連載
「平成レトロ」あのお土産の発祥は北海道 「幸福駅」で起こった悲劇
試される……大地……。
連載
試される……大地……。
80~90年代に日本中の観光地で売られていた雑貨みやげ「ファンシー絵みやげ」を集める山下メロさん。時代の流れとともに消えていった「文化遺産」を、保護するために全国を飛び回っています。インターネットでなんでも手に入るこの時代に、みやげ店に行かないと買えないその代物。日本がバブル景気に沸いた時代の風景を、色濃く残す「ファンシー絵みやげ」の保護の旅には、さまざまなドラマが待っていました。今回が連載の初回です。
はじめまして。山下メロと申します。私はバブル~平成ヒトケタ時代の文化を平成レトロとして研究しており、その中でも80~90年代に日本中の観光地で売られた子ども向け観光地雑貨みやげ「ファンシー絵みやげ」が専門です。
2018年には『ファンシー絵みやげ大百科』(イースト・プレス刊)という本を出版しました。その際には withnews さんにも取材いただいており、良ければそちらの記事も合わせてお読みください。
すでに今となっては絶滅危惧種であるファンシー絵みやげを保護するため、私は全国各地の観光地や温泉街の土産店、スキー場や施設の売店を調査しています。
すでに4000店舗にて保護活動を行い、1万2000種類の生存個体を保護しました。この連載では、そんな活動の中で出会ったアイテムや、現地で起きたさまざまなエピソードを紹介していきたいと思います。
ファンシー絵みやげはバブル経済が絶頂期へ向かうにつれて拡大し、バブル崩壊から徐々に縮小されていきました。その特殊な経済状態でしか生まれ得ない表現が多数みられ、まさにバブル期の考現学的資料と言えるでしょう。
今急いで保護しなくては、人類の文化的損失であると私は考えており、全国の観光地を回るようになりました。
そんな「ファンシー絵みやげ」のはじまりは北海道からでした。
きっかけはサンリオが作った映画『キタキツネ物語』(1978年)のヒットです。
それまで害獣扱いだったキタキツネを、二頭身の姿でディフォルメしたイラストの「North FOX in HOKKAIDO」という商品が1979年ごろ誕生。キーホルダーやのれんで展開されました。
それが人気となり、似たようなイラストが生まれていきます。最終的にはキタキツネのいない本州にまで波及、その流行に乗るように色々な動物や偉人までもが二頭身のキャラクターとなり商品化されていきました。
そんな生誕の地である北海道には何度も通うことになるのですが、最初に保護活動として訪れた際は「初心者」でした。北海道のことを詳しく知らないために、こんなことになろうとは……。
その日、十勝空港に降り立った私は、宿泊地である帯広を目指してリムジンバスに乗りました。いきなり車内アナウンスで「次は幸福駅」。
「愛の国から幸福へ」で有名な、あの幸福駅が途中にあるなら、今調査してしまうに限る!なんなら駅だし、適当に時間つぶして鉄道で帯広へ行けばいい!……なんてことを思って咄嗟に降車してしまったのです。
バスから降りて見渡すと、まわりには郵便局くらいしかない雪原で、その日は地吹雪。すぐにホワイトアウトしそうなので慌てて駅舎に向かうと、周辺に何軒もある年中無休のはずの土産店はすべてシャッターが降りていました。
どうも珍しい強風と地吹雪が原因らしい。ここまでは「タイミングが悪かった」くらいにしか思っていなかったのですが……。
幸福駅に幸福はあるのか。駅はすでに廃線で列車はやってこない。
あたりは見渡す限りの雪原、キャリーカートに詰めた重い荷物はゴロゴロと転がせない。そして地吹雪。休める店もない。空港からのリムジンバスは、飛行機の発着に合わせて到着するため、数時間は来ない。
私は、幸福駅で不幸な目に遭っているという現状をツイートしました。
私の瞳のシャッターも静かに下りました。聞けば風が強いと開店しないらしい。時間とお金をかけて、強風に耐えた上で再訪を余儀なくされる。これがファンシー絵みやげ保護活動の難しさ。まだ、あ… http://t.co/4FgyMx4OjF pic.twitter.com/8GQlsZNc72
— 山下メロ(平成文化研究、ファンシー絵みやげ、平成レトロ、令和レトロ) (@inchorin) 2015年2月2日
