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「うつ」に寄り添う女装バー経営者 「大好きだからこの世にいて」
24歳で性別適合手術を受けたモカさん(31)は、仕事では成功しながら、精神的に追いつめられ29歳の時にマンション屋上から飛び降りました。奇跡的に生還した後に開いたウェブの人生相談には、日々、人には言えない悩みを抱えた声が集まります。孤立し、誰にも助けを求められなかった自身の経験が、今、多くの人を救っています。(朝日新聞記者・高野真吾)
モカさんは、幼少期から正義感が強く、感受性も豊かだった。一方、自分の興味のないことをすることは苦手だった。
中学を卒業すると、高校にはほとんど行かなかった。その代わり、性的マイノリティーが集まる東京・新宿2丁目に出入りするようになる。
20歳ごろに独学でウェブデザインの基本を身につけた後は、イベントや会場運営の仕事をし、生計を立てていた。
「物心ついた時から、世の中に対して不満がありました。ずるいことをしている大人が、お金をもうけている。子どもでも、そうした現実を察することってありますよね」
「また、経済面や肉体面で恵まれている人が、自分より劣る人から利益を得ている。世の中の『弱肉強食』の側面も強く意識してきました」
「私が仕事を頑張って成功し、力を得れば、少しはこうした社会を変えられるかもしれない。そんな思いがあって、20代はかなり自分にムチを打ち、仕事をしてきました」
21歳で起業したモカさんは、女装イベント「プロパガンダ」を主催。多いときで、一つの会場に450人も集めたことがあったという。
さらに別の仕事も手がけた。
「新宿区歌舞伎町の『風林会館』ビルにあった元キャバレー『ニュージャパン』の会場を、イベントなどに貸し出す仕事もしました。2丁目に出入りしていた人脈を生かすと、うまくいった。24歳で年収が1000万円を超しました」
経済的には成功する反面、「ずっと一人で人と違うことをやってきた」ことから、次第に孤独が深まっていく。
「自分の発想や感性を頼りに、一人で動いていました。やりたいことや経営の相談ができる相手はいなかった。ほとんど休まずに働いていたので、疲れもたまりました。25歳ごろから、鬱病(うつびょう)が悪化。病院に行き、精神安定剤を飲む毎日でした」
それでも、モカさんは前に進んだ。26歳になった2012年12月、女装バー「女の子クラブ」を新宿2丁目に開く。女装をしたい男性にスタッフがメイクをし、衣装も貸し出す。人気店になり、翌年には大阪にも出店した。
しかし、精神面は上向かなかった。当時からモカさんを知る「女の子クラブ」新宿店の店長、くりこママ(33)は「病み期なんだよね」と愚痴をこぼすモカさんを記憶している。電話がなかなかつながらず、つながっても、ろれつが回らない時もあったという。
「この頃、自傷行為をし、病院に運ばれたことが何回かありました。この世の中にいるのが嫌になってしまった。世界の残酷な部分ばかりが目に入り、絶望の積み重ねの上にまれに起きる奇跡には目が向かなかった」
「話がかなり哲学っぽいですか? そうかもしれませんね。哲学関係の本を読むのは好きですし、こうした話ができる相手と語り合うことも好きです。出版したマンガ本も、タイトルが『迷いうさこの感じる哲学漫画』ですから」
そんなモカさんを、両親や親しい人は、心配してくれた。
「でも、『生きなさい』と説得されても、その言葉は私の中には響いてこなかった。私の中では、生きたくない理由ができあがってしまっていたからです。理屈ではダメなんですよね」
「むしろ、感情面で寄り添ってくれる、『大好きだからこの世にいて』という気持ちをぶつけてもらえたら、私も殻を破れたかもしれません」
20代後半は、自宅にこもることが多かった。ベッドから抜け出せなくなり、人と会うのがおっくうになった。一人でいると、余計に答えのない「人生問答」を繰り返す。ますます自分を追い詰めた。
29歳の時、マンション屋上から飛び降りた。奇跡的に助かった後、地元の友人に会った。彼はモカさんに「何で言ってくれなかったんだ。俺だったら、何日も家に座り込んで、ずっと一緒に居たのに」と語ったという。
「四の五の言わずに、理屈でなく、感情で相手を引き留める。皆さんの周囲に追い込まれている人がいたら、大事な人を失うかもしれない場面に出くわしたら、ぜひこうして下さい」
2017年12月上旬、モカさんは、相談者とパソコン上にお互いの映像を映しながら、久しぶりに会話をした。相談者の顔色が良いことや「新しい仕事を探したい」と前向きに語る言葉を聞き、ほっと胸をなで下ろした。
取材に応じた相談者は、モカさんを「自分の悩みを一番分かってくれる人」と表現した後、こう続けた。
「年下だけど、すごい頼りにできるし尊敬できる。やっぱり色々な経験をしてきているのが大きいと思う」
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