連載
#10 ここは京大吉田寮
ヒッチハイクしていたら「お迎え」が来た 居場所が〝ばれた〟理由は
ヒッチレース参加者インタビューラストの5人目です

京都大学吉田寮の寮祭名物企画「ヒッチレース」。参加者は目隠しをされてドライバーから「国内のどこか」へ車で飛ばされ、ヒッチハイクを駆使して寮への帰還を目指します。愛媛県の「はしっこ」から帰還した参加者は、出会いの「ガチャ」を存分に楽しみました。(朝日新聞withnews編集部・川村さくら)
〈ヒッチレース参加者インタビュー〉
築112年の京都大学「吉田寮」の寮祭名物「ヒッチレース」。参加した5人に帰還の過程を聞きました。今回はラストとなる5人目です。
1913年に建てられ、現存する国内最古の学生寮といわれる京大「吉田寮」。今年は5月24日~6月1日に「寮祭」が開かれました。
その名物企画がヒッチレースです。55人が参加しますが、そのうち寮生は一部で、寮や大学の外からも多くの人がやってきました。
5月24日0時。多数のドライバーたちの車にくじで振り分けられ、参加者たちは分かれて乗車します。到着するまで、どこに降ろされるのかは見当がつきません。
さらに、企画の運営側が推奨するのは「手ぶら」での参加です。つまり、身一つで見知らぬ土地からスタートすることになります。
「レース」といえど帰還の「早さ」を競うわけではありません。帰還の過程の「おもろさ」が注目され、参加者たちは後日寮で開かれる「お土産話会」で聴衆にエピソードを披露します。
ヒッチレースに参加した京大経済学部2回生の小林大河さんは、寮生ではなく、大学の近くで1人暮らしをしています。
「参加した人がX(旧ツイッター)で実況しているのを見ていたから、大学に入る前からヒッチレースは知っていました」
1回生のころから興味はありましたが、参加は今回が初めて。そこには理由がありました。
土曜0時にスタートするヒッチレース。昨年は月曜の中間試験に間に合うかが不安で参加をあきらめました。しかし、週末を家でごろごろしながら過ごしていると、実況で果敢に参加している友人の姿を発見。感じたのは敗北感。
「今年は何が何でも出ようと決意していました」
愛媛県の佐田岬の灯台に午前9時半ごろ到着。
東京都出身で愛媛を訪れるのは初めてでしたが、中学受験の勉強で全国の岬を覚えさせられたそうで、名前は知っていました。
「まさかここで中学受験が役に立つとは」
その日は、車を降りるとすぐさま傘が飛んでいってしまうほどの暴風雨。大粒の雨で、本来は美しい海の景色が広がっているのであろう周囲は真っ白でした。
「危険な場所で参加者を降ろさないように」と注意喚起されているドライバーたちは、車で10分ほど引き返して漁港で降ろしてくれました。
降ろされた漁港は雨が少し降っている程度の穏やかな天候でした。
雨で漁に出られず、網の修理をしている漁師さんに声をかけたところ、大分県からのフェリーが発着する三崎港まで送ってもらえました。
道の駅の駐車場でドライバーに話しかけていると、大学生くらいの息子さんと母親の親子連れが応答してくれました。
大分から車の運転の練習のため出かけていて、50キロほど内陸にある内子町の道の駅まで乗せてくれました。
その道の駅で苦戦していると、見かねた家族連れがインターチェンジまで運んでくれました。
「『がんばってー』って送り出してくれて、人ってあったかいなあって思いました」
そのインターチェンジ付近のコンビニで、「山口ナンバー」の車の女性に声をかけると松山まで乗せてくれることに。
「お昼ごはんに焼き肉をごちそうしてくれました。おなかいっぱい食べさせてもらってマジで頭上がらないです」
西条市の石鎚山サービスエリアではトイレから出てくる人に声をかけ続けますが、1時間半ほど空振りが続きます。
