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「ギャバン」「キン肉マン」…歌手・串田アキラが語るヒーローの条件
特撮・アニソン界のレジェンド、串田アキラさんが「宇宙刑事ギャバン」「キン肉マン」など名作主題歌の秘蔵エピソードを語りました。
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特撮・アニソン界のレジェンド、串田アキラさんが「宇宙刑事ギャバン」「キン肉マン」など名作主題歌の秘蔵エピソードを語りました。
「宇宙刑事ギャバン」や「キン肉マン」などの主題歌で知られる串田アキラさんが、6月17日公開の映画「スペース・スクワッド ギャバンVSデカレンジャー」の主題歌を歌います。アニメ・特撮ソング界の重鎮クッシーが、米軍基地で歌った青春時代から名曲に秘められた意外なエピソードまでを語り尽くしました。
――ミュージシャンを志したきっかけは。
中学生の頃、横浜の伊勢佐木町にある米軍専用みたいなクラブに行った時に、出演していたバンドの人から「今度、基地に入ってみないか」と誘われたんです。基地のなかでバンドがドラムを叩いてる姿を見て、「これカッコイイな」と思ってドラム教室に通い始めました。
それから座間や横田、厚木とかの基地で演奏していたんですけど、ドラムだけじゃ目立たないなと思って歌も歌い出して。初めて歌ったのはまだ十代の頃、確か沖縄の基地にあるクラブでしたね。返還前だったのでパスポートが必要でした。
日本のバンドは5・6組出ていて、そのうち4組はブーイングを受けて帰されちゃう。兵隊さんがステージに上がって来て「帰っていいよ。でなきゃ俺らが帰るよ」って。ベトナム戦争中でしたから、「これから戦場に行くのに、こんな歌聴いてられるか!」っていう感じだったんでしょうね。
――日本人からするとかなりアウェイな状況ですね。
そこでスティービー・ワンダーの「A PLACE IN THE SUN(太陽のあたる場所)」を演奏したら、「ゴーーーッ!!!」ってすごい音がしたんですよ。何が起こったのかと客席を見ると、黒人の人たちが前の方に押しかけてワーッと盛り上がってた。「やったー!」と思いましたね。
以降はどんどん黒人音楽、ソウルミュージックを歌うようになって。世間ではグループサウンズやビートルズがはやっていたけど、自分たちがやりたいのは違うサウンド。ナット・キング・コールに始まって、ジュニア・ウォーカー&ジ・オール・スターズやテンプテーションズなんかにのめり込んでいきました。
――1969年に「からっぽの青春」でデビューします。
テレビ番組に出たりもしたのですが、芸能界には関心がなかった。毎日ライブをやってましたから、そっちの方が好きでしたね。黒人問題を扱った歌を歌ったりすると、みんな泣きながら祈るように手を合わせて聴いてくれて。ああいうのを見てしまうと、ああ、ずっとここで歌わなきゃ仕方がないな、と。
ハプニングも色々ありましたよ。基地で歌っていた時に、アンプが燃えてしまったんです。日本の機材だからボルテージ(電圧)が合わなかったみたいで。気づかずに歌い続けていたら、お客さんがワーッと寄ってきて「お前らカッコイイよ!」って言われましたね。
――1981年に「太陽戦隊サンバルカン」で特撮ソングデビューを果たしました。レコーディングはかなり苦戦されたとか。
「子どもの歌ね、楽勝でしょ」とタカをくくって簡単に引き受けたのですが、まったくそうはいかなかった。「子どもたちが聴くからカッコ良く歌ってください」と言われて、強くカッコ良く歌ったつもりなのに、ディレクターからは「違うんだよ、串田くん」と何度も何度も言われちゃう。でも、何が違うんだか全然教えてくれないんですよ。
もうすごいストレスで。やめます!って言って帰っちゃおうかとも思ったんですけど。最後にもういいやって譜面通りフツーに歌ったんですよ。自分の気持ちは入れずに。そしたらディレクターから「串田くん、やればできるじゃない」って言われて。その一言に一番、ムカッと来ましたね(笑)。
これは後に「宇宙刑事ギャバン」(1982年)を歌ってから気づいたんですけど、サンバルカンの時の俺は、子どものカッコ良さを歌わなきゃいけないところに、R&B的な大人のカッコ良さを持っていっちゃったんですね。本来なら、子どもに聞き取りやすいように、縦ノリでハッキリ歌わなきゃいけなかった。ディレクターは最後まで教えてくれなかったけど、そういうことだったんだと思います。
――そういう意味でも、翌年歌ったギャバンはひとつの転機になったわけですね。
ギャバンはスチール写真を見せられて、うわあカッコイイと思って、「やります!」と即答しました。ディレクターからは「気持ちを入れちゃいけない」と言われていたのですが、ここはぶつけて、ここは引くっていう強弱は自分なりにつけてましたね。
