連載
#88 イーハトーブの空を見上げて
「今こそ必要な情報を」 山林火災の避難解除、走り出した配達バイク

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#88 イーハトーブの空を見上げて
Hideyuki Miura 朝日新聞記者、ルポライター
共同編集記者大火災で傷ついた町が、ようやく動き始めようとしている。
岩手県大船渡市三陸町の綾里地区にある酒店兼新聞販売所「千葉梅商店」は12日未明、約2週間ぶりに新聞配達を再開した。
「ここは高齢者が多く住む地域。今こそ新聞の情報が必要だと思って」
午前3時半。千葉エツ子さん(77)は、こたつの置かれた民家の10畳間に正座をして新聞の仕分けを始めた。
19歳で結婚してから約50年、この「こたつ部屋」で毎朝、新聞配達の準備をしてきた。
「昔は午前8時の路線バスで新聞が届いた。地域住民の多くが漁師だったから午前中に配ればよかった」
今は大船渡市内に通う会社員が増え、午前2時に市中心部に新聞を取りに行き、朝の出勤前に配っている。
新聞販売所は多数の民家や店舗が焼け落ちた商店街の中ほどにある。
以前は綾里地区を中心に全国紙や岩手日報、東海新報など約700部を配っていたが、火災の影響で約50部減ってしまった。
「さあ、行こうか」。配達員の阿部則雄さん(76)は、被害が大きかった港地区や石浜地区の担当だ。
仕分けされた新聞を受け取り、バイクにまたがると、ヘッドライトの光で骨組みだけになった家屋や店舗の焼け跡が暗闇に浮かび上がる。
新聞を一軒ずつ配って回りながら、阿部さんは「俺の担当は、ずいぶんと焼けてしまったなあ」と言った。
14年前の震災では、店のすぐそばを流れる川を津波が逆流し、大きな船が押し流されてきた。
千葉さんは近くの山に駆け上り、店も無事だったため、1週間休んだだけで新聞配達を再開した。
それが、今回の火災では約2週間休んだ。
火災が発生した2月26日、近隣地域で火が出ていると聞いて店に戻ると、近くの民家から火が上がっていた。
貴重品と位牌を抱えて夫らと一緒に親類の家に身を寄せた。
避難中は大きな不安を抱えていた。
店は燃えずに残っていると知人から聞かされていたが、新聞やお酒、食品を配達している地域の人々の家は焼失している。
「自分だけが無事でも、地域が失われてしまえば、商店や新聞配達業は成立できない」
避難解除された10日、そんな不安が少しだけ薄らいだ。
店内を掃除して店を開けた瞬間、近隣住民らが食品や晩酌用のお酒を求めて押し寄せてきた。
近所の主婦小谷あけみさん(69)は、首都圏の知人に宅配便で地元のシイタケを送りに来た。
「色々心配掛けたから、感謝の気持ちなの」「あらあら、ずいぶんとお人よしさん。どっちが被災したのかわからないわね」
客は商店のテーブルでコーヒーを飲み、互いに雑談をして帰っていく。
千葉さんは「この地域はみんなが家族みたいなものだからね」と柔らかく笑う。
震災と火災に見舞われた地域がこの先、どう変わっていくのか。
不安もあるし、限界もある。
「それでも命さえあれば、頑張っていける。あとは一歩一歩、前に進んでいくだけ」
(2025年3月取材)
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