連載
#6 #アラサークライシス
「何のために働いてたんだろう」高卒で就職、転職、休職、退職の先に
大分に移住した男性に話を聞きました
「空気を運んでるみたいだ」。新型コロナ感染拡大による緊急事態宣言が出された2020年。首都圏を走る電車の運転席からガランとした車両を見つめ、男性(29)はそう感じたといいます。人生、このままで良いのか――。
20代半ばから30代に陥りがちな漠然とした不安や悩みは、「クオーターライフクライシス(QLC)」と呼ばれます。やりがいを見失い、不安が膨らんでいくなか、男性は大きな決断をしました。
男性は1996年に生まれ、埼玉県で育ちました。中学前後の多感な時期に、リーマンショックに伴う不況や東日本大震災といった社会が揺らぐ出来事を経験し、自分の人生について慎重な考えを持つようになったといいます。
本当は彫刻をはじめ芸術分野にも興味がありましたが、「収入が得られるリターン」を考えて男性が選んだのは、鉄道の授業がある都内の高校。電車の運転士を目指すかたわら、電気工事士の資格を取得するなど、将来の生活の安定に向けて余念はありませんでした。
実家に経済的余裕があるわけではない。高い学費を払い、大学で何となく4年間を過ごして新卒市場に出るよりも、高卒のうちに就職した方が有利――。自分なりにそう見極め、高校時代にアルバイトしていた鉄道大手のグループ会社に入社しました。
二十歳を超えて仕事にも慣れはじめたころ、ふと自分の立ち位置を見つめ直しました。「このままいくら頑張っても、親会社の待遇は超えられないな」。入社から4年半、別の鉄道会社に転職を決め、電車の運転士になりました。
分刻みのスケジュールや不規則なシフト勤務にもまれつつも、「花形」の仕事にはやりがいを感じていたといいます。
ところが、コロナ禍で心が大きく揺らぎます。緊急事態宣言が出され、外出自粛が呼びかけられるなか、乗客のいない車両を動かす毎日。「それまで仕事がきつくても、社会インフラの一部を担っているという誇りがあったから踏みとどまれていた。その存在意義みたいなのが、自分で分からなくなったんですね」
ただ働いて、給料をもらうだけでいいのか。何かを変えなくちゃ――。転職の際、大卒ではないことで選択肢の狭まりを感じてもいました。男性は通信制の短大に入学し、仕事の合間に金融や会計の講義を受講。さらにその後、4年制の大学に編入し、ファイナンシャルプランナーの資格取得をめざすコースで学びを深めました。
挑戦を続けていた20代半ば、体に異変を感じました。疲れが抜けず、続く吐き気。病院で受診しても原因が分からず、精神的にも不安定に。高校卒業時に60キロ近くあった体重は、43キロにまで落ちていました。
ある日、昼食で好物の塩サバを食べていたら、全く味がしないことに気が付きました。「これは、いよいよまずい」。休職を申し出て数カ月後、胆石発作で倒れ、病院に搬送。1カ月の入院を余儀なくされました。
体力は戻らないまま。職場には勤務シフトを配慮してもらうよう求めたものの折り合えず、将来について思いを巡らせる日々。高校からそのまま大学に進んだ同級生たちは、慣れ始めた仕事を楽しみ、キャリアやプライベートに希望を抱いているようで、輝いて見えました。
「自分は、何のために働いてたんだろう」
20歳から少しずつ投資を続けていた男性。ファイナンシャルプランナーの知識も手伝い、資産はそれなりに増えてきていました。入院中、人生に限りがあることを痛感したのが背中を押し、27歳で退職を決意しました。
「それまで埼玉と東京の往復しかしたことがなかったので」。2023年春、男性は家賃の安いことで知られる、大分県内の市に移り住みました。
散歩や読書、気が向けば温泉に入ったり、自転車で旅をしたり……。いまは月10万円くらいの生活費で、そんな生活を楽しんでいると言います。個人投資家として生計を立てられていて、どこかで働くことはありません。それでも、地元や旅先で新たな人との出会いがあり、一人で暮らしていようと、寂しさはそこまで感じないとのこと。
「働いて体を壊すまでは、レールの上で行き詰まっているような状態でした」。男性は振り返ります。自分なりに大卒の資格を得て、転職もした。けれども、キャリアを離れた自由なチャレンジがしづらい空気を感じてきたと言います。
「でもそれは、会社員でなければ、東京にいなければという固定観念にとらわれていたからかも知れません。違う生き方を選んでみると、全然違う景色があるんだということに、やっと気づきました」
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