連載
#149 鈴木旭の芸人WATCH
『ダウンタウンDX』32年続いた〝魅力と特異性〟まれなコンビMC
お笑いセオリー破壊の芸風

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#149 鈴木旭の芸人WATCH
お笑いセオリー破壊の芸風
今年6月の放送で終了することが発表された『ダウンタウンDX』(読売テレビ/日本テレビ系)。改めて、32年続いた番組の魅力とは何だったのか。これまでの変遷や4月からの代役MCを振り返りつつ、過去に浜田雅功が語っていた言葉を含めて番組の魅力と特異性について考える。(ライター・鈴木旭)
今月21日、約32年続いた番組『ダウンタウンDX』が6月26日の放送をもって終了することが発表された。
放送開始は1993年10月。当初は、少人数でのトーク番組で、MCのダウンタウンが大物ゲストを迎え、さまざまな角度からエピソードを引き出す内容だった。
第1回のメインゲストは菅原文太。その後も、〝国会の暴れん坊〟の異名を持つ政治家・浜田幸一、和田アキ子、北島三郎、加賀まりこ、上岡龍太郎など、触れ込み通りの大物たちと緊張感の中にも笑いを交えたトークを繰り広げていく。
1994年からクイズコーナーとトークコーナーで構成されるようになり、1995年10月からトークをなくしたクイズ番組へとシフトする。「占い師」「美容整形外科医」など特定の条件の人たちに芸能人のさまざまなイメージを調査した「イメージレース」を軸に、ギャンブル形式のクイズ番組として人気を博すようになった。
1997年に入ると、今度はクイズからゲームの色合いが強まっていく。「名前を呼んで!」「3円落として!」などさまざまなコーナーがあった中、特に11個のボールを壁の穴に投げて入らなかったものを拾い、3投目までに入った個数が得点となる「3回投げてイレブン」は、タカラ(現・タカラトミー)が玩具版を発売するほどのブームとなった。
こうした試行錯誤を繰り返す中で、1998年10月から新たなセットにリニューアルされる。ゲームコーナーを残しつつではあるが、毎回6~8組ほどのゲストを招き、トーク中心のスタイルになったのはこの時期だ。以降、大御所や旬なタレントをゲストに迎える「公開収録のトーク番組」として定着していった。
番組開始から30周年、およびコンビで還暦を迎えた矢先、ダウンタウンにまさかの事態が訪れた。
2024年1月、松本人志が「週刊文春」による性加害疑惑の報道を受け、裁判に専念するとの意向から芸能活動を休止。そして、今年3月にひとりでMCを務めてきた浜田雅功が体調不良のため一時休養を発表し、コンビで番組から離れることになった。
これに伴い、4月から続々と代役MCが登場し始めた。初回の3日は、かまいたち。冒頭から濱家隆一が「1回叩いとこ!」と浜田をまねて勢いよくゴングを鳴らすも、直後に「やっぱ緊張でしょうかね。(ハンマーを)反対向きに叩いてました」と自身の失敗をさらして笑わせる。
一方の山内健司も、トークテーマ「××しないと気が済まない」の中で「ヴィンテージでプレミアの値段がついてるのしか着ない」「でも、俺が着るとヴィンテージの値段の相場が下がる」としたり顔を見せるなど、らしい立ち回りで場を沸かせた。
続く10日は、千鳥が担当。登場間もなく、ノブがゲストの表情を見て「全員の顔がうっすらゆるくないですか?」と自分たちとダウンタウンに対する姿勢の違いを指摘。さらに「今日は『ダウンタウンDX』のキッザニアだと思って」とかぶせて笑いを誘う。
大悟は、ゲストの三代目 J SOUL BROTHERS・今市隆二が24歳当時の雄々しい写真を見て「インドネシアの偉いさん」と例えて会場を沸かす。これにノブが「ファイナルファンタジーみたい」と続けて今市本人を吹かせるなど、息の合った掛け合いで番組を盛り上げた。
17日は、ロンドンブーツ1号2号・田村淳。序盤こそ「ひとりでやるのが超不安」と漏らし企画タイトルをスッと言えない場面もあったが、以降はいつものように的確なツッコミと歯切れの良い進行でスタジオを温めていく。
この日のトークテーマ「芸能人のスマホ写真」に敦自身も積極的に参加し、「各国の電柱の写真」「『巨人vsドジャース』観戦時の父親の写真」「過酷な海外ロケで撮った若手時代のコンビの写真」にまつわるエピソードを喜々として紹介。品川庄司・品川祐から「しゃべるなぁ!」とツッコミが入るほどの冗舌ぶりを見せていたのが新鮮だった。
とはいえ、ひとたび番組終了が発表されると、にぎやかなお祭り騒ぎのイメージはすっかり消えてしまった。筆者自身、番組スタート時から見ているためか、〝当たり前にあるもの〟が消えてしまう寂しさがドッと押し寄せてきた。
現在、地上波で放送中の「芸人コンビMCによるトーク番組」に視線を向ければ、キー局ではごく限られることに気付く。目立つところでは、『ダウンタウンDX』、『あちこちオードリー』(テレビ東京系)、『紙とさまぁ~ず』(同)ぐらいしか思い当たらない。
「情報バラエティー」「クイズ番組」に枠を広げても、MCは主にツッコミが担当し、パネリストや解答者といった役割をボケが担うケースがほとんどだ。『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日系)のように、さまぁ~ず、優香、高山一実の4人でMCに臨むパターンは非常に珍しい。
長いテレビ史においても、かねてピンで番組MCを務めるのが定石だった。萩本欽一(コント55号)や三波伸介(てんぷくトリオ)をはじめ、1980年代初頭の漫才ブームのメンバーでは、ビートたけし(ツービート)や島田紳助(島田紳助・松本竜介)らが次第にMCとして頭角を現した。
この流れを覆したのが、1980年代後半に「お笑い第三世代」と呼ばれた、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンらではあるものの、やはり芸歴を重ねるうちにピンでの出演番組が目立っていった。〝芸人コンビMCの番組〟という条件を加えれば、『ダウンタウンDX』は30年以上続いた唯一の番組となる。
そこには、さまざまな理由が想像されるが、現在の明石家さんま、所ジョージといった大御所の活躍を見ていると、「旬な芸能人の組み合わせでない限り、番組の顔は技量のある人気タレントひとりで十分」という番組制作側の意図が見て取れる。司会進行という役割だけを考えれば、局のアナウンサーでも対応できるからだろう。
では、コンビでMCを務める『ダウンタウンDX』は、なぜ長寿番組になり得たのか。
それは、ダウンタウンというコンビの特異な芸風によるものだと考えられる。2012年11月発売の『SWITCH Vol.30 No.12』(スイッチ・パブリッシング)の中で、コンビ結成30周年を迎えた当時の浜田雅功が、番組の特徴をこう振り返っている。
「あの番組はゲストの良さを引き出すことと、あとは二人で笑ってるところが一番の見せ所だと思っているんです。『あっ、これは笑うんや』とか『他の人は笑うてないのに、何で二人だけでこれ笑うてんねん』とか、何かもうそこかなと思ってるんです」
基本的にお笑いは大衆向けのものであり、臨機応変に「視聴者が面白い」と感じるジョークを差し込むのがセオリーだ。しかし、ダウンタウンはこれを壊した。見る側に合わせるのではなく、ふたりが腹を抱えて笑う感覚を第一に番組を作ってきた。
俳優やミュージシャン、アイドル、アスリート、作家といった他ジャンルのゲストを自分たちの世界に引きずり込んで爆笑を起こし、最初はピンと来ていなかった視聴者も、あまりに楽しそうに笑うふたりを見て、もっとその感覚を知りたいと追いかけるようになった。
そんな魅力を放つコンビは、彼ら以前にいなかったように思う。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)で恒例だったフリートークが披露されなくなってからは、その真骨頂を見られる唯一の番組が『ダウンタウンDX』になった。
他方、テレビの顔となって久しい千鳥の笑いは、ダウンタウンと通じるものがある。特に『相席食堂』(ABCテレビ)は、それを痛感する番組のひとつだ。コンビでタレントのロケ映像を眺める中、違和感を覚えたタイミングで「ちょっと待てぇ!!」ボタンを押してVTRを止め、どちらかがパワーワードでツッコミを入れてはケタケタと笑い合う。
ダウンタウンのふたりが小学生の頃に出会い、中学から急速に交流を深めて後にコンビを組んだように、千鳥のノブと大悟も高校の頃に揃って文化祭の司会を務めるなど同じ青春時代を過ごした親友だった。何者でもない頃からお互いの笑いのツボを熟知し、その感覚をよりえぐってやろうと高め合ってきたからこそ成せる芸風だろう。
彼らのように、兄弟や姉妹、夫婦でも生じ得ない、学生時代の友人同士ならではの距離感で特有の面白さを放つコンビは非常にまれだ。だからこそ、そんな魅力の詰まった番組が終わるたび、こちらの感情も揺さぶられてしまうのだと思う。
4月19日放送の『ごぶごぶ』(MBSテレビ)の中で、〝浜田軍団〟として知られるライセンスの井本貴史は、浜田の提案で立ち上がった音楽フェスに「ご本人、『120%行く』ということをおっしゃってくださってます」と現在の思いを代弁していた。
このことからも、浜田は5月10日、11日に大阪・万博記念公園で開催予定の「ごぶごぶフェスティバル2025」からの復帰が濃厚とされる。その後、『ダウンタウンDX』や『ガキの使い』といったコンビの番組にも姿を見せるのか。浜田の動向を見守りたい。
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