感動
ごんぎつねの街 80年経て現われた「リアルごん」喜びのあまり…
ウナギにまつわる物語の中で屈指の名作が新美南吉の「ごんぎつね」です。誕生から80年余を経て、南吉のふるさとに「リアルごん」が出現したのです。
感動
ウナギにまつわる物語の中で屈指の名作が新美南吉の「ごんぎつね」です。誕生から80年余を経て、南吉のふるさとに「リアルごん」が出現したのです。
今年の土用の丑は、7月24日と8月5日。その滋味は古くから愛され、万葉集などウナギにまつわる文学もあります。中でも、あの悲しい物語を挙げる人は多いのではないでしょうか。新美南吉(1913~1943)の代表作「ごんぎつね」。実は「ごん」、誕生から80年余を経て、南吉のふるさと・愛知県半田市に帰ってきたというのです。
まずはあらすじから。
時は江戸時代。独りぼっちのいたずらギツネ、ごんはある日、川で漁をしていた兵十のすきをつき、びくのウナギを取ってきてしまいます。
のちに、ごんは兵十の母親が亡くなったと知ります。母親は死の床で、ウナギを食べたがっていたに違いない。そう考えたごんは、罪滅ぼしとして、兵十の家へ毎日こっそり栗やマツタケを持って行くようになりました。
ところが兵十はごんの気持ちなど知る由もありません。家に入ったごんを見つけるや、火縄銃で撃ちます。倒れたごんのかたわらに、固めて置いてあった栗を見て、兵十は贈り物の主がごんだったことを知るのです。
南吉は14歳ごろから童話や童謡を盛んに作り始めました。「ごんぎつね」は南吉の生家と養家が残る一帯、現在の半田市が舞台です。雑誌「赤い鳥」に掲載され、世に出たのは、弱冠18歳のことです。
同市の新美南吉記念館によると、南吉は地元の小学校の代用教員時代に「ごんぎつね」を語り聞かせたそうです。当時は周囲にキツネが生息し、キツネにまつわる民話も残っていた土地のこと。子どもたちは実感を持って物語の世界に引き込まれたことでしょう。
しかし、キツネは1960~70年代になると姿を消します。折しも高度成長期。原因は分からないそうですが、環境の変化が影響したのかもしれません。90年代後半になってようやく、半田市の近くの自治体で再びキツネが姿を表します。以後、目撃情報が増えていきました。
そして昨年2月、南吉の生家から250メートル離れた矢勝(やかち)川で、死んだキツネが見つかりました。この川は、「ごん」がウナギを取ってしまったところです。
「ごんが、帰ってきた!」
喜んだ地元の人々がはく製にし、南吉の誕生日式典が行われた昨年7月30日、記念館に寄贈されました。「帰ってきたごん」として、ウナギのびくに前脚をかけた姿で来館者を迎えています。
館には創作過程などを記した南吉の日記などを展示しています。さらに、「ごん」とウナギをモチーフにした像などもあります。
南吉は、結核のためわずか29歳7カ月で生涯を閉じました。広く知られるようになったのは戦後のことです。
記念館によると、「ごんぎつね」は1956年、初めて小学4年生の教科書に載りました。80年になると、掲載は5社にのぼりました。教科書を通じてこの物語を読んだ人は推計で6千万人にのぼるそうです。
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