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異色のすし店〝博士〟が愛した「オオカミウオ」扱った魚は800種
扱った魚は800種 「ライバルはさかなクン」
ゴソ、ギンマトウ、アカカサゴ、アカヤガラ……。千葉県柏市に、ちょっと変わったすし店があります。
大将はこの道60年の「教授」と呼ばれる魚博士。名物になっているすしネタは、あまり聞いたことがない魚ばかりです。のぞいてみました。
海洋研究の拠点、千葉県柏市にある東京大学大気海洋研究所。その端っこに、ジャズが流れる小さなすし店「お魚倶楽部はま」がある。
「久しぶりだね」。大将の濱弘泰さん(76)の威勢のいい声が響いた。
筆者は東日本大震災の被災地、岩手県大槌町で、濱さんと初めて会った。
町に研究所の国際沿岸海洋研究センターがあることが縁で、濱さんは、地元で水揚げされる鮭を使った餃子を開発した。地元の水産加工業者や旅館などにレシピを教え、今では特産品として、ふるさと納税の返礼品にもなっている。
「お魚倶楽部はま」のカウンターの奥には、「地魚5貫にぎり ゴソ、ユメカサゴ、ギンマトウ、ムツ、アカカサゴ」と書いた紙が貼ってある。知らない魚ばかりだ。
頼んで食べてみる。ほのかな甘味があったり、柔らかな食感だったりと、どれもうまい。
カウンターの脇の棚には、過去に仕入れた珍しい魚の写真を収めたファイルが何冊も並ぶ。
「オジサン」「ゲイシャ」「アブラボウズ」……妙な名前ばかりだ。「さっき、京都の目利きの仲買人から来たばかり」と、見せてくれた発砲スチロールの箱には、見たこともないウナギのような細長い魚。「アカヤガラといって、食べられるところは半分もないが、高級料理店では汁物で出る」
一緒に送られてきたブリのような魚は「鹿児島産のツムブリ。ここのは脂の乗りが他と全然違ってうまいよ」と、解説してくれた。
午前5時前から全国の仲買人や漁師から「こんな魚があがったよ」と電話が入るので寝不足だという。メニューはその魚種で決める。「1度、コバンザメを食べて気に入った客が、毎日のように『いつ入るのか』とかかってくるが俺にもわかんねえ」
濱さんは異色のすし職人だ。
父は美食家で知られた北大路魯山人ゆかりの料亭「星ケ岡茶寮」で戦後、煮方(調味)を仕切っていた和食の名人だった。
濱さんは東京のど真ん中で育ち、「高校時代は暴れていた」。中退して同じ料理の道に入ったが、「お箸を使うのが下手だから」という理由で、すし職人の修業を始める。
「伊勢丹の中にあった店から、国立競技場でやっていた東京五輪(1964年)の聖火が見えたのを良く覚えているよ」
池波正太郎が愛した銀座の「新富寿し」などでも働いたが、「みんなに食べてもらう店がしたい」と独立。38歳で「スシバー」の走りになる店を聖蹟桜ケ丘で始めた。
店の壁にはジェームス・ディーンやマリリン・モンローの絵、店員はGI(米陸軍兵士)の格好をして、スコッチを飲みながらすしを食べる。「自分が仕事で見に行けないから」と、店でリズム&ブルースのライブをやった。奇抜なアイデアがうけて、いつも店は「すし詰め」状態。商売の手を広げて、回転すしなど3つの店を経営していた時期もある。
そんな固定観念のない濱さんだから「毎朝魚市場にいくと、高級な魚が、小さかったり少し傷がついていたりするだけで二束三文になっていたのが気になって」。すしネタにするには問題がない。30年ほど前から使うようになった。
新しいすしネタを求め、全国の魚市場も回った。数が少なくて地元しか出回らなかったり、捨てられてしまったりしている魚を見つけると「もったいない」と、食材にできないか研究を始めた。
SNSが普及するようになってからは、さらに仕入れ先が増えた。すしネタや煮魚など、店で扱った魚は「700~800種類はある」。
その中でも、国内でほとんど流通しない「オオカミウオ」は「煮物にすると、ぷりぷりしてうまい」。グロテスクな顔を「かぶと煮にして出している」というくらい一押しだ。
いつしか、すし職人仲間から「教授」と呼ばれるようになった。
店が東京都中野区にあった頃、近くに旧東大海洋研究所があり、研究者たちが面白がって食べに来た。2010年、気候システム研究センターと統合して現在の柏市に移転することになり、建物に飲食店テナントができると知って、手をあげた。
「だって、勉強しないで東大に入れるんだぞ」
周囲に民家もない郊外のキャンパスだが、「珍しい魚を食べさせる店がある」と口コミで評判になり、女性客を中心に研究者以外の客も増えている。
最近、魚のとれ方が変わってきているのを感じる。「きのうは、沖縄の県魚のグルクンが千葉でとれたんだよ」
最近、未利用魚がじわじわと注目され始めている。「鹿児島産のツムブリなんか、ずいぶん値段があがっちまってね」
一方で、魚の量も魚種も減ってきているのを感じる。「温暖化とか、海流の変化とかいうけど、おれは、人間がとり過ぎたんじゃないかと思う」
毎年秋、研究所が一般公開される日は、濱さんも店で子どもたち集めて珍しい魚をさばいて見せたり、店の前でコンサートを開いたりと、イベントを企画してきた。「コロナ禍になってからは、できていないのが残念。来年はやりたいね」
「東大の学者って言っても、研究している魚のこと以外は知らない人が多いねえ」とこぼす濱さんにとってのライバルは、さかなクン。
「彼はすごいね。彼と親しい魚の関係者は、ほとんどおれも良く知っている人たちなんだけど、不思議とまだ会ったことがないんだ」
この店で2人の魚談義が始まる日も、そう遠くないうちに来るかもしれない。その時は、また取材したい。
※12月1日、情報を更新しました
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