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「フレディは幸せだった?」クイーン映画の問い 移民・差別・家族…
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時代を経ても色あせないロックバンド「Queen」(クイーン)の生き様を映画にした「ボヘミアン・ラプソディ」が、世界50カ国以上で「オープニングNO1」を記録しています。映画を見た人たちがあちこちでクイーン論、フレディ論を語り始めている中、フレディを演じたラミ・マレックさんに、聞いてみたいことがありました。「フレディはあの時代を生きて幸せだったのか?」。移民・差別・家族……。ラミさんが考え抜いて出した「答え」から、今も変わらない時代の息苦しさについて考えます。
映画は、1970年代の結成当時から85年にあった20世紀最大のチャリティー音楽イベント、ライブ・エイドまでを描いています。
映画を見たファンたちが「途中からフレディ自身が演じていると思った」というラミさんの演技の成熟度が高いものになっています。
ラミさんはこう振り返ります。
「(役作りは)数週間ではできない」
「物まねをするのではなく、彼の動きの進化を理解しようとした」
映画では、ベッドに寝転がりながら見えないピアノの鍵盤を逆さまに弾くシーンあります。
そのシーンは脚本の22ページ目にあり、ラミさんはそこにたどり着いた瞬間、「これ以上できない、どうやったらいいかと思った」そうです。
過去のライブ映像、ラジオ番組の音源、そしてフレディのアクセントを学ぶために移民である母親の英語の話し方を勉強したといいます。
そして、振り付けでなく、ムーブメント・コーチと一緒にフレディの自然な動きを考えていったそうです。
役作りにかかった時間は1年余り。
「どうやって彼を人間の地位に引きずり下ろしたらいいか考えた」
そして、ようやくフレデイとつながる手応えを感じることができたと振り返ります。
「彼は何千人もの人、何万人もの人を手のひらで包むことができるかもしれないが、もしかしたら、彼は誰かに自分のことを包み込んで欲しいと思っていたんじゃないかと気付いた。それなら自分がつながることができると思った」
ラミさんは、役作りについて次のように語ります。
「彼の人間的なもの、人間の複雑さにもがいているところから、私との共通点を見つけていった」
それは何か。
アイデンティティーを探そうとしてもがいている……。そう、ラミさんの両親も、エジプトからアメリカへの移民でした。
取材をする中で、普通の映画評では伝えきれない思いが大きくなりました。
そして「フレディがあの時代を生きて幸せだったのか」について意識するようになりました。
映画の前半から、フレディを取り巻く、社会の偏見や差別、古い価値観、そして誰しもが内に抱える固定観念を想起させる激しい言葉が続きます。
そしてそれに反発し、自分が自分でありつづけるために、自分のことは自分で決める、と強く反発するフレディの姿が、度々、登場しています。
移民、宗教、容姿……。これは1970年代のイギリスですが、今、ヨーロッパやアメリカで起きている難民や移民を巡る対立や、日本で議論されている外国人労働者の受け入れを巡るニュースとすごく重なってきました。
そして、もう一つ重要なキーワードは、家族です。血縁関係のある家族がすべてではなく、クイーンというバンドが、フレディにとって、4人にとって、けんかを繰り返しながらも大切な居場所、家族となっていくプロセスです。
フレディを支えた、恋人も、友人も、フレディにとって家族の一員だったのではないかと感じました。
家族=永遠の幸せではありません。
特に、クイーンが音楽セールス的に成功しつつも、フレディがソロになり、メンバーとの確執で疎遠になっていくシーンは見ている側も胸が締め付けられるほどリアルに描かれています。
だからこそ、ラスト21分、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで開かれたライブ・エイドで、再びクイーンという家族に戻って歌う姿には、涙を流すファンもいるほどです。
配給会社は、この映画を「ミュージック・エンターテイメント」と言います。
試写会後、エンドロールが終わっても余韻に浸ったり、強いメッセージを受け止めきれずにいたりする人が見受けられ、うつむいて何かを考えながら映画館を後にしていく人々の光景が印象的でした。
11月8日に東京・六本木であったメディア向けのインタビューや記者会見で、ラミさんに1つ質問をぶつける機会を得たので聞いてみました。
<映画は冒頭からマイノリティーの問題や多様性の問題が出てきて、さらに進んでいくと、家族とは何かといったいくつかの重要なテーマが内在されていています。そのテーマは今の時代にも通じると思います。クイーンを演じきった今、フレディはあの時代を生きて、幸せだったと思いますか>
音楽的な成功を収め、解散の危機だったもののライブ・エイドで再びクイーンという家族にみんなが戻る一方、フレディはエイズウイルス(HIV)に感染して発症してしまったため、その後は十分な才能を発揮できないままこの世を去りました。
その後、医学の進歩で発症を抑制する薬が開発され、患者を巡る療養環境は劇的に変わりました。
また、LGBTについても、欧米では寛容な社会づくりが進んできています。
「見間違える」と言われるほどにフレディを演じたラミさんだからこそ、この正解のない質問の答えをラミさんなりに持っているのではないかと思ったからです。
丸いテーブル越しにインタビューに答えるラミさんは、大きなため息をつき、言葉を一つ一つ選びながら答えてくれました。
