お金と仕事
ホンダ、F1前夜の秘蔵映像発見 金色のマシン愛でる本田宗一郎氏
F1に参戦するため、ホンダが製作した第1号マシンのテスト走行の秘蔵映像が、半世紀を経て見つかりました。映像には本田宗一郎氏の姿も。
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F1に参戦するため、ホンダが製作した第1号マシンのテスト走行の秘蔵映像が、半世紀を経て見つかりました。映像には本田宗一郎氏の姿も。
世界最高峰の自動車レースであるF1に参戦するため、ホンダが初めて製作した第1号マシン「RA270」のテスト走行の秘蔵映像が、半世紀を経て見つかりました。創業者の本田宗一郎氏が興味深げに眺める様子も映っている貴重な映像です。
映像は1964年2月、三重県の鈴鹿サーキットで、後にF1チームの初代監督となり、常務まで務めた故・中村良夫氏がステアリングを握りテスト走行する様子を撮ったものです。運転席を興味深そうにのぞき込む宗一郎氏の姿が印象的です。
この貴重な映像は、2年ほど前、埼玉県和光市の本田技術研究所の倉庫で、資料を整理していた社員が見つけたビデオテープ。当時社長だった宗一郎氏が好んだとされるゴールドに塗られたRA270は解体され、映像の存在も伝えられていませんでした。
ホンダはこのRA270をベースに車体から自社製作し、白地に赤の「日の丸」カラーに塗った「RA271」で64年からF1に参戦。一時撤退する68年までに後継車で2勝をあげました。
当時のホンダは原付バイク「スーパーカブ」が主力商品で、ようやく国内後発メーカーとして四輪車に参入したばかりでした。
「定本 本田宗一郎伝」などの著書があるノンフィクション作家の中部博さんは、「本田さんは四輪でも『世界一』になると大見えを切った。夢のような冒険をするのがホンダなんだと、世界中の若者たちへ宣言した。ロックスターみたいにカッコいい伝説の始まりだった」と話しています。
撤退と参戦を繰り返しながら、ホンダはF1に挑み続けます。88年には故アイルトン・セナを擁したマクラーレン・ホンダが16戦中15勝を挙げるという圧倒的な成績を残しました。
世界有数のミニバン・小型車メーカーに成長した現在も、宗一郎氏の遺志は受け継がれています。15年には、再びマクラーレンにエンジン供給する形で復帰。ブランクとレギュレーション変更に苦しみながらも、地道なレース活動を続けています。