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「戦後、金シャチは茶釜に…」名古屋人が知る〝通説〟は誤り?真相は
記事に大きな反響「違ってたなんてショック」

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記事に大きな反響「違ってたなんてショック」
空襲で焼けた金シャチが、茶釜に生まれ変わった――。名古屋市民は広く知っているこのエピソードが、「誤り」だった可能性が出てきました。研究している学芸員に話を聞くと……。(朝日新聞名古屋報道センター・松島研人)
名古屋城の「金の鯱(しゃちほこ)」ですが、1945年5月14日の空襲で焼けて、戦後に「金の茶釜」に生まれ変わった――というエピソードが広く知られています。
炎上した金シャチの燃えがらを進駐軍が接収。のちに市に返還され、茶釜に加工されたという通説です。
しかし、名古屋城調査研究センターの朝日美砂子学芸員が、返還の際に大蔵省(現財務省)が市に宛てた文書を読み返すと、こんな記述を見つけました。
「現在、国が保管している合金の地金のうちには(中略)同一品位及び同一重量のものがありませんので(中略)評価額に相応する他の合金を引き渡すこととしております」と書かれれていたのです。
文書の通りなら、返還されたのは金シャチとはまったく関係のない合金だったことになります。
では、本物の燃えがらはどこへ行ったのか――。真相は分かりません。
朝日さんは「戦争という大きな時代の流れの中で、こぼれ落ちてしまったのでしょう」と話します。
通説を覆すこの「発見」について報じると、「仰天エピソード」「違ったなんてショック」などとネット上でも大きな反響がありました。
「尾張名古屋は城でもつ」とうたわれた名古屋城。そのシンボルである金シャチは、名古屋市民にとって大事なアイデンティティーなのだと感じました。
金シャチが返ってきたというストーリーは、市民が「そうであってほしい」と願った末の誤解だったのかもしれません。
現在の2代目金シャチも人気です。2021年に16年ぶりに地上に下ろされた際には、近くで一目見ようと多くの人が列をなしました。
当時、名古屋に赴任したばかりだった私は行列に圧倒されて尻込みしましたが、今回の取材で金シャチの存在の大きさを改めて感じ、並んででも触れておけば良かったと、少し後悔しています。