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椎名林檎「いつも死を意識」「子ども5、6人産む」 5年半ぶり新作
椎名林檎が5年半ぶりのソロアルバム「日出処」を出し、ロングインタビューに応じました。独特の死生観から女の性(さが)まで生々しく語りました。
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椎名林檎が5年半ぶりのソロアルバム「日出処」を出し、ロングインタビューに応じました。独特の死生観から女の性(さが)まで生々しく語りました。
神庭 亮介
共同編集記者1/21枚
椎名林檎が5年半ぶりのソロアルバム「日出処」(ひいづるところ)を出した。死を見つめ、生を叫ぶ歌たちは、時に激しく疾走し、時にやわらかく聴き手を包み込む。「『命短し、目抜き通りを歩こう』っていう気持ち。人生がシンプルになってきた」。独特の死生観から女の性(さが)まで、ロングインタビューで語った。
――ずっと東京事変でご活躍だったのであまり間が空いた感じはしませんが、ソロアルバムとしては5年半ぶりなのですね。ソロと東京事変の活動は地続きなのでしょうか。それとも、まったく別のプロジェクトとして考えてきたのでしょうか。
結論から申しますと、全然変わらないです。だけど、事変というものをウチの店で、(所属事務所の)黒猫堂ショップの自社ブランドとして推したい、という感じだったんでしょうね。作家としての仕事でも、それを演奏する場合でも、ずっと何も変わらない心構えでやって参りました。事変の活動期間はすごく短くて8年間ぐらいだったんですけど、その間は「彼らを売り出したい」という思いでやってきただけだと思います。
――なぜ解散に至ったのですか。
いろんなことがあると思いますが・・・。要するに弊社(黒猫堂)にお仕事をいただいた時に、全部あのチーム(事変)で演奏してきたんですね。それこそ、今回収録した「カーネーション」もそうですけど。曲や番組のテーマに取り組むことって、一番勉強になるんですよ。その機会を最優先で彼らに渡して、という8年間だったんです。
それが、「もういいかな」となったんでしょうかね。メンバーも同じように価値を共有してくれていればいいだろうけど、そういうわけにはいかないでしょうし。ある時、やはりお互いのためにならない、と思ったんでしょうね。みんなそれぞれ、曲書いて、歌って、とできちゃう人たちでしたから。
――それぞれ方向性が違ってきた、と?
そうですね。
――今回のアルバムの構想・制作期間は。
超短かったです。実質8月のアタマから。1人でプリプロした期間が1週間ぐらいです。プリプロっていうのは、デモテープとかをつくること。それを聴けば演奏家も「こうやるんだ」ってわかるような、目安になるものですね。しかも、演奏家のスケジュールが合う日が2、3日しかなかったんです。そのチャンスに全部録らなきゃいけなかった。
――とはいえ、元々ある程度曲はできあがっていたんですよね。
そこから新たにつくったのもあります。でも、割といつもスピード勝負なんです。丁寧迅速を心がけております(笑)。「カーネーション」や「NIPPON」が入ることはわかっていたので、そこに向けてこんな曲があった方がいいんだろうな、とぽや~んと考えてはいました。そんな漠としたイメージがありつつ、実際の調理時間はサッと仕上げる感じでしたね。タイアップの曲でも、お話をいただいた時、瞬間に書くことが多くて。唯一、サッカーのだけはすごく悩みましたけど。
――FIFAワールドカップをはじめ、サッカー番組のテーマ曲としてNHKから依頼された「NIPPON」ですね。イチロー選手に捧げた「スーパースター」(東京事変)など野球のイメージが強かったので、サッカーの曲ということ自体少し意外でした。
サッカーが自分から縁遠いというつもりはないんです。元々清水っ子ですからね《※林檎は「サッカー王国」と呼ばれる静岡市清水区(旧清水市)で幼少期を過ごしている》。あそこは女の子もみんなサッカーをやらなきゃいけない場所なので。体育の授業中ずっとリフティングしていて、ボール落としちゃった子から座っていくという。女子サッカーも盛んでしたよ。
――では何に悩まれたのでしょう。
サッカーってほかのスポーツと少し違う。お客さん、サポーター側にある熱量が独特だと感じていて。サッカーのこととなると、人が変わってフーリガンのようになってしまったり。たとえば家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね。