「フレディになって答えることはできないけど、私の解釈として考えるには、孤独を感じ、深い愛を探していたと思う。疎外感も感じていた。自分の育ちの文化が違うこと、(改名していった)名前の変化をみても色んなことが分かる。彼は、自分のアイデンティティーを探していたと思う」
その孤独感、疎外感とは何か。ラミさんはこう解釈していました。
「イラン系インド人で、ゾロアスター教の家庭で育った。そして非常に強い宗教的な信条がある家族の中で、異性愛以外、つまりホモセクジャル、バイセクシャルということはスティグマ(恥辱)になるという中で、自分の性的なアイデンティティーを見つけ出さないといけなかった。非常に孤独だったし、不幸せだったと思う」
ただ、ラミさんはそこで終わらず、こうも付け加えました。
「私が思うに、彼は、進化の過程で幸せを見つけていったのではないかと思う。自分が孤独でない場所をだんだん見つけていったと思う。バンドとの関係だったり、メアリー・オースティンとの関係だったり、ジム・ビーチとの関係だったり、そして音楽を通してファンとの関係を見つけていったと思う」
メアリー・オースティンとは、フレディの恋人であり、またフレディの性的なアイデンティティーを知って別れたものの、その後も友人で有り続けた女性です。ジム・ビーチとは、クイーンの弁護士からマネジャーになった人です。
映画では、28曲が流れますが、ラミさんは、「Somebody To Love」が一番好きな曲と言います。
「彼の書いた歌詞から色々なことが分かる。彼のピアノは、本当に誰にも出来ない弾き方ができるし、歌い方も他とは比較できない。あの世代の一番偉大な歌い手の一人だと思う」
「みんながわかっていないのは、彼はストーリーテラーであり、詩人だということ。歌詞を読んでいくと、そこからおとぎ話やシュートストーリーができるものがある。そこに感じられるのは、傷み。『Somebody To Love』の歌詞を聴いていると、誰かが愛する人を探してくれないか、というふうに言っている。一体、そんなふうな歌詞を書ける人は、どこにいるのだろうか」
ラミさんは、「フレディ役を演じ終わった後、演じている時もそうだったけど、ものすごく自由になった気がした」と語っています。
「彼らの音楽は、あらゆるステレオタイプを打ち破る力があると思う」
「1つのものに閉じ込めてしまうことを拒絶する力があると思う」
「こういう経験は、あらゆるキャラクターを演じてきたが、これほど解放感を感じたことはなかった」
クイーンの音楽やフレディを演じることで解放感を得るって、どういうことなのでしょうか。
人々が持つ固定観念を打ち破り、多様性に寛容な社会へと導いてくれる、そんな感じでしょうか。
クイーンの音楽だけでなく、フレディを演じることは、とても哲学的なことなのかもしれないと感じた瞬間でもありました。
映画についてフレディのステージを生で見たことがある人はどうのように感じたのでしょう?
終盤のライブ・エイドのシーンから涙が止まらなかったという猪熊弘子さん(53)は、こう語ります。
「移民、多民族、多様性の問題。フレディは『パキ』とも呼ばれて差別されたり、LGBT、ダイバーシティーといった今のリアルな世界の問題の根っこがみえたりしました。私たちクイーンファンは、当時からLGBT、移民への抵抗感がありませんでした。クイーンファンにとって、それはあまりにも普通のことだったからです」
そして印象的だった言葉に、「私が何者かは私が決める」を挙げました。
吉田仁志さん(56)は、「メジャーになったクイーンの記者会見で、フレディのセクシャリティーがたたかれていました。フレディの人生って、ずっとたたかれてきた感じがします」と言います。
そして、吉田さんはこうも感じたそうです。
「フレディが、当時より寛容な今の時代に生きてくれていたらな……」
この映画で描かれた時代の課題、つまり移民、難民、LGBTといった問題は、今の時代も共通しています。
一方、85年当時の世界は、ライブ・エイドのような、音楽で世界がつながる、連帯を強めて行こうとする動きがありました。
インターネットの時代、音楽もストリーミングで聴く時代になりました。
しかし、世界は今、正反対です。アメリカを筆頭に分断社会へと突き進んでいます。クイーンの母国イギリスも、EU離脱へと向かっています。
そして、すごく見た目を気にして、こだわる社会になってきていませんか。
映画の感想やクイーン、フレディについて語り合う中で見えたのは、今の時代の息苦しさでした。
「ボヘミアン・ラプソディ」は今、世界中でヒットしています。フレディを知らない世代が、ストリーミングで曲を聴き、映画館に集まってきています。アメリカでは、11月1日夜に封切られ、週末3日間で興行収入5000万ドル(約56.6億円)を記録しました。
でも、ラミさんは謙遜しながら、世界的なヒットについてこう語っていました。
「私たちの貢献度はすごく少なく、それはクイーン自身の素晴らしさだと思う」
ブライアン・メイ役を演じたグウィリム・リーさんは次のように語っています。
「この映画の素晴らしいところは、家族でいけること。親が子どもを連れて行って、親が情熱を持って楽しんでいたクイーンの音楽をプライドと喜びを持って次の世代に受け継ぐことができる。また、子どもも喜んで受け取ることができる。それがこの映画の素晴らしさ、クイーンの音楽の素晴らしさだと思う。それほど、彼らの音楽は、時代を超えて永遠に生き続けると思う」
伝説のバンド、Queen。地上で最も愛されたエンターテイナー、フレディ・マーキュリーの物語がついに明かされる。
この映画を見てどう感じたのか、クイーンについて、フレディについて、そしてこの映画が問いかけているテーマについて、みなさんなりの感想、意見を投稿してください。
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