連載
#72 イーハトーブの空を見上げて
「この指とまれ」の手芸仲間 震災、豪雨も…手を動かせば忘れられる
寂しい夜には針を持つ。小さな人形を手作りしながら、一人静かに考える。
震災のこと。豪雨被害のこと。家族のこと。地域のこと。
岩手県山田町の田の浜集落で暮らす加藤信子さん(80)は一人暮らしだ。
2015年に長男を、20年に夫をそれぞれ病気で失った。
手芸を始めたのは東日本大震災のとき。
田の浜では海に面した山に張り付くようにして集落がある。
明治三陸津波でも、昭和三陸津波でも被害が出たため、家々は比較的高い場所に建てられていた。
でも、東日本大震災では予想以上の津波が地域に押し寄せた。
高台にあった加藤さんの自宅は床下浸水ですんだものの、冷凍加工の職場は流されてしまった。
震災後、集落の住民たちは仮設の集会所に集まり、ただお茶を飲んで過ごした。
そんな日々の中でふと、「手を動かしたい」と思った。
立ち上げた手芸サークルの名前は「この指とまれ」。
「幼いころ、一緒に遊ぶ子を集めるときに、こう呼んだのよ。『この指と~まれ』って」
集落の約20人の女性が集まり、古着や布の切れ端を使って手芸作品を作り始めた。
ペンギンやヒヨコ、ハトなど可愛らしい人形や、干支(えと)の動物、地域で取れる海産物など。
「作る対象は何でもよかったのよ。みんなで笑いあって手を動かしていれば、悲しいことを忘れられる。そう思って始めたことだから」
19年、田の浜集落は台風19号の豪雨で再び大きな被害を受けた。
それでも住民同士が支え合い、手芸サークルの活動を続けた。
20年に夫が亡くなり、家が急に静かになった。
ある日、夫が使っていた6畳間に手作りした数百の手芸作品をちりばめてみた。
「パアッと明るい世界が広がってね。ああ、きれいだな、うれしいな、生きていて良かったな、と思いました」
手芸の会合はもうすぐ500回を迎える。
静かな夜に1人、部屋で作品を見つめると、その一つひとつが、制作時の思い出を引き連れて語りかけてくるような気がする。
「手芸作品は、本当は物を言わないのだけれど、ずっと見ているとね、時々話しかけてくれるのね。あの時はこうだったなあ、あの人こんなこと言って笑わせてくれたなって」
6畳間の展示を聞きつけ、集落の知人らが「見てみたい」と訪ねてきてくれるようになった。
加藤さんは今、その訪問者の一人ひとりを大学ノートに書き留めている。
「今の私を支えてくれている、大切な人たち」
ノートに並ぶ名前は、100人を超えた。
「今年は何が起こるだろう。でも大丈夫。この人たちと作品が私の心を守ってくれる」
(2022年11月取材)
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