だからまず、そこでサポーター側に失礼があってはいけないということ。あとはやはり、実際にゲームにのぞむ選手たちが、並々ならぬ気合で挑んでいらっしゃるということはお察ししておりましたので、そこへの気負いですよね。そういう緊張がありました。
――「NIPPON」というタイトルからか、「右翼的」「愛国ソング」などとネットやメディアで話題になっていましたね。
ねえ。お騒がせしてすみませんでした。まさか、そんなことになるとは。組み合わせの妙だったんでしょうね。「混じり気」という歌詞だとか、「ニッポン」という読ませ方だとか。以前にも「日本(にっぽん)に生まれて」という曲をつくっていて。「っ」という促音便、グルーブを生むような読み方を選びがちなんですね。そういうことが相まって、疑わしく思われてしまったんだろうなと思います。
でも、いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!? 右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います。難しいですよね。はかりづらいし。
――両面あるかもしれないし。
そうですね。
――あたかもイデオロギーの踏み絵を迫るような。
踏み絵ですよね。完全に。
――極端に言うと、「大江健三郎は左翼的だから読まない」「三島由紀夫は右翼的だから読まない」みたいな。
同じですよね。でもすごくつまんないと思います、それは。私が聴いていただきたいから、というわけじゃないですけど。自分が嫌いな相手にまで好かれたいとは思わないですし。縁がない人たちがおっしゃってる、というだけですから。
ただ、(批判は)ちょっと文脈がズレてると思うんです。タイアップはさておき、一つの曲としても全然そんなことは書こうと思ってないから。そういう読解力の方とは、縁がないって思っちゃう。
――「NIPPON」のジャケットに日の丸をあしらっているからですかね。
ああ、そうかそうか。なるほど。
――拡声機を持っている写真が右翼的だと言う人さえいます。拡声機を使ったパフォーマンスは以前からされていたと思いますが。
とにかく、否定する材料を探したいんでしょうね。色々言おうと思えば言える材料がたまたまそろっているから、面白おかしくおっしゃりたいんじゃないでしょうか。それで私の何が奪えるというのだっていう感じですよね。
――アルバムに収録されている「ありあまる富」の「もしも彼らが君の何かを盗んだとして それはくだらないものだよ 返して貰うまでもない筈」という歌詞そのままですね。ありあまる富を奪うことはできない、と。
そう。そうなんですよ。
――「NIPPON」に「淡い死の匂い」という言葉が使われていることを、問題視する声もありました。
ああ、特攻みたいだとおっしゃっている方がいましたね。全然考えてもみませんでした。神風特攻隊が美意識としてカッコイイと思っていて、好きで書こうとしているとしたら、もっとやり方があると思うんです。この歌詞だって「死に物狂い」という体験をしたことがある方にとっては、別に何てことのない、素通りするような表現ですよね。
たとえば歌っていても、どうしても表現したいことがあって、立て続けに畳みかけるようにずっと声を出していると、急に鉄の味がする時があるんです。私が「淡い死の匂い」と書いたのは、そういうようなことなんです。毛細血管が切れていってるような瞬間って、あるじゃないですか。ただそれだけのこと。本当に、なんでこんなに死をタブー視するのか……。
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。もしかしたら古くさいのかもしれないですけど。
誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います。「極端な話、私が死んだとするでしょ」とか言う人、いますよね。いやいや、全然死ぬから。今、死に向かってるでしょ。毎日刻々と疲れていっている、向かって行っているなっていう感じ、しませんかね。自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど。
コントロールできないことがよっぽど嫌なんでしょうね。スマートフォンとか、何でもかんでも便利なものが増えて、この10年ですごく状況が変わったでしょう。コントロールできないもの、アマゾンで今すぐ手に入らないものが忌々しくて仕方ない。生と死だけがコントロールできないもので、一番目を向けたくないものなんじゃないですか。