サビの「ギャバン」は主人公の名前だからバッチリ強く、それから冒頭の「男なんだろ?」というところも低音ですけどグーッと押して。逆に「若さ 若さってなんだ」「愛ってなんだ」の「なんだ」のところは、問い掛ける感じで少し優しく歌う。ヒーローって強いだけじゃない、優しさが必要なんです。
――「若さ 若さってなんだ ふりむかないことさ」「愛ってなんだ ためらわないことさ」という歌詞は、子どもよりむしろ大人の方がグッとくるかもしれません。
子どもには絶対わかんないですよ(笑)。せめて高校生ぐらいにならないと。受験勉強の時にギャバンを聴いて「頑張らなくちゃっていう気持ちになった」という方はいましたね。
――サビの直前のところ、実は「ビーム!」と言っているそうですね。「ヒー、ヒー!」「イー、イー!」とも聞こえるので、てっきり敵キャラの叫び声なのかと思っていたのですが…。
それは仮面ライダーのショッカーでしょ! 歌詞カードには書かれていませんが、「ビーム」が真相です。「あれはビームなんだよ」と説明してるんですけど、いまだにライブの合いの手で「ヒー、ヒー!」って。だから最近は、もういっかと思ってます(笑)。かなりエコーがかかってるんで、そう聞こえるみたいですね。
――「ヒーローには優しさが必要」というお話を伺って、「キン肉マン Go Fight!」(1983年)の「ああ 心に愛がなければスーパーヒーローじゃないのさ」という歌詞が思い浮かびました。
あの歌詞もまさにそうですね。昔はヒーローといえば強さ一辺倒でしたけど、やっぱり強さのなかに優しさが必要だと思います。
――「キン肉マン」のレコーディングで印象に残っていることは。
「キン肉マン Go Fight!」冒頭の「リングに♪」は当初、チェッカーズの「涙のリクエスト」(1984年)の「涙の♪」のところと同じメロディーだったんですよ。作曲家が同じ芹澤廣明で。友達だったから、「似てるし、マズくない?」と言って変えてもらいました(笑)。確かチェッカーズの方もまだ発売前だったんですけど、聴かせてもらっていたんです。
キン肉マンのレコーディングは、和気あいあいで楽しかったですね。それこそ、スタジオにキン肉マンがいてもおかしくないような雰囲気。特にエンディングの「肉・2×9・Rock'n Roll」は、大笑いしながら録った覚えがあります。終わった後で、ディレクターと「これは売れないなあ」なんて話したりして(笑)。
後日、テレビで歌うことになって、当然「Go Fight!」の方だろうと思って完璧に準備していったら、直前になって「肉・2×9」だと知らされて冷や汗をかきました。ゆでたまご先生も収録に来ていて、汗ダラダラの俺を横目にニタニタしてましたね(笑)。
――串田さんはCMソングも多く歌っています。なかでも「富士サファリパーク」が有名ですが、CMに歌手名のクレジットが出てこないので、和田アキ子さんや松崎しげるさんと勘違いする人が続出したとか。
名前を入れてもらうように勧めてくれる人もいました。でも、テロップがないことでかえって話題になったので、これでよかったのかなと。お陰で「アッコにおまかせ!」に呼ばれて、ご本人を前に歌ったりもしました。
開園してから年月が経って声も変わっているので、一度「録り直したい」と言ったんですけど、サファリパークの方に「これがいいんだよ」と却下されて。CM自体は関東・東海のローカルなのですが、どんどん広がって、いまはカラオケにも入っています。
――映画「スペース・スクワッド ギャバンVSデカレンジャー」では、特捜戦隊デカレンジャーの主題歌を担当したサイキックラバーのYOFFYさんとのユニット「激突兄弟」として主題歌を歌っていますね。
歌詞のベースはYOFFYが書いてくれて、俺も半分ぐらい考えました。歌い出しはヤワじゃいけないので、「メタルの魂」って言葉を持ってきて。最後の方には、主人公たちの使命である「この星守るため あの星守るため」というフレーズが入ってます。映画に登場する2代目ギャバンはヤンチャなところもあるので、歌詞にもそういう感じを込めました。
――今後の抱負は。
2020年の東京オリンピックの頃に、どこかのフィールドで歌えていたらいいですね。以前、Jリーグのハーフタイムに「キン肉マン」を歌ったこともあるんですよ。大好きなリズム&ブルースもやりたいですし、声が出る限り歌い続けたいですね。
〈くしだ・あきら〉 横浜出身、本名は串田晃。1969年に「からっぽの青春」でデビュー。「宇宙刑事ギャバン」「キン肉マン」「トリコ」など数多くの特撮・アニメソングを歌ってきた。6月14日に新旧の名曲を収めた「スペース・スクワッド ソングコレクション アルバム」(日本コロムビア)が発売される。
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