連載
#86 イーハトーブの空を見上げて
焼け落ちた自宅の前で黙禱 「もう一度、ここに家を」…14年目の祈り

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#86 イーハトーブの空を見上げて
Hideyuki Miura 朝日新聞記者、ルポライター
共同編集記者山火事から地域を救ったのは、やはり雨だった。
岩手県沿岸南部では3月5日、16日ぶりに雨や雪が野山に降り、それまで大蛇のように暴れ回っていた火の勢いをそいだ。
大船渡市は雨から2日後の7日、新たな延焼は確認されないとして、一部の地域の避難指示を解除した。
避難解除は防災放送で伝えられ、一部の住民が10日ぶりに自宅に戻った。
「やった、小学校が残っていた」
赤崎小学校1年生の山口夢翔(ゆめと)さん(7)は、赤崎町の自宅に戻るとすぐに母の千鶴子さん(44)とバットとグラブを持って近くの小学校に向かい、キャッチボールを楽しんだ。
「ずっと野球がやりたかった。避難中はあまり体を動かせなかったから。思いっきり野球をやるぞお」
5日の雨を境に火災は沈静化に向かい、発生から12日目の9日、大船渡市はようやく鎮圧を宣言。
翌10日には、すべての地域の避難指示を解除した。
前日の晩はほとんど眠れなかった。
自宅が残っている7日の一部の地域の避難解除とは違い、10日に解除される地域には、自宅や店舗を焼失した集落が含まれている。
「思い出深い集落が、火事でこんなにも変わってしまうなんて……」
漁業の中島重男さん(82)と妻の英子さん(80)夫婦は、八ケ森地区にある焼け落ちた旧自宅の前に立ち尽くしていた。
結婚後、漁船員だった重男さんが必死に働いて、英子さんの実家のすぐそばに建てた家。
30年以上住んで2人の子を育てた後、綾里の別地区に転居したが、津波で被災。
震災後は再び旧自宅で生活を送った。
「子どもを育てた喜びも、震災後の苦しみも、この家には染みついています」
英子さんは近くの実家も焼失していた。
集落では、約10軒あった民家の大半が焼け落ちている。
集落の中で奇跡的に被害を免れた民家の男性は「うちを含めて数軒しか残っていない。周囲を見る限り、とても喜べる状況にない」とつらそうに話した。
翌11日は、東日本大震災から14年目の祈念日だった。
地震が発生した午後2時46分、火災の被害が最も大きかった港地区で待機していると、高校1年生の東川樺恩(かのん)さん(16)が友人を連れて現れ、自宅の焼け跡の前で黙禱をした。
「思い出がたくさん詰まった家が燃えてしまって」と東川さんは黙禱後の取材に言った。
約40年前に建てた家で、両親と祖母、親戚の5人暮らし。
母が自宅から持ち出せたのは高校のジャージーぐらいだった……。
「できれば、小学校と中学校のアルバム。それにアルバイトで買ったヘアアイロンを持ち出したかったんですけれど……」
「えっ、ヘアアイロン?」
高校生らしい飾らない答えに、一瞬ほおが緩んだ。
「燃えてしまったものは仕方がないし、いつまでも悲しんではいられない。家族とは『もう一度、ここに家を建てて暮らそう』と話しています」
そう前を向いて語る高校生の姿に、励まされるようにシャッターを切った。
(2025年3月取材)
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