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吉田沙保里さんも育てた元レスリング監督、60歳からの「意外な転身」
今夏のパリ五輪では全階級でメダルを獲得するなど、日本が世界に誇る女子レスリング。その礎を築き、吉田沙保里さんや伊調薫さんなどを指導した元監督の鈴木光(あきら)さん(68)は、60歳を過ぎてから、「第2の人生」として都内の学童クラブで働いています。そのきっかけや、子どもたちと接する中で得た気づきを聞きました。(朝日新聞記者・滝沢貴大)
高校生のときにレスリングをはじめ、3年生でインターハイと国体で優勝した鈴木光さん。大学でも3年時に全日本選手権大会に優勝し、日本代表としても活躍しました。
27歳で現役を引退。会社員として働きながら、自社のレスリング部の指導者と、レスリング女子日本代表の監督を務めました。
初めて女子レスリングが正式種目として採用された2004年のアテネ五輪。鈴木さんが指導した吉田沙保里さんや伊調薫さんは金メダルを持ち帰りました。
「期待されていた中、選手が良く頑張ってくれた結果です。その後の躍進の礎は築けたのでは、と思っています」と鈴木さん。
なぜ、そんな経歴の鈴木さんが、学童クラブの指導員に――?
鈴木さんは「先がある子どもたちに色々なことを伝え、その夢を後押ししたい、と思ったんです」と語ります。
鈴木さんが働いているのは、荒川区にある尾久小学童クラブ。保護者が仕事などで家にいない子どもたちの放課後の居場所として開かれ、子どもたちは宿題を一緒にしたり、遊んだりしながら過ごしています。
鈴木さんは「子どもって先が、夢がありますよね。いろいろなことを吸収していく子どもたちが、正しい道に進む手助けがしたいし、ひとつでもふたつでも『鈴木が言っていたこと』が将来のプラスになればいいな、と思って働いています」といいます。
日本代表の監督を2004年で退任した鈴木さんは、「選手に厳しいことばかり言っていたので、自分にも厳しいことを課せようと思った」と、50歳のときにシニア世代を対象にした「マスターズ」の大会に挑戦しました。
初年度で優勝し、世界大会にも出場して、肉離れに苦しみながらも3位に。その後も、10年以上マスターズへの挑戦を続けました。
そんな鈴木さんが学童指導員になったのは、2018年のことでした。60を過ぎ、務めていた企業での監督も退任。「第2の人生」を考えたとき、「子どもたちとかかわる仕事」がしたいと思ったそうです。
これまで指導者や、自治体や企業に招かれての講演会などで子どもと接する機会が多く、その時のやりがいが忘れられなかったといいます。
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「学科試験と面接では、周りはほとんど大学生くらいの年齢。受かるかどうか自信はありませんでした」と振り返りますが、無事採用が決まり、都内の学童クラブで働き始めました。
学童の現場での仕事は、色々なことを考えさせられるといいます。
たとえば、「子どもたちはうっかりすると、弱い者いじめのようなことをしてしまうことがある。ひょうひょうと他人に冷たくあたってしまうことも。そういうときに、『それは強い人間でも何でもないよ』としっかり伝えるようにしています」と鈴木さん。
同時に、時代の変化に悩むこともあるそうです。
「我々の時代と違って、今の子どもたちは普段あまり怒られないんです。それでも、だめなことはだめだとわかってもらわないといけないので、そこは難しいです」
それでも、全く違う世界でのセカンドキャリアは、充実感がいっぱいとのこと。
「昔から、教え子たちには『アマチュアに引退はない』と言ってきました。自分としては、何か伝えられることがあるうちは、人に伝えたいという思いが強いですし、だからこの仕事をしています」
日本大学校友会の全国桜門スポーツ部会の会長や、日本女子レスリング連盟の副会長をしながらの忙しい日々。子どもたちが放課後にのびのびと過ごせるような環境を整えていきたいと考えているそうです。
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