1軒だけポツンとある郵便局の人に聞くと、しばらく歩けば路線バスが走っている通りに出ると教えてくれました。
そして「さっきも同じこと聞かれたよ、その人に付いていきな」と。
よく意味が分からず郵便局を後にし、転がらないキャリーカートを引きずって雪道を歩いていると、前を行くスーツ姿の男性が同じようにキャリーカートを引きずって歩いています。そうです、同じ間違いを犯した人がいたのです。
さて、ほうほうの体でバス停につくと、ほどなく帯広行きのバスがやって来ました。
危うく何もない雪原の中でホワイトアウトするという難を逃れ、スマホをみると北海道の方々から色々と現地の情報が寄せられていました。
そして、帯広に着いた私の前には車が停まり「乗りな」と。現地の方々の導きにより、冬季閉鎖の峠や富良野、そして釧路へと大変充実した保護活動が行えたのです。感謝しても感謝しきれません。
こんな忘れられないハプニングから、私と北海道の関係は始まったのでした。
さて、また別の機会に北海道を訪れた際、以前お世話になった方に、またどこか観光地へ連れて行ってもらえることになりました。
そして、私は兼ねてより行きたかった知床半島を希望したのです。冬だったので、冬季閉鎖により知床半島の南側にある羅臼へは行けませんでしたが、北側にあるウトロに行くことができました。
そこには「酋長(しゅうちょう)の家」というアイヌ民族の酋長が営業している民宿があり、その1階に大きな土産店が併設されています。民宿の名前からしても民芸専門店なので、伝統工芸品ではないファンシー絵みやげはないかなと、あまり期待せずに店に入りました。
ところが、なんとそこには「SPECIAL POTATO」というファンシー絵みやげキャラクターの商品があったのです。北海道の特産品であるジャガイモに顔を描いて体をつけたかわいいキャラクターで、あまり野菜や果物を擬人化しなかったファンシー絵みやげにおいて珍しく野菜モチーフでした。
当時すでに北海道をかなり巡っていて、定番のキャラクターなども分かってきていた自分にとっても初めて見るイラストで、正直驚きました。しかしそれもそのはず、このお店独自のキャラクターだというのです。
確かに、商品には「SHŪCHŌ NO IE」とローマ字日本語で民宿の名前が書いてあります。
ファンシー絵みやげには、同じイラストで地名だけ変えていくつかの地域で売るものもありますし、なんなら「HOKKAIDO」とだけ書いておけば広い北海道のどこでも売ることができます。
その理由は、大量生産できればコストが下がるためです。そうすることがほとんどだと思っていましたが、まさかのその店でしか売れない商品をつくってしまうとは。
もちろんファンシー絵みやげ全盛期は好景気ですので、そんな例もいくつかあるのですが、ここまでちゃんと独自のキャラクターを作っているというのは珍しいです。
こんなことを質問する客人も珍しいようで、スペシャルポテトについて興奮している私に、お店の方が当時のことを語ってくださいました。
すると、とんでもない事実が判明してしまったのです。なんと、このスペシャルポテトは東京の「オクトパスアーミー」で作ってもらったものだとか。
当時ちょうど各地にあるオクトパスアーミーの閉店が話題になっていた直後だったので、二重に驚きでした。
『オクトパスアーミー シブヤで会いたい』(1990年)として映画にもなり、主演は東幹久、主題歌はフリッパーズギター。完全にシブヤの象徴が、なんと知床半島の民宿のキャラクターを手掛けるとは……一体何が……。
「酋長の家」の方に聞くと、オクトパスアーミーの社長がかつてヒッピーだった時代に、ウトロらへんのユースホステルだかに居て、よく「酋長の家」に遊びに来ていたらしいです。
オクトパスアーミーが立ち上がったあと、「酋長の家」のオリジナルキャラクター商品を作るとなった際に、声をかけてお願いしたらしいのです。遠く離れた渋谷と知床。およそ1000kmの距離が繋がるのですから、とても面白い。
このような想像もつかないエピソードに出会えるのも、保護活動という旅の醍醐味です。そしてこれが「みやげ話」の保護ということになるわけです。
◇
山下メロさんが「ファンシー絵みやげ」を保護する旅はまだまだ続きます。withnewsでは週1回、山下さんのルポを紹介していきます。
1/11枚