五輪代表になれても抱えた「不満」 朝日健太郎さんに訪れた「爆発」

Hideko Ono

バレー日本代表時代の朝日健太郎さん。その後、ビーチバレーに転向する=2001年11月20日

 朝日健太郎さん(42)は、1990年代後半から2002年にかけて、「ライジング・サン」のニックネームで男子バレーボール界をリードしてきました。熊本県内の進学校を志望していた中学校時代、バレーの道を選ぶまで「ギリギリまで悩んだ」と振り返ります。その後、順調にキャリアを重ねますが「大きな失敗をしたことがない」という「悩み」もあったそうです。そんな中、起きた「爆発」とビーチバレーへの転向。転職が当たり前になった時代、朝日さんにとっての「セカンドキャリア」を聞きました。

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