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#35 大河ドラマ「光る君へ」たらればさんに聞く

紫式部と清少納言が最終回まで…クリエイター大河だった「光る君へ」

京都市にある紫式部のお墓。きれいな花が手向けられていました=水野梓撮影
京都市にある紫式部のお墓。きれいな花が手向けられていました=水野梓撮影

大河ドラマ「光る君へ」がついに最終回を迎え、SNSでも惜しむ声が投稿されました。清少納言を推し、1年にわたって情緒が乱れていたという編集者のたらればさんは「最終回まで清少納言が出てきて、改めて『クリエイター大河』だったんだな」と語ります。(withnews編集部・水野梓)

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「武士の世」を予感させる終わり方

withnews編集長・水野梓:ついに、最終回をむかえてしまいましたね…。たらればさん、いかがでしたか?

たらればさん:清少納言(ききょう)さん、最後に出番があって本当によかったです……。まひろ(吉高由里子さん)の家にききょう(ファーストサマーウイカさん)が訪ねて、笑い合っているなんて……。あのシーンで2時間やってほしかったですよね。報われた感がありました。
水野:「『枕草子』も『源氏の物語』も、一条の帝のお心を揺り動かし、政さえも動かしました。たいしたことを成し遂げたと思いません?」というセリフが、本当にききょうらしくていいなぁと思いました。

たらればさん:『紫式部日記』であんな人格否定を書かれたのに、よく気にせずに話せるな、ききょうは心が広いなあ、とは思いましたが(笑)。

クリエイターたちが長生きするなか、道長の死でエンドという大団円でしたね。
水野:最終回、要素が詰め込みまくりでしたね。

たらればさん:だいぶ駆け足でしたね。最後の「東国で戦が起きた」が「平忠常の乱(たいらのただつねのらん)」のことだとしても、最終回で8年間以上が経過している計算になるので。

水野:武士の世がくることを予感させる終わらせ方でしたねぇ。大きな戦がなかった平安時代の「泰平の世」ってすばらしかったなぁと改めて思いました。

たらればさん:このドラマの時代考証を担当した倉本一宏さんがよくおっしゃっているんですが、平安時代中期は、貴族の腐敗だとか一般市民は虐げられていただとか、いろいろ言われるけれども、日本史を通してみると内乱が少なかった時代だし、政治の世界でも政敵の毒殺や打ち首といったものもなく、せいぜい呪詛くらい(呪詛くらい?)だったわけで。「けっこう良い世の中だったんじゃないか」とおっしゃっていて、「確かにそうだよな」と感じさせてくれる大河ドラマでしたよね。

推しの清少納言が「受肉化」された感情

水野:いま、放送の1年を振り返ってみてどうですか?

たらればさん:平安時代の宮中が舞台となる大河ドラマは初めてだったので……「あぁ、自分がこんな気分になるんだ……」というのが人生勉強になりました(笑)。

これまで、自分の推し・清少納言が大々的に受肉化して世の中にこんなに広まることはなかったわけです。まさか大河ドラマで、それをリアルタイムで見られて、という。こんなに情緒がかき乱されるんだ、というのは新鮮でした(笑)。
車折神社にある、清少納言をまつった清少納言社=京都市
車折神社にある、清少納言をまつった清少納言社=京都市 出典: 水野梓撮影
水野:紫式部の大河ドラマで、清少納言が最終回まで出てくるというのは、改めてふたりの才能が宮中に及ぼした影響が大きかったんだと思います。

たらればさん:改めて「クリエイター大河」だったんだな、という印象を強くしました。

NHK大河ドラマで「作家が主人公」というのは初めてだったと思うんですけど、「この頃、文化は政治と同じぐらい重要だった」という取り上げられ方もありがたかったし、印象深かったです。

最終回に登場した歌「めぐりあひて」

水野:最終回でようやく、紫式部の歌「めぐりあひて」が出てきましたね。

たらればさん:もしかして出ないのかな、って思ってましたけど最後の最後に出ましたね。
 
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲隠れにし 夜半の月かな

<たらればさん訳/幼馴染のあなたと久しぶりに会えたのに、短い時間であっという間に帰ってしまいました。まるで雲に隠れた夜の月のようでした>
たらればさん:『紫式部集』の巻頭歌で、百人一首にも入っている紫式部の代表的な歌です。詞書(ことばがき)には、「幼友達に久しぶりに会って読みました」と書かれています。

『紫式部集』巻頭歌詞書:「はやくよりわらはともだちに侍りける人の、としごろへてゆきあひたる、ほのかにて、七月十日の比、月にきほひてかへり侍りければ」

<たらればさん訳/幼い頃から仲良くしていた友達と久しぶりに行き合ったのだけど、ほんのわずかしか会えず別れてしまった…、あれは七月十日頃の、あたかも一瞬だけ見えた月がすぐ雲に隠れてしまった時のように>

ドラマでは、賢子に手渡した紙束(『紫式部集』?)に詞書が写っていましたが、そのとおりに書かれていましたね。

水野:この「幼友達」は、ドラマでは道長のことを思って詠んだ、ということでしょうか。

たらればさん:どうでしょうか。道長にとっては「幼友達」扱いというのは悲しいと思いますが(笑)。

これを道長のことにするというのは、九つの時に出会っているというドラマの新しい解釈ですよね。うまい作り込みだなと思いました。

水野:リスナーさんから、賢子に道長のことと分からないように「幼友達」としたのかなというリプもありました。

現代とは違った、当時の「死」の感覚

水野:危篤の道長に、まひろが新たな物語を創作して「続きはまた明日」と語り続ける日々を送りましたね。

このふたりが、『源氏物語』で、紫の上を見送りたくなくて出家を許さなかった光源氏に重なってしまいました。

道長は旅立つ準備ができているけど、倫子さまもまひろも、まだ生きていてほしいと願い、引き留めてしまう。見送る側は、そんなに簡単に「おつかれさまでした」とは思えないよなぁとボロボロと泣