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九龍=クーロンじゃない?トワイライト・ウォリアーズが選んだ読み方

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かつて香港にあり、おびただしいビルが密集した異様な姿で知られる「九龍城砦」。ゲームや映画の題材にもなり、日本では「九龍城=クーロンじょう」という読みで親しまれてきました。しかし、この九龍城砦を舞台にして大ヒットした映画「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」では、「きゅうりゅうじょうさい」と読ませています。クーロン読みを「あえて使わなかった」という配給会社に、その理由を聞きました。
トワイライト・ウォリアーズは、1980年代の九龍城砦を舞台に、裏社会の抗争と人情を描くアクション映画です。香港映画としての観客動員数は歴代1位を記録。日本でもSNSに多くのファンアートが投稿され、出演俳優が雑誌「anan」の裏表紙を飾るなど、2025年1月の公開からじわじわと盛り上がりが広まっています。
映画の「第二の主役」とも言えるのが、舞台となる九龍城砦です。徹底したリサーチでセットを作り上げ、当時の混沌とした様子を、落書き一つ一つまでこだわって再現。大きな見どころとなっています。
筆者もこうした九龍城砦の描写が気になり劇場へ。タイトルもてっきり「クーロンじょうさい」と読むものだと思っていました。しかし購入した公式パンフレットには、「きゅうりゅうじょうさい」という読み方。「おや?」と思い確認すると、公式ホームページの表記、予告編動画のナレーションも、クーロンではなく「きゅうりゅう」という読みで統一されていました。日本語吹き替え版も、「きゅうりゅう」と発音しているそうです。
なぜ、日本でなじみのある「クーロン」ではなく、「きゅうりゅう」の読みを採用したのでしょうか。
クロックワークス(東京)で作品の配給を担当し、日本国内でのプロモーションを手がけた小柳大和さんは、「日本での上映が決まった当初から、邦題の読みは『きゅうりゅうじょうさい』で行こうと決めていました」と話します。
そもそも「九龍」の発音は、広東語で「ガウロン」。香港で「クーロン」と言っても通じません。
小柳さんは「確かに日本では、『クーロン』という読みが映画や漫画などのポップカルチャーのなかで使われ、定着しています。ただこれは日本人が作り上げた和製英語というか、『犯罪都市』『危険』といったイメージの強い、フィクション性を帯びた言葉になっていたと思います」
「今回の映画もフィクションではありますが、九龍城砦という実在した場所と、そこで生活した市井の人々が登場する。事実や歴史への敬意を示すためにも、『クーロン』ではない日本語の音読みを採用するのが自然と考えました」
小柳さん自身、親の仕事の都合で幼少期にたびたび香港を訪れ、イギリス領時代の話を現地の人から聞いていたそうです。「香港が背負ってきた歴史の重みを、個人的に強く意識していました」と言います。
「最初にあがってきた日本語字幕案もルビは『きゅうりゅう』でしたし、本作のアクション監督を務め、香港生活の長い谷垣健治さんも『きゅうりゅうじょうさい』と呼んでいました。これ以外の選択肢はありませんでした」
ちなみに、九龍城砦をすべて広東語読みにすると「ガウロンセンツァイ」。日本でのなじみにくさから、こちらは採用されなかったそうです。
そもそも、現地で通じない「クーロン」という読みはどのように生まれ、日本で広まったのでしょうか。
「九龍城寨の歴史」(みすず書房)の日本語訳を手がけ、中国・香港の近現代史を専門とする東京外国語大の倉田明子准教授によると、少なくとも19世紀後半には「クーロン」という読みが存在していたそうです。
倉田さんは「1886年10月13日付の明治政府の官報に、『英領クーロン』という表記が出てきます。わかる限りでは、これが一番古い。内容は、上海領事館から日本の外務省宛てに送られた商業に関するリポートで、領事館にいる日本人のあいだで『クーロン』と呼ばれていた可能性があります」。
当時は、香港がイギリス領だった時代。九龍は英語で「Kowloon(カウルーン)」と表記されていました。こうした表記や、イギリス人の英語の発音になんとかカタカナをあてようとした結果、読み方のバリエーションの一つとして「クーロン」読みが生まれたのではないかと、倉田さんは話します。
なおネット上には、クーロン読みは「日中戦争勃発後に現地の日本陸軍将兵の間で使われたクレオール言語」といった説もあります。ただ、根拠となる資料が見当たらないこと、日中戦争の勃発(1937年)より前にクーロン読みが存在することから、倉田さんは「この説は不確か」と考えているそうです。
「日本に占領されていたころの記録は今も香港のいろんなところに残っていますが、それがクーロンという読みと結びついている印象はありません」
戦後になると、クーロン読みは洋画雑誌や旅行記にたびたび登場。また直接の関連は不明ですが、ベトナム戦争に関する書籍の中には、メコン川の支流を「九龍(クーロン)川」とする表記が存在しました。
そして1984年、イギリスから中国への香港返還が決まり、日本でも香港への注目が高まっていきました。このころから、「九龍(クーロン)の狼」(1986年)や、ジャッキー・チェン主演の「ポリス・ストーリー2/九龍の眼(クーロンズ・アイ)」(1988年)など、邦題にクーロン読みを使った映画作品が増えていきます。現地への旅行客も増え、「香港ブーム」とも呼ばれる状態でした。香港が返還された1997年には、九龍城砦をモチーフにしたゲーム「クーロンズ・ゲート」が発売されヒットを飛ばしました。
「確定的なことは言えませんが、一連の香港ブームのなかで、九龍城砦の異様な姿に注目が集まり、それが映画やゲームのクーロン読みと結びついて広がっていったのではないでしょうか」
倉田さんも、トワイライト・ウォリアーズが「きゅうりゅうじょうさい」という読みを選んだことを歓迎しているといいます。
「日本で『クーロン城』と言うと、『魔窟』『悪の巣窟』といったイメージで、文脈がすごく固定されてしまう。今回の映画はそれだけじゃなくて、そこに生活する人がいて、ある種のよりどころとなっていた側面も伝えようとしています。香港では、歴史の変化の中で失われた古き良き香港のイメージを、映画の九龍城砦に重ねる人も多い。これまでの固定された文脈から切り離すためにも、『きゅうりゅうじょうさい』を選んだ判断はよかったと思います」
「いっぽうで日本では『クーロン城』という読みがすごく浸透しています。絶対に使うべきではない、とまでは思いません。クーロン読みを入り口に香港に興味を持った人も相当いますし、それも日本が受容した香港文化の一つの形態ではないでしょうか」