お金と仕事
堀場雅夫さん死去、社是は「おもしろおかしく」 学生起業家の第1号
堀場製作所の創業者の堀場雅夫さんが死去しました。「学生ベンチャー第一号」と言われるカリスマ。社是は「おもしろおかしく」でした。
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堀場製作所の創業者の堀場雅夫さんが死去しました。「学生ベンチャー第一号」と言われるカリスマ。社是は「おもしろおかしく」でした。
堀場製作所(本社・京都市)の創業者で、最高顧問の堀場雅夫さんが14日、肝細胞がんで死去しました。90歳でした。個人の研究所から上場企業を立ち上げた「学生ベンチャー第一号」と言われるカリスマ経営者。周囲の反対を押し切って決めた社是は「おもしろおかしく」。そこには、理系出身だからこそ行き着いた人生観がありました。
研究開発型ベンチャー企業の草分けで、分析機器のトップメーカーである堀場製作所。社是「おもしろおかしく」は、1978年、創業者の堀場さんの社長引退を機に決まりました。最初、役員会では「それ、ちょっと、おかしい思われますよ」と言われ了承が得られませんでした。
それでも堀場さんが「おもしろおかしく」にこだわったのには、創業時までさかのぼる深い人間観がありました。
1953年、個人の研究所から立ち上げた会社だったため、人材不足に悩んでいた堀場さん。母校の京大で「自信のないやつは大企業に行け。うちのような中小企業こそ、能力のある君の実力を発揮できる場だ」とアピールすると、学生が続々と入社しました。
しかし、何年かすると大企業に行った同級生は留学などの機会が与えられ博士号を取るのに、中小企業だった堀場製作所では、そんな機会がないことに不満を持つようになります。
そこで堀場さんは「技術屋であるぼくもその気持ちはわかる。日々の仕事についてドクター論文を書こうじゃないか」と呼びかけます。
社長である堀場さんも論文を書きます。選んだテーマは血液分析で医学の博士号を取ります。そこで、「おもしろおかしく」につながる人生観を得ます。
「それまでは『唯物』論者で、世の中の森羅万象は自然科学で説明できると思い込んでいたんですが、人間の体はどんな精密機械にも勝る。生物である人間は神様が造ったもの。その人間をなによりも大切にしようと思い、それがぼくの人生観につながったのかな」
「長期政権になると、取り巻きができる。まして、創業者であるぼくに『そろそろ辞めたらどうですか』と進言する勇気のある人はいません」
ワンマン社長の弊害について心配していた堀場さんは「社長50歳定年説」を唱え、石油ショックの影響で3年ほど延長した53歳の時、潔く引退をします。
「おもしろおかしく」という社是について堀場さんは「せんべつ代わりに『おもしろおかしく』がやっと社是に決まったんですよ」と振り返っています。
堀場さんが1995年に出版した「イヤならやめろ!」はベストセラーになりました。タイトルからは、経営者が部下をしかりつけるイメージがありますが、実際は逆で、会社が嫌になったら、社員はどんどん辞めるようすすめ共感を呼びました。
また「81点のヒット商品」という独自のコンセプトも提案。変化の早い業界では、完成度よりもスピードが求められるため100点満点を求めない方がいいという発想でした。
1924年生まれの堀場さんは、戦時中、電波兵器の陸軍の研究所で電探(レーダー)の研究をしていました。原爆投下から1年後には広島にも入っています。通常の爆撃や焼夷(しょうい)弾と違う、破壊のされ方のひどさに驚くとともに「それでも人が生活を始めており、『人間ってすごいな』と感じた」そうです。
核兵器について、最近も発言を続けていた堀場さん。2015年6月のインタビューでは次のように語っていました。
「ダイナマイトを発明したノーベル。強力な武器があれば誰も使うのが怖くてけんかをしなくなると考えたと思うが、結局は「戦争の道具」になってしまった。核兵器も同じ。ロシアのプーチン大統領はウクライナ情勢をめぐり、使う準備をしたという発言をしましたね。手に入れたら、使いたくなるのが人間の本能。嫌な感じがしています」