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若者は安定志向なんて誰が言った?変化し続ける画家~アラ爆な人々
アート界隈の人々を紹介するアラ爆な人々、今回は前回の松田さんから紹介いただいた田中良太さん。画家として活動しながら、オルタナティブスペースも運営している「みんなの希望」(松田さん)だそうです。
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アート界隈の人々を紹介するアラ爆な人々、今回は前回の松田さんから紹介いただいた田中良太さん。画家として活動しながら、オルタナティブスペースも運営している「みんなの希望」(松田さん)だそうです。
「芸術は爆発だー」ということで、芸術界隈→アラウンド爆発→アラ爆。知名度の点で、爆発的に人気が出る前後という意味も込めています。今後の芸術界を担うかもしれないアーティストやキュレーターの方々に、テレホンショッキング形式で次の人を紹介してもらいながら会いに行きます。
前回の松田修さんから紹介してもらったのは、オルタナティブスペースも運営している画家、田中良太さんです。松田さんいわく「活動も面白く、尊敬するアーティスト。スペースも運営していて、みんなの希望です」。期待が高まります。
早速、田中良太さんが画家の栗原一成さん・小林丈人さんと運営するオルタナティブスペース「ゲルオルタナ」へ。行くと、礼儀正しい田中さんが迎えてくれました。
田中さんは、小さい時から絵が好きで、チラシの裏などによく描いていたそう。中高時代はハンドボールなど運動に明け暮れたものの、進路を決める時になり、「身体能力には限りがある」とスポーツの道はやめ、周囲からもよく褒められた美術の道へ。多摩美術大学に進学しました。松田さんとは予備校のアルバイトで数日重なったのが縁。その後、作品についても話すようになり、今は時々飲む仲だそうです。
ゲルオルタナの運営は、学生時代から交流のあった栗原さんに誘われたのがきっかけ。どんな場所なのかというと...ゲルオルタナのサイトには「基本理念」が書かれています。
これを読むと、コマーシャルギャラリーに対しての批判精神が起点なのかと取る方もいるかと思いますが、田中さんに聞くと、そうでもない様子。「コマーシャル(商業)を気にしすぎるのも嫌だと思う。でも、いい展覧会をしたと満足するのではなく、多くの人に見てもらい売買も成り立てば、よりいい」。ただ、作家は受け身ではなく、意志を持つ必要を感じているそう。「これまでは作家が語らなくても作品として認められていた。でも今は、何を考え、何を語るかが重要」といいます。
ゲルオルタナでは、田中さんのような作家が他の作家をディレクションしています。計画段階からみなで話し合い、時にはアトリエのようにその場で作品を制作し、その過程を見せることも。「何を語るか」といっても、政治的な発言をするというのではなく、社会や、他の作家作品も含めた美術をどう考え、作り、人にみせるのか、その総合的な実行力や発信力を育む場となっています。
では田中さんの最近の作品を時代別に見ていきましょう。
分割された画面は、ネットの画像検索結果のイメージ。画像検索では「山」と検索しても、山の写真だけでなく人の顔や動物など様々なものが表示され、それぞれは「関係していないようで関係している」。田中さんは「強い絵とは何だろうと考えた時に、1つのイメージに縛られないことではないかと思った」といい、絵の中でそれぞれが打ち消し合いながらも、ひとつの絵として関係している、この分割の構成にたどり着いたそうです。
2013年になると作品の色彩が全体的に明るい印象に。彩度が低いと隣り合うイメージが似通ってしまうため、できるだけ彩度を上げることを意識し始めたそうです。また、分割する構成にも自分が縛られているのではないかと疑問を持ち始め、中心となるイメージがある作品も改めて描き始めました。
「わたしたちのそういう時間」は、田中さんがアーティスト・真部知胤さんと、歌人・永井祐さんの3人で開催した展覧会で、一部にはコラボ作品も。上の写真は、田中さんが描いた作品に永井さんが言葉を当て、それを受けてまたその作品に描き足した作品。そのまま言葉を書き足したや、言葉から膨らんだイメージを描き足したものもあります。また、この展覧会で展示された「ハイキング」と「オルレアンの乙女」では、先入観がついてしまうからと避けていたタイトルを久しぶりにつけています。
ゲルオルタナを運営する栗原一成さん、小林丈人さんと共に2014年に開催した「切断」展では、モノクロの作品や、質感が違った作品など新たな試みも見られます。
「自分が固定観念にとらわれていると、作品は先に進むのに、自分だけが取り残されていると感じる」という田中さん。「自分が固まっていなければ、揺れている葉も、広告、テレビのテロップでさえ新鮮に見える。平坦な日常も変わる」。形(かた)に囚われず、変われる柔らかさを持ち続けることを意識しているといいます。「大きく変わることは求めていない。常に考え続ける中で絵を描き、視覚的なものをアウトプットしていく画家でありたい」