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町村信孝氏死去 東大時代、全共闘と対立「町村殺せ」の中、スト解除
前衆院議長の町村信孝氏が死去しました。70歳でした。東大の学生時代は、ノンポリ学生を集めて全共闘と対立。体を張ってスト解除を断行した経歴も。

前衆院議長の町村信孝氏が死去しました。70歳でした。東京大学の学生時代は、ノンポリ学生を集めて全共闘と対立。体を張ってスト解除を断行した経歴も。通産官僚としてニューヨークに駐在した時、日本の政治家の交渉能力のなさを目の当たりにし、政治の道に転身しました。
当選12回、要職歴任
町村氏は、衆院北海道5区選出。東大を卒業後、通産官僚に。その後、政界に転じ、当選12回。官房長官、外相、文部科学相などをつとめました。北海道知事や参院議員を務めた父の町村金五氏は、旧内務官僚出身で終戦時は警視総監でした。

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町村信孝氏(まちむら・のぶたか)衆院北海道5区。東大卒。官房長官、外相、文部科学相、文相、通産省職員。当選12回。70歳。
東大生時代、全共闘のスト解除
学生運動が激しかった時期に東大で学生時代を送りました。その頃の状況について、2009年7月6日の朝日新聞の記事で「全共闘は先鋭化し、大学解体までいう。僕は大学をよくしようと思ったが、なくしていいとは思わなかった」と振り返っています。
全共闘に批判的だった町村氏は、ノンポリ学生を集めて解決策を探り、ストを解除しました。全共闘系の学生からは、「町村を殺せ」とまで言われました。
ニューヨークで政治家転身を決意
政界への転身を決意したのは、通産官僚でニューヨークに駐在した時です。米国の政治家に比べて日本の政治家は人に訴える力や交渉能力が乏しいことに疑問を感じ「自分がやってやろう」と思ったそうです。そんな町村氏に父親の金五氏は「国家の基本となる教育と外交・防衛にはしっかりと取り組め」と助言したそうです。

「国政は市民運動の延長ではない」
政治家としては、衆院議長をはじめ、官房長官など様々な要職を歴任しました。1999年5月27日の記事では、市民派として注目された菅直人氏に対し、「政治家は国家をどう運営するかを考えるのが仕事だ。国政は市民運動の延長ではない」と主張していました。
2015年4月21日、「議長の責務の重さを考え、いささかなりとも悪影響が出る恐れは避けなければならない」と衆院議長を辞任。わずか4カ月弱での退任に「何もできなかった」と残念がっていました。

町村氏によると、14日の衆院本会議後、歩くと右ひざに痛みを覚え、足が重く感じたため病院で検査を受けたところ、軽い脳梗塞(こうそく)と診断されたという。町村氏は自民党総裁選を戦っていた2012年にも、脳梗塞を患っていた。