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羽柴秀吉さん、最後まで選挙に意欲 「真摯に政治家目指していた」

65歳で死去した三上誠三さんは「羽柴誠三秀吉」などの名で、数々の選挙に立候補しました。「猪突猛進」「真摯に政治に向き合っていた」。ゆかりの人が言葉を寄せました。

2003年の大阪市長選で演説する羽柴秀吉さん
2003年の大阪市長選で演説する羽柴秀吉さん

目次

 4月11日に65歳で死去した三上誠三さんは、「羽柴誠三秀吉」などの名で、国政選挙や東京都知事選などに立候補し、いずれも落選したことで知られました。最後まで選挙への意欲をなくさなかったという三上さん。「猪突猛進の人」「真摯に政治家を目指していた」。ゆかりの人の言葉からは、政治と真剣に向き合っていた三上さんの姿が浮かび上がります。

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2007年の夕張市長選では次点に

 三上誠三さんは、「羽柴誠三秀吉」などの名で、衆院選や参院選、東京、大阪知事選などに立候補し、いずれも落選しました。2002年の長野知事選では、当選した田中康夫氏82万2897票に対し、9061票でした。2007年の夕張市長選では次点になったこともありました。

2002年の長野知事選で演説する羽柴秀吉氏。この時は田中康夫氏82万2897票に対し、9061票だった
2002年の長野知事選で演説する羽柴秀吉氏。この時は田中康夫氏82万2897票に対し、9061票だった
 「私財を投げ出しての再生」を訴えた羽柴秀吉氏がわずか342票差の次点だったことについて、藤倉氏は「(選挙結果は)財政再建対策を即効的に求めるか、一歩一歩着実にやるかの差だったが、前者を求める人がこれだけ多かったということは、ある意味で考えなければならない。お年寄りがこれだけ多い中で、(再建計画終了まで)18年待て、などというのはむごい話だ」とし、再建計画について、道や国とも協議しながら「見直すべきところは見直す」方針を強調した。
2007年4月23日:「再生計画、3カ月以内に」 夕張市長選から一夜明け、藤倉・新市長:朝日新聞紙面から
田中康夫氏は1日夜、長野県朝日村で記者会見し、「県民のための奉仕者として、仕事をすることを約束したい。脱ダム宣言の是非にとどまらず、税金の使い方、事業の進め方、その前に決め方を根底から組み立て直すことで、雇用の創出や経済活性化を繰り返し申し上げてきた。夜明け前に戻らない改革を結実させていただくことに、同意いただけたと思っている。現職の県議の方々にも私の改革を理解している方々がいる。共通の公約、民意とねじれていない公約を掲げる方々を(選挙で)支援したい」と語った。
 
 (確定得票)
 当 田中康夫  (2)無前 822,897
   長谷川敬子    無新 406,559
   市川周      無新  24,261
   中川暢三     無新  15,255
   羽柴秀吉     無新   9,061
   福井富男     無新   2,058
2002年9月2日:田中康夫氏が圧勝、再選 改革信任82万票余 長野知事選 :朝日新聞紙面から

「猪突猛進の人だった」

 三上さんが社長を務めた産廃処理会社(青森県五所川原市)の取締役で、次男の大和さんは、何度も選挙に出た父親について「猪突猛進の人だった。小さい頃、貧しかったことが、こうしたハングリー精神につながった面があるかもしれません」と振り返りました。

2011年の夕張市長選で街頭演説をする羽柴秀吉氏
2011年の夕張市長選で街頭演説をする羽柴秀吉氏

「また選挙に出たい」

 泡沫と呼ばれる選挙の候補者たちを追ったドキュメンタリー映画「立候補」の藤岡利充監督は2012年6月、三上さんのインタビューを撮影しました。映画は、「おふざけ」と見られていた人たちの意外な一面に迫ることで、政治参加の大事な手段である立候補の本質を描き、高く評価されました。

映画「立候補」の藤岡利充監督=2013年6月
映画「立候補」の藤岡利充監督=2013年6月

 2013年末、三上さんは電話口で藤岡監督に「体調が良くなったら、また選挙に出たい」と話していたそうです。藤岡監督は「求められる場所で、人の役に立ちたいと話していたのが印象的。目立ちたがり屋のイメージがあったが、真摯に政治家を目指していた」と話しています。

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