30人ほどに声をかけても、四国ではなかなか長距離移動する人が少ないのか「乗せていってもいいけどすぐ隣で降りるんだよね」といった返答でした。
少し京都へ近づけるとしても、小さなパーキングエリアで降ろしてもらうと次の車を見つけられない可能性があります。ヒッチレースでは戦略も重要。長く移動する人を待ち続けます。
疲れの色も見えてきたころ、「あのー」と声をかけると「え!どこまで行く?」とのりのりの返事がかえってきました。
トラック運転手の2人組で、これまでにもヒッチハイカーを乗せたことがあるようでした。中古の農機具を販売していて、別れ際には麦わら帽子をプレゼントしてくれました。
降ろしてもらったのは香川県の最西部、観音寺市の豊浜サービスエリア。5台に乗ってようやく愛媛を抜けました。
時刻は午後7時。25歳くらいの男性に最初に声をかけると、まさかの相手もヒッチハイカー。レースとは無関係で、個人でヒッチハイクをしている人でした。
仲間ができ、サービスエリアで2人で手分けして声をかけていくと、20分ほどでドライブが趣味だという人に出会いました。
「目的なく高速道路をうろうろ走っているらしくて、『京都まで送ってあげてもいいよ』って言われて結構悩みました。ここで京都に帰れば順調なクリア。ただ本州を1台で帰るのはおもしろみに欠けるな思って…」
ヒッチレースでは、早く帰ることよりも過程の「おもろさ」が大事です。
そこで、岡山市の吉備サービスエリアで降ろしてもらいました。
車中ではその人が東京に住んでいた頃の最寄り駅が実家の最寄り駅だと分かり、地元のラーメン店の話で盛り上がったといいます。
午後9時半。本州に戻るのにかかったのは12時間。
ヒッチハイク仲間にもらった紙とペンで、「京都方面 #ヒッチレース2025」と掲げながら何人かに声をかけますが、不発が続きました。
しかし、一度は断ったカップルが食べ物を持って戻ってきてくれました。
「断ったあとに『ヒッチレース』って検索して、過去のレーサーたちの過酷な道中を見て同情してくれたみたいでした」
兵庫県西部の姫路市に住んでいるにも関わらず、東部の宝塚北サービスエリアまで送ってくれて、午前2時になりました。
深夜で人気(ひとけ)もなく、一度寝ようとしていたら、なんと「お迎え」が現れました。
「ヒッチレースの人ですか?」。50代くらいの男性に突然声をかけられて驚く小林さん。
実はXで自身の居場所を実況しており、それを見て来てくれた見知らぬ人でした。
自分の姿はXに投稿していませんでしたが、麦わら帽子をもらったことは書き込んでおり、それを目印に見つけてくれました。
「乗るかちょっと悩みました。なんだかタクシーを呼んでしまったようなものだし、ずるじゃないかなって」
しかしレースに参加した動機は「いろんな種類の人と話したい」。ヒッチレーサーを乗せたがっている変わった人と話してみたいと乗車を決めました。
これまでの道中のエピソードを話すと、ボードをほとんど使わずにひたすら声をかけて乗せてくれる人を探すスタイルは珍しいといい、「そんな行動的な人あんまりいないよ」と褒めてもらったそうです。
吉田寮にたどり着いたのは午前4時過ぎでした。
新しいことをしてみたい、知らない人と出会いたいという気持ちで初参加したヒッチレース。
「乗せてもらった8台全部の人が属性がばらばらで、『ガチャを8連したら誰も属性がかぶらなかった』って感じです。その人の境遇や生い立ちを知れるのがおもしろかった」と振り返ります。
「今回ほどの鮮烈な体験をできる気はしないので、一度だけの経験にしておこうかなと思います」と言いつつ、「楽しさにやみつきになって来年も来てしまうかもしれません」。
日曜早朝に戻ってきたあとぐっすり寝て、月曜の授業にはしっかり出席したそうです。
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