭した。不振の打者には宿舎で新聞紙を丸めたボールを自ら放って打たせ、欠点を直した。今回は優勝候補の掛け声が高く、「勝負にこだわり過ぎるな。野球を楽しめば結果はついて来る」と引き締めた。若いころは、「おれについて来い」と闘志をむき出しにした。いまはまず、チームの雰囲気作り。ベテランの味が出た、の評もある。
1998年4月9日:渡辺元智さん 第70回選抜高校野球で優勝した横浜高の監督(ひと)
六八年、選手とそう変わらない年齢で監督になった。そんな経験から、「ベンチ入りできない選手にも、野球を通して人生に何かを感じ取ってもらいたい」と思う。
1998年4月9日:渡辺元智さん 第70回選抜高校野球で優勝した横浜高の監督(ひと
決勝で大活躍した佐藤賢治選手が昨秋、練習でふてくされて帰宅すると、一時、謹慎させた。挫折しかけた自分の人生に重ね合わせ「投げやりな態度をとることのばかばかしさを伝えたかったからだ」という。佐藤選手は決勝後、「監督は我慢を教えてくれた」と振り返った。
2006年4月5日:(ひと)渡辺元智さん 5度目の甲子園優勝を果たした横浜高校監督

昭和から平成、時代を超え頂点に

 渡辺監督は、70年代、80年代、90年代、そして2000年代と、時代を超えて甲子園で優勝をしています。

 その秘密は、変わらぬ信念と、変わり続ける勇気と柔軟性です。「黙ってついてこい」の昭和から、「対話」の平成へ。携帯電話のメールなども使いこなし、選手とのコミュニケーションをはかりました。より細かい指導をするため、30代で大学(夜間)に通って教員免許もとっています。

 礼儀にはうるさいが、必要以上に細かいルールはつくらず、選手の自主性や創造性を重んじた渡辺監督。「野球を通じて人生の荒波のくぐり方を学んで欲しい」と説いていました。

 引退の知らせを聞いたOBからは、感謝の言葉が寄せられました。松坂大輔投手(ソフトバンク)は「監督から聞いた時はショックで言葉が出てこなかった」と語りました。涌井秀章選手(千葉ロッテマリーンズ)は「高校時代は節目、節目でアドバイスのメールをくれた。自分をプロに導いてくれた人で、一生の恩師。あの人がいなければプロには入っていなかった」と、述べていました。

選手を座らせて話す横浜の渡辺元智監督=2015年7月27日
選手を座らせて話す横浜の渡辺元智監督=2015年7月27日 出典: 朝日新聞
変わらぬ信念と、変わり続ける勇気と柔軟性を併せ持つ指導者だ。「野球を通じて人生の荒波のくぐり方を学んで欲しい」と渡辺監督はよく語った。礼儀にはうるさいが、必要以上に細かいルールはつくらず、選手の自主性や創造性を重んじる。「チームに何が必要で、自分は何ができるか」を考えるよう指導し、「目標がその日その日を支配する」「人生の勝利者になれ」と説いた。その指導手法は、時代とともに変化した。「黙ってついてこい」の昭和から、「対話」の平成へ。携帯電話のメールなども使いこなし、選手とのコミュニケーションをはかった。より細かい指導をするため、30代で大学(夜間)に通って教員免許をとった。
2015年5月15日:時代と歩んだ名将 横浜・渡辺監督70歳、今夏限り 高校野球:
最新の情報を常に採り入れ、その時代、チーム、選手に一番いいと自分で判断した指導をしていく。だからこそ、70年代、80年代、90年代、そして2000年代と、時代を超えて甲子園で頂点を極めることができたのだろう。
2015年5月15日:時代と歩んだ名将 横浜・渡辺監督70歳、今夏限り 高校野球:
涌井(ロ)の話 小倉清一郎コーチも昨年で辞めた。ずっと2人でやってきたわけだから……。寂しいと言うより、体調を崩すことがあったから、無理だけはして欲しくない。高校時代は節目、節目でアドバイスのメールをくれた。自分をプロに導いてくれた人で、一生の恩師。あの人がいなければプロには入っていなかった。
2015年5月15日:人生説いた野球道 横浜高・渡辺監督、勇退へ:

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