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ラグビーの試合、観客が倒れた…AEDを運ぶRED SEATとは
スポーツの応援に熱の入るスタジアムで、観客が突然、倒れた――。スポーツ観戦のお客さんに心停止のリスクがあることは、あまり知られていません。広いスタジアムのどこにAED(自動体外式除細動器)があるかすぐに分からないことも……。そんななか、ラグビーのジャパンラグビーリーグワンでは、観客の救護にあたる体制づくりが進んでいます。シーズンが始まったスタジアムを取材しました。(withnews編集部・水野梓)
記者が向かったのは昨年末、横浜市港北区にある日産スタジアム。
NTTジャパンラグビーリーグワン2024-25の開幕節、横浜キヤノンイーグルスのホストゲーム(対東芝ブレイブルーパス東京)で、すでにスタジアム付近は試合に向かうファンが列をなしていました。
試合開始前、イーグルスの観客救護担当・医師の藤江聡さんとスタジアムの「7階」にあたる客席の通路を歩いていたとき、藤江さんの無線に連絡が入りました。
「救護が必要な人が出たという情報が入ったので、救護室まで向かいますね」
急いで救護室のある「4階」に降りていきます。最大7万2千人が収容できる日産スタジアムを初めて訪れた記者は、その階段の急勾配に驚きました。
救護室は東西に2カ所ありますが、行き来すると徒歩で10分ほどかかるほど、広さもあります。
救護室で診察を受けたのは、スタジアムに来る途中で転倒して頭にけがをした人でした。脳振盪の疑いがあり、藤江さんは、試合時の後方支援病院への受診を促したといいます。
藤江さんは「スポーツ観戦ではお酒を飲む観客もいるので、ケガのリスクはあります。ほかにも夏は熱中症に注意が必要です」と言います。
さらに迅速な対応が必要なのが、観客の心停止です。
藤江さんは「スポーツ中の選手の心臓突然死は知られるようになってきましたが、試合観戦で興奮している観客のリスクはあまり知られていません。10万人の観客がいれば、0.25人から0.73人に心停止が発生するというデータもあります」と指摘します。
実際に、これまで日産スタジアムで開催されたラグビーの試合でも、観客の心停止の事案は起こっています。
2019年11月、ラグビーワールドカップ2019日本大会の決勝で、試合開始前に1階席で観客の高齢男性が倒れました。
幸い、近くの観客に医療従事者がいたため、AEDを使って処置され、一命をとりとめたといいます。
この日、イーグルス側は、ボランティア23人が観客の救護にあたる「RED SEAT」の取り組みを導入していました。
ボランティア「RED SEATER(レッドシーター)」は、広いスタジアムの観客席に間隔をとって、ピンク色のビブスを着て、観客のようすに目を光らせます。
観客が倒れた場合、真っ先にAEDを持ってきて、胸骨圧迫(心臓マッサージ)にあたります。
その際は、日本AED財団が開発した救命スポーツアプリ「RED SEAT」を活用して、ほかのメンバーや救護室にいる医師・看護師たちと情報をやりとりします。
イーグルスの救護体制の担当者・柳川祥子さんによると、AEDの啓発動画に選手が出演したり、試合会場で救命講習をしたり、AED財団と関わりがあったことから、2020年にRED SEATの実証実験の計画が持ち上がりました。
2020年はコロナ禍で試合自体が中止となってしまいましたが、その後、2022年からRED SEATを導入しました。
イーグルスのRED SEATの取り組みは、年々ブラッシュアップを重ねています。
日産スタジアムは最大7万2千人が収容できる大きさに対し、もともと配置されているAEDは救護室にある2台です。チームが独自にレンタルし、この日はAEDを計8台配置しました。
AEDの近くには、「AEDここにある!」「AEDこっちにある!」というポスターを貼って、認知度拡大にも努めます。
RED SEATのボランティアには、イーグルスが社内で募集した人や、医療系の学校の学生たちが参加し、統括はイーグルスが契約している看護師が務めます。
通年でボランティアに登録しているのは45人ほどで、会場の大きさにあわせて人数を調整して配置しているそうです。
試合の日はボランティアが早くから集合し、救命講習を受けて、観客救護にあたります。
試合会場では、RED SEATの取り組みについての動画も大型ビジョンで流して、観客への周知にも取り組んでいます。
ラグビーのリーグワンでは、ほかにもNECグリーンロケッツ東葛がRED SEATの取り組みを導入しており、クボタスピアーズ船橋・東京ベイが国士舘大学と連携して観客救護体制をつくっています。
イーグルスの柳川さんは、「現在はチームごとに取り組んでいますが、リーグ側でAEDの台数を確保してもらえればこの取り組みはリーグ全体に広がるだろうと期待します。また対処能力を高めるためにも他の試合での心停止事例などの情報共有が進むとありがたいですね」と話します。
もともと看護職として産業保健の分野で働いていたという柳川さん。「大勢の人がいる環境で誰かが倒れたり、災害が起きたりといった緊急時の体制を整えることは『万が一のこと』と後回しにされがちですが、本当はすごく大事なことです」と指摘します。
「ラグビー自体は激しいスポーツだからこそ、ピッチレベルの安全意識は非常に高いんです。その意識を観客にも向けてほしい。観客が倒れた事案は意外と身近にありますが、そうした情報に触れる機会が少ないため、広く認識されていないと考えています」と訴えます。
「横浜キヤノンイーグルスの最終的な目標は、ボランティアを配置しなくても、『観客ひとりひとりが、ほかの観客が倒れたらAEDを持ってくるRED SEATERになれる』ことです。ぜひ多くの人にこの取り組みの大切さを知ってもらいたいです」と話しています。
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