連載
#82 イーハトーブの空を見上げて
なぜ〝別の男〟を語ったか…「遠野物語」に残る先祖の悲しみと重ねて

連載
#82 イーハトーブの空を見上げて
Hideyuki Miura 朝日新聞記者、ルポライター
共同編集記者柳田国男の「遠野物語」の99話目に、次のような話が出てくる。
土淵村(現遠野市)の助役の弟・福二が田の浜(山田町)に婿に行き、1896年の明治三陸大津波で妻と子を失った。
1年後の夜、霧の中で亡き妻と、やはり津波で亡くなった、かつて妻が心を通わせたという男と出会う。
妻は「今はこの人と夫婦になった」と福二に告げ、男と共に立ち去る。
福二は一晩立ち尽くし、その後、病んでしまう……。
福二は実在の人物で、戸籍上は「福治」といった。
「とても謎めいた話です」
福治の子孫である山田町の元町職員・長根勝さん(65)は、かつて福治が亡き妻と遭遇した浜に立ち、神妙な顔つきで語った。
「不思議なのは、福治がなぜ、この話を誰かに語ったのかということです。誰にも語らなければ、遠野物語にも残らなかったわけですから」
長根さんは福治の4代下の玄孫(やしゃご)。
福治と同じ田の浜で母や妻、娘と暮らしていたが、東日本大震災で自宅は全壊。母の享(きゃう)さん(享年78)を失った。
享さんからは生前、「遠野物語を読め。うちの先祖の話が出てくるから、しっかり覚えておけ」と言付けられていたという。
母や大切な故郷を失い、悲しみに暮れる中で、百年以上前の先祖の話を読み返した。
99話は、亡き妻がかつて心を通わせた男とあの世に行ってしまうという、男性にとっては切ない話だ。
「男の幻影を登場させたのは、福治の優しさなのではなかったか」
長根さんは震災後、そう思うようになった。
「最愛の妻を無事あの世へと送り届けるための、彼なりの思いやりだったのではないでしょうか」
一方、長根さんの長女で、福治の来孫(らいそん)にあたる璃歩(りほ)さん(28)は「別の男の存在は、福治が前を向くためだったのではないか」と考える。
「自分には守るべき子がいる。妻には別の男がいると考え、思いを断ち切るためだったのでは」
長根さんも璃歩さんも震災後、大好きだった享さんを亡くし、気持ちが長く落ち込んだ。
しかし、震災の夏に相次いで享さんが夢に出てきて、救われたような気持ちになったという。
「先祖が残した99話は『けじめ』と『再生』の物語だったのかもしれません」(璃歩さん)
警察庁によると、東日本大震災の死者は1万5900人、行方不明者は2520人(2024年2月現在)。
震災から14年が過ぎようとしている中でも、多くの人々がいまだ悲しみの中にいる。
享さんもまだ見つかっていない。
長根さんは「福治は、津波の恐ろしさや震災後の悲しみを物語にして、後世に語り継ごうとしたのかもしれない」。
現在、講演などを通じて、遠野物語から続く自らの系譜や、母を失った悲しみなどを、後世に伝える活動に取り組んでいる。
「忘れてはいけない過去がある。かつて福治がやったように、私も私なりの方法で、子孫に語り継いでいきたいです」
(2025年2月取材)
1/11枚