連載
#85 イーハトーブの空を見上げて
夜風にあおられる炎 「何度でも立ち上がってやる」と思いたいけれど

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#85 イーハトーブの空を見上げて
Hideyuki Miura 朝日新聞記者、ルポライター
共同編集記者大船渡市を襲った山林火災は発生から1週間が過ぎても延焼が続いた。
日中は自衛隊や消防隊のヘリコプターが上空から消火活動を展開し、火勢が一時的に弱まるものの、日没と同時にヘリコプターが飛べなくなると、夜風にあおられて炎が山のあちこちからメラメラと立ち上がる。
3月5日朝の時点で、焼失面積は市の面積の約9%に及ぶ約2900ヘクタール。
避難指示の対象は、市の人口の約15%にあたる1896世帯4596人にまで及んだ。
避難指示区域の拡大に伴い、北東北の民間信仰「オシラサマ」の避難準備も始まった。
越喜来地区の民宿「嘉宝(かほう)荘」では「いつでも避難できる状態にしてください」と求められ、経営する嘉志一世(かしいちよ)さん(73)は保有する12体のオシラサマを大事そうに車のトランクに詰め込んだ。
「津波で民宿は全壊したけど、オシラサマだけは奇跡的に残った。今度の火災からもなんとかして守り抜きたい」
長期化する避難生活で、住民の多くが疲弊し始めていた。
「火災発生から1週間じゃない。もう2週間近くも避難生活を送っているんだ」
田浜地区の漁師、橋本憲実さん(81)は、力なく言った。
大船渡市で最初の火災が起きたのは2月19日。
自宅のある田浜地区の山から煙が上がり、綾里地区の公共施設に避難したが、自宅に戻れたのは25日夕だった。
翌日には再び近くの合足地区で火災が発生し、以来、親類宅に身を寄せている。
震災後の14年間で何度も生活の場を変えた。
3月11日の夜は海の上にいた。
「大地震が起きたら高台へ。男は船を沖に逃がせ」。地域の教えに従い、地震後すぐさま漁船を沖合に出した。
5分ほど漁船を走らせ、水深100メートルの海上でなんとか津波をやり過ごして振り返ると、津波がいくつもの集落をのみ込んでいた。
翌日、田浜地区に戻ると、妻は無事だったが、12年前に建てた家は全壊していた。
3年半、仮設住宅で暮らし、高台に家を再建して約10年。
今度は2度の火災に襲われた。
自宅が無事かどうかははっきりしない。
「何度でも立ち上がってやる」と思いたいが、「もし焼失していたら、この歳ではどうにもならない」とも思ってしまう。
「どうしてこの地域だけが、何度も災害に見舞われるんだ」。怒りとも嘆きともつかない声で言った。
窓越しに火災の煙が見える三陸公民館の避難所では、高校3年生の佐々木優輝さん(18)が、わんぱく盛りの弟・旺輝くん(5)の面倒を見ていた。
火災が発生したちょうど1年前に、母・弓美子さん(享年43)を病気で亡くした。
当日の夜は、家族で好きなデザートを食べながら、母との思い出を語り合う予定だった。
ところが、昼過ぎに綾里地区周辺で火災が発生。
自宅から母の遺影や家族のアルバムを持ち出して近くの公民館に避難してきた。
避難生活中、火が自宅周辺に及んでいると聞き、何度も胸が苦しくなった。
自宅は大工の父・一幸さん(44)が建て、母が病死する直前まで過ごした思い出の家。
一方で、大きな目標が直前に迫る。
23日に大分市で開かれる太鼓の全国大会。
地域の伝統芸能で太鼓役を務める父に憧れて笛に親しみ、高校では太鼓部員として、3年生5人を含む計20人で厳しい練習を続けてきた。
「母に聞いてほしいし、被災した地域の方々を元気づけられる演奏をしたい」
一幸さんは長引く避難で今後の出費が見通せず、ネット配信を見ながら応援する予定だという。
「思い残すことなく、最高の演奏をしてきてほしい」と願いを込める。
(2025年3月取材)
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