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サヘルローズさん「死にたい」と母に伝えたら…いじめ経験で思うこと

子どもの「助けてほしい」というシグナルに気づいてほしい、と語るサヘル・ローズさん
子どもの「助けてほしい」というシグナルに気づいてほしい、と語るサヘル・ローズさん 出典: 写真はいずれも笑下村塾提供

目次

8歳の頃に、イラン人の養母とともに来日した俳優のサヘル・ローズ(39)さん。中学生時代に受けたいじめでは「お前も不法滞在者か?」「覚醒剤売ってるのか?」といったひどい言葉を投げつけられ、突き飛ばされるといった暴力にも発展したそうです。それでも、自分のために身を粉にして働いていたというお母さんには「言えなかった」というサヘルさん。当時の思いと、今つらい思いをしている子どもやその家族に伝えたいことを聞きました。(聞き手:たかまつなな/笑下村塾)

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サヘル・ローズさん:1985年イラン生まれ。7歳までイランの孤児院で過ごし、8歳で養母とともに来日。2018年公開の主演映画「冷たい床」でイタリア・ミラノ国際映画祭の最優秀主演女優賞。芸能活動以外にも、国際人権NGOの「すべての子どもに家庭を」の活動で親善大使を務めた経験もあり、公私に渡る支援活動が評価され、2020年に米国で人権活動家賞を受賞

友達がほしかったけど「いじめられているのかも」

――子どもの頃、壮絶ないじめを経験したそうですね。

学校での疎外感を抱き始めたのは、小学5年生の頃でした。8歳の時にイランから日本に来たので、日本語がまだよく分からなかったんです。

当時、埼玉県から東京都港区に引っ越したのですが、生活のレベルがあまりにも違い過ぎましたね。

前の学校の体操着はブルマ。新しい学校は短パンでしたが、冬でもTシャツ1枚で過ごす母に「買って」とは言えませんでした。上履きも小さくなったものをそのままはき続けていました。多分、級友たちはそんな私のいで立ちに違和感があったんでしょうね。

でも、早く友達がほしくて、休憩時間に「校庭で遊ぶぞ」と声をかけられれば、トイレもいかずに遊びに加わりました。でもある時、トイレをガマンしきれず、おもらししちゃったんです。その頃から「臭い」と言われるようになりました。

学芸会では赤鬼の役。しかも「くせえ、くせえ」というセリフだけ。子ども心に屈辱でしかなく、母が悲しむと思って学芸会があることは言えませんでした。だから衣装も自分で作るしかなく、いつも着ている赤いパジャマにテープをまいて演じました。

この頃から、「私はいじめられているのかも」とは思いましたが、一方で「友達を探さなきゃ」と必死でした。食費もままならないことは知っていたけど、母に「お誕生会をやってほしい」とせがみました。

母は売れ残りで半額になったバナナケーキを買って、それを切って皿に並べてくれました。ところが、空気に触れたバナナが黒ずんでしまって、それを見た子は「ケーキが腐っている」とドン引きでした。

小学校高学年になると、子どもたちは自分の色を出し始めると思いますが、私は自分の色を落とす作業を始めたような気がします。

「お前も不法滞在者か?」ひどい言葉

――8歳の時に日本に来たのはどんなきっかけがあったんですか。

私は1980年代に起きたイラン・イラク戦争の戦争孤児です。実は、自分の本名も生年月日も分かりません。

テヘランの孤児院にいた時に今の母が引き取り、養子縁組をしてくれたんです。サヘル・ローズという名前も母がつけてくれました。

当時の母の旦那さんが日本で働いていたので、母と私は日本に来たんです。

でも、私に対する養父からの虐待が日に日にひどくなり、母は私を連れて家を飛び出し、2週間ほど真冬の公園で野宿生活をしていました。

それでも、親切な方に出会い、埼玉県で暮らしていましたけど、母の仕事の都合で港区に引っ越したんです。

日本語が片言の母は、清掃業など幾つも仕事を掛け持ちしていました。いつも働きずくめの母を見ていたから、学校でいじめにあっても、余計な心配をかけたくありませんでした。
――中学ではさらにひどいいじめに遭ったんですよね。

当初は、先輩たちには外国人ということで珍しがられ、言葉もいろいろとしゃべれたからアイドル的存在になっていました。

でも、それを面白くない同級生たちがいて、おもらししたとか、誕生日会に腐ったケーキを食べさせられたとか、臭いといった小学生の頃の話を、尾ひれはひれをつけて流布されたんです。

しかもその頃、東京・上野でイラン人が偽造テレフォンカードを売っているとか、不法滞在者が摘発されるとか、覚せい剤の密売とか、とにかくイラン人の悪いニュースばかり流れていました。
どこの国にもいい人悪い人がいると思うのですが、級友たちは私にも「あなたも偽造テレフォンカードを売っているの」「お前も不法滞在者か?」「覚醒剤売ってるのか?」などと、とても残酷な言葉を投げつけてきたんです。

誰かのお財布がなくなれば、真っ先に疑われるのは私でした。

自分の生まれた国や親をばかにされて悔しく、悲しくて……。

でも、彼らは人を傷つけける言葉を吐いているって自覚があまりなかったと思います。言葉の暴力は相手の心をぐしゃぐしゃにするけど、外見は傷つけないので。

それがどんどんエスカレートして、肩が触れただけで「ばい菌がついた」と言われ、そのうち「サヘル菌」と呼ばれるようになりました。

かと思えば、朝「おはよう」と教室に入ると、室内はシーンとして、完全に無視されるときもありました。私の存在が消されてしまうので、言葉の暴力以上に無視はつらかったかな。

カウンセラーからは「頑張ろうね」

――そんなひどい状況を誰かに相談できなかったんですか。

私を育てるために懸命に働いている母には何があっても言えませんでした。むしろ心配をかけないように、架空のストーリーを作って「学校はこんなに楽しい」と報告していたんです。

でも一度、スクールカウンセラーの先生に相談したことがあるんです。小学校のいじめからこれまで、自分の心に溜め込んでいた苦しみを一気に吐き出しました。

カウンセラーの先生は涙を流しながら「うん、うん」と聞いてくれたんですけど、最後に返ってきた言葉は「そっか、そっか、頑張ろうね」でした。

その言葉を聞いた瞬間、もう誰にも相談できないと思いました。もうこれ以上頑張れないから相談しているのに、もっと頑張れって……。

先生たちは気が付かないふりをしていました。あるテストの時に、教室に入ったら、机に「イラン人はいらん」とマジックで殴り書きされていたんですよ。

さすがにひどいと思って担任に言うと、クラスメートを注意することもなく「教室の隅に机があるから、それと変えたら?」と言っただけでした。ここでは私の存在価値は何もないと知り、空しくって悲しくって、テスト用紙が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりました。
言葉のいじめが進むと、身体的な暴力に向かうんですよね。

ある時、後ろからけとばされたはずみで、上履きが脱げたんです。母がやっとの思いで買ってくれた上履きなので、大事な上履きを失くしてはいけないと拾おうとしたら、蹴った子が窓から学校裏の林に投げ捨てたんですよ。

すぐに担任に報告し、先生も一緒に探してくれたのですが見つからなかった。そんな私に「しょうがない。新しいのを買うしかない」と言うんです。買えるはずがないのに……。しばらく学校の来客用のスリッパをはいていて、ある時、校長室に呼ばれました。

いじめっ子とその両親、担任と校長先生がいて、3千円を渡されて「これで上履きを買いなさい」「ありがとうは?」と言うんです。

「なぜ私が?」と思ったけど、何が正解なのかも分からなくなり、「ありがとうございました」と頭を下げたんです。自分の尊厳や人権が粉々に崩れていく感じがしました。

仕事中のはずの母、声を上げて泣いていて……

――それは苦しすぎますね……。

その時までは何とか耐えていましたが、でも、「もう死んで自分の存在を消すしかない」と思い詰めることが起きました。

理科の実験でバラの花を用意しなければならず、母に小銭をもらって買いました。一輪を手に理科室に入ろうとしたところ、いじめっ子が笑いをとろうとしたのか、私を蹴って、床に落ちたバラを踏みつぶしたんです。

ちょうどその時、理科の先生は廊下を通り過ぎ、全て見ていたはずなのに、何も言いません。授業が始まったらみんなに「花を持ってきたか?」と聞くので、私は「ありません」と答えると、「じゃあ、実験はできないな」って言うんです。

この時、初めて「死のう」と思いました。私の名前の由来でもあるバラをぺちゃんこにされ、自分自身が踏み潰された気がしたんです。
私の存在を誰も認めてくれないなら、自分で消したほうがいい……。そう決意し、家に帰ったんです。

すると、仕事に行っているはずの母がいて、枕に顔をうずめて大声を上げて泣いていました。私は自分のことで精いっぱいだったけど、母も職場で相当辛い目に遭っているんだと、その時初めて分かりました。

母は私の前ではいつもパワフルだったし、私が誰かの悪口を言うと、「自分の顔を鏡で見てごらん」って言っていました。

「人の欠点ばかり見る人は人相も悪くなるし、暴言を吐いた相手に同じような言葉を向けたら、結局そのレベルで終わってしまう」って。だから、私もどんなにいじめられても自分の感情を相手にぶつけることはしませんでした。

母はそれまでしんどいとかつらいと言ってくれなかったから、私も苦しいと言えなかったんですよ。

でも今、その母が泣いている。その姿を見て初めて「死にたい」と口にしました。

すると母は「いいよ」と言ったんです。そしてこう付け加えました。「あなたの後を私も追っていい?」って。私を肯定してくれた最後の言葉に、安堵して母を抱きしめると、骨と皮ばかりでした。

自殺を思いつめた根底にある感情は、いじめっ子に対する復讐心や憎しみでした。でも、折れそうな母の体を抱きしめたとき、負の感情が消え、「私は母に何も恩返しをしていない」「生きているからこそできることがある」と気づいたんです。

私の一番の願望は母を幸せにすること。お風呂もトイレもない生活から抜け出し、1日3食しっかり食べられるような生活を送らせたいと思いました。

高校時代「やっと信じられる大人に出会った」

――そんなつらい環境が変わってきたのはいつごろだったのでしょうか。

高校の定時制で、私の人生を変える恩師に出会ったんです。

当初は中学時代のいじめの恐怖心から誰とも関わらないようにしていましたが、ある日の食堂で、国語の先生が隣に座って「どうしていつもそんなに怯えているの?」と声をかけてきてくれました。

これまでの体験を少し話すと「もう頑張らなくていいんだよ」と、肩をポンポン叩いてくれました。「周りを気にせず、自分のやりたいことをやり続けなさい。そうすればあなたの味方がいつか必ず現れるから」って。「信じられる大人にやっと出会った」と思いましたね。

その恩師は、私が「大学に行きたい」と言うと、毎日授業の1時間前に来て受験勉強に付き合ってくれました。他人をプラスに見る思考もその恩師に養っていただきました。
――つらい時代を思い起こさせてしまって申し訳ありません。今、いじめを受けている子供たち、あるいはそのご両親にアドバイスはありますか。

いじめについて相談できるところ、人、方法を教えてくれる大人が私にはいませんでした。今は国や自治体、NPO法人など相談窓口がいくつかあるので、そこにアクセスするのも一つの方法だと思います。

伝えたいことは、「今通っている学校がすべてじゃない」ということ。フリースクールや通信教育などで学ぶ方法もありますし、つらかったら学校に行かなくたっていいんです。生きていたら必ずいいことがあるので、未来を信じ、とにかく生きてほしい。

もし学校に居場所がなければ、図書館にいてもいいと思います。中学時代の私の安らぎの場もそうでした。人は裏切ることもあるけれど、知識は裏切りません。そのありがたみは大人になってから分かります。

私は世界の偉人たちの自伝をよく読みました。私のヒーローはチャップリンとココ・シャネル。二人とも貧しい子供時代を過ごしながら、大成功した人。彼らの人生をなぞりながら、苦しくても前を向く勇気をもらっていました。

ご両親には、子どもの絶対的な味方でいてほしいです。頑張って、頑張って、それでも無理だと思ったとき、最後に頼るのは親です。学校に行かないことを否定するのではなく、選択肢は色々あることを伝えてあげてほしいです。「いつでも頼ってくれていいんだからね」という雰囲気づくりをしてあげることが大切だと思います。

「死」は最後に思いつく手段で、それまでに子どもは「助けてほしい」というシグナルをいっぱい発しているはずなんです。

周囲の大人は、シグナルの初期段階で気づいてほしいし、あなたが生きていること自体が、誰かの励ましになっていると伝えていただきたいです。また、傍観者も、「助けてくれない周り」として同罪に見えることがある、と思います。

確かに「今ここで助けたら、次は自分がひどい目に遭うかもしれない」という恐れがあるのも分かります。それでも、もしクラスの中で誰かが苦しんでいるのを見たら、どうか手を差し伸べてあげてほしいと思うんです。誰かを見放すということは、最終的には自分自身を見放すことになるんじゃないかと思うから。誰かを助けることは、自分自身を大切にすることにもつながるはずです。

――もし、学校や教育委員会が動いてくれないのであれば、法務省の人権相談窓口もあります。そこは学校に対して調査する権限を持っているので、相談してみるのもいいと思います。相談するのも勇気がいると思いますが、ひとりで抱え込まないでほしいです。

いじめを看過しない社会になってほしいですね。

※インタビューの模様はたかまつななのSocial Action!でもご覧になれます。 (監修:藤川大祐 千葉大学教育学部教授)
     ◇

〈たかまつなな〉笑下村塾代表取締役。1993年神奈川県横浜市生まれ。時事YouTuberとして、政治や教育現場を中心に取材し、若者に社会問題を分かりやすく伝える。18歳選挙権をきっかけに、株式会社笑下村塾を設立し、出張授業「笑える!政治教育ショー」「笑って学ぶ SDGs」を全国の学校や企業、自治体に届ける。著書に『政治の絵本』(弘文堂)『お笑い芸人と学ぶ13歳からのSDGs』(くもん出版)がある。

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