話題
「ためになる」絵本だけで大丈夫? 「だるまさんが」編集者と考える
「意味のない」本の真価
「○○できる子になる」「○○を学べる」――。
5歳の子どもを育てる記者。最近、絵本を選ぼうと書店をのぞくと、こんなポップや帯が気になってしまいます。しつけを助ける本や、知識を与えるような「ためになる」絵本は多く、絵本を通じて子どもに何かを教えることができれば、良いなと思います。一方で、「だるまさん」シリーズを手がけた編集者の沖本敦子さんは、そうした絵本ばかりになる危うさを語ります。「絵本のもやもや」を一緒に考えました。
沖本敦子さん
子どもの本の編集者。ブロンズ新社を経てフリーに。「だるまさん」シリーズ(かがくいひろし)、「りんごかもしれない」(ヨシタケシンスケ)、「しごとば」シリーズなど多くの編集を手がける。昨年発行の「たまごのはなし」(しおたにまみこ)はブラチスラバ世界絵本原画展金牌、日本絵本賞大賞を受賞した。
――最近、しつけを助ける絵本や、子どもに知識や情報を与える目的の絵本がめだつように感じています。
確かに、知識・しつけ系の絵本は目にとまりますね。
本を作る側の目線で言うと、こうした本が続々と出てくるのは、玉石混交の情報社会で戸惑う親子に、「きちんとした本を届けなくては」、という著者や編集者の使命感や焦りの表れかもしれないと感じます。
――知識・しつけ系の本が求められる時代背景があるのでしょうか。
私自身も一児の母なのでよくわかりますが、今は情報発信源が多く、信頼のおける情報を見極め、適切な量を取り込むことが困難な時代です。そんな状況下で、子どもに何か与えなくてはと焦ったりする親御さんは多いのではないでしょうか。最短な道や効率など、目に見えてわかりやすいものを求める傾向もあると思います。
そうしたニーズを受けた、つくり手の良心から生まれる本だと思うので、否定的には考えてもらいたくはありません。
ただ、一方で、知育目的ではなく、ただ楽しい、不思議だと感じる絵本も、両輪として必ず子どもたちのそばにあってほしいと思います。
――絵本にも、すぐに何かに「役立つ」ことを求めてしまう自分がいました。
そもそも本は、何かの役に立つためにつくられるものではないというのが前提としてあると思います。「実用書」というカテゴリーがありますが、それ以外は「実用的」ではないとも考えられますよね。
見る人によっては、一見無意味に見えるかもしれない、物語や音楽や映像が、少しずつその人らしい内面の世界を育んでいく。ハウツーを教える本ばかりだと、誰かが決めた正しさのお仕着せだけで、自分らしさを育むことが難しいのではないかなと思います。
――内面の世界につながるのは、具体的にはどんな絵本でしょうか。
なぜだかわからないけれど何度も何度も見てしまう、理由はわからないけど妙に惹きつけられる……など、すぐに明解な感想が立ち上がってこない本や、簡単に理解できない不思議な本はとても大切だと思っています。私にとっては、長新太や、ミヒャエル・エンデの本がそうでした。寺村輝夫の「ぼくは王さま」シリーズも、へんてこで大好きでした。
自分が「これが好きだ」と感じ、自分のセンスで選んだものが集まってくると、それが「その子らしさ」をつくる材料になる。その子自身の核を育むような読書体験を重ねることで、「自分」というおぼろげなものが、だんだん形づくられていくのだと思います。
何かにつまずいた時、自分を最終的に建て直せるのは、誰かが与えるハウツーではなく自分自身です。内面に「自分」をしっかりと持っていること、自らの感性で選びとった好きなものが周囲にあることは、いざという時にパワーを発揮してくれると思います。
――今度は、そうした子どもが自分で考えられるような本を、親は進んで与えるべきなのかと考えてしまいそうです…。
子どもが、自分の好みや本能のままに、節操なく取り込んでいくことが大事だと思います。「その子らしさ」は、親が与えるのではなく、いろいろなものの中からその子が自分の感性で選びとって磨いていくもの。親はつい「こんな本を読んだらいいのでは」とか考えてしまいがちですが、色々なジャンルのものを散らばせておき、あとは子どもが好きに読むのが良いと思います。
――そもそも、絵本はどうやってできるのでしょうか。世の中のニーズなどを事前に把握して作るのですか?
出版社によってそれぞれ異なると思いますが、私が長く勤めていたブロンズ新社は、マーケティングやデータより、編集者の直感や情熱を大事にするところで、編集者本人が企画に対して面白さや魅力を感じていることが大切でした。
当時は、まず社内で企画書を通さないと、著者に会いにいけませんでした。なので、事前に編集者が勝手に「この著者がこういう世界を描いたら、絶対に面白い!」という妄想企画を立て、それを手土産がわりに著者に会いにいく。その企画が進むこともあれば、著者から別の企画を提案されることもあります。
フリーの編集者になった今でも、架空の本の妄想企画を膨らませてから、作家さんに会いに行くことが多いです。架空の企画を練る上で助けになるのは、データやニーズではなく、自分自身が蓄積してきた好きなものや感覚。データはおまけ程度です。それよりも、自分が心惹かれる著者の「その人らしさ」を見つけ、それを引き出すことに重点を置いて編集をしています。
――知識・しつけ系の本がニーズに合っているというお話がありました。ニーズに合う絵本だけを作っていた方が、出版社はもうかるのではないですか。
売り上げを立てることは大切ですが、ニーズや数値化できるわかりやすいデータ頼みの本づくりだけに偏って、「明解に言葉にできないけれど胸を打つもの」や「曖昧で繊細で不思議なもの」の存在を疎かにしていると、社会全体から「その人らしさ」を育む機会がちょっとずつ失われ、豊かさを失い、脆弱になっていくのではないかと思います。
わかりやすくヒットを出して売り上げを立てる一方で、理解されにくくても魅力的な本を力技で出す、という循環でバランスを取っている出版社は多いのではないかと思います。私も、それができる編集者でありたいです。
――「理解されにくくても魅力的な本」を咀嚼するには、読む側も問われているように思います。
数値化できるデータや、明解なマニュアルといったものに比べ、人の内面世界を育む書物は、すぐには理解できなかったり、効果がでるのに時間がかかります。
そもそも読書も学びも本来楽しむためのもので、効果を求めて読むだけのものでもありません。
ただ現代は、動画やSNSなど、子どもたちを取り巻くコンテンツが爆発的に増えています。日々大量の情報が溢れる中で、雑音を排して、1冊の本をひとりで読みきることの能力や耐性が、昔より落ちてきているのではないかと思います。
でも、静かな空間で集中して、ていねいに作られた1冊の本を読みきると、細切れの情報に消耗して焦っていた自分が消え、深い満足感とともに、自分の指針が見つかるような体験ができる。こうした豊かな読書体験は、子どもたちにしっかりと受け継いでいきたいなと思います。
もしかしたら、私たち親が与えるべきは、簡単に知識が身につく本ではなく、周囲の雑音を排し、子どもが本の世界に埋没できるような空間を整え、あとは放っておいてあげることかもしれませんね。
1/12枚