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失って笑えることもある? ユーモア光るアーティスト~アラ爆な人々
アーティストやキュレーターなどアート界隈の人々を紹介するアラ爆な人々。今回は2回目です。前回の渡辺篤さんから紹介されたのは、大学で一緒だった松田修さん。社会的なテーマを扱う作品にもちょっとしたユーモアが光ります。
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アーティストやキュレーターなどアート界隈の人々を紹介するアラ爆な人々。今回は2回目です。前回の渡辺篤さんから紹介されたのは、大学で一緒だった松田修さん。社会的なテーマを扱う作品にもちょっとしたユーモアが光ります。
「芸術は爆発だー」ということで、芸術界隈→アラウンド爆発→アラ爆。知名度の点で、爆発的に人気が出る前後という意味も込めています。今後の芸術界を担うかもしれないアーティストやキュレーターらを紹介します。
今回は、前回の渡辺篤さんから紹介された、松田修さんです。大学が一緒の縁で交流があるそうですが、オススメの理由を何度か聞いたものの「とにかくいいヤツだから」と渡辺さん。
松田さんは19歳の時に「ひとまず東京に行って遊ぼうと」関西から友達と上京。最初はトラック運転手のアルバイトなどをしていたものの、時間をもて余すようになり、以前から好きだったサブカルの作り手側にまわろうと決意したそうです。働きながら予備校に通い、3年目にして東京芸術大学(油画)に合格。油画なのは「予備校の講師に、サブカルのイメージからケチャップ漬けとかになりたいんですけど…と相談したら、何でも通用する油画に行けと言われた」からだそう。
大学入学後から本格的に作品を作り始め、ゲームを題材とした映像作品から、油彩、立体作品など、その時のテーマに合わせ、さまざまな素材に挑戦。現在はコンセプチュアルとパーソナルなものとのバランスで作っている」と松田さん。(※コンセプチュアルアートとは作品そのものより、そのアイデアや概念を重視したもの。ここでいうパーソナルは、より個人的な体験などを元にしたもの)
ではさっそく作品を見ていきましょう。まずは今年行われた喪失をテーマにした個展「パラダイスロスト・パラダイス」から何点か。
こちらは100万円の札束をまとめていた帯を1億円分、小判状に積んだ作品。貯金がある知り合いに協力してもらい、集めたそうです。そこにお金はないからこそ、よけいに、あったはずのお金に思いを巡らせてしまいます。
下克上にかけた「身刻上(ミコクジョウ)」という作品。いつも注目を集める花びらは下に落ち、立ち続ける茎に位置の上では負け「下克上」は成立しているように見えます。しかしそれでも目がいくのは、下にある花びら。「身に刻まれた『上』」…なるほど。人がもつ偏見や美意識なども想起させます。
「お気に入りだった」という青いウインドブレーカー。焦げ跡がついて着られなくなってしまったものの、そこに茎を描けば、お花畑に変身。日常にある喪失も、少し違う視点からポジティブに表現したいという松田さんの姿勢が伝わります。
隣の部屋の騒音への抗議や引きこもりの子が何か要求するときなどに壁をたたく「壁ドン」。こちらの無人壁ドン装置は、壁をたたきながら「もうだめだー」と悲しみの言葉を漏らします。コミュニケーションが喪失し、姿は見えないのに音だけするという状況も、向こう側がこんな装置とわかれば受け止め方は大きく変わります。
では、ここからは過去作品を少し。
壊れたモノを合体して新たに復活させた個展「ニコイチ」。写真左は壊れた車とリアカーを合わせたもの。リアカー部分にはきちんと「マツダ」マークが入ってます。
死んで(または壊れて)、立てなくなった動物や傘の骨が互いに支えられることで立っています。人と人とは…金八先生の言葉を思い出しますね。
願いが叶い両目が入ったダルマ。完成した瞬間に仕事を終えたダルマが近代的に(?)変身し復活。今度は目から緑の光線を放ちます。何かわからないけど、かっこいいです。
続いては、ビデオ2作品を写真で。…遠近の錯覚を利用した作品。松田さんは関西から関東に来て、上品・下品の価値観の違いに気付くと同時に、差別の根を感じたそう。上品・下品なんて考えるのやめませんかという思いがこもってます。
普段の製作では、ユーモアの要素を大切にしながら、作品を通して「正論だけでなくこういう考え方もある、ということを提案し続けたい」という松田さん。アーティストとしての目標を聞くと、「誰もが『アート作品』と認めるものを作りたい。それが何かはまだわからないんですけど。あとはこの人にしかできないというものを作りたい」。
松田さんの作品の一部は、8月8日から清澄白河の無人島プロダクションで行われる「無人島プロダクション8周年記念展 無人島∞」で見られます。(8月8日~9月15日、月曜休廊)
渡辺さん、確かに「いいヤツ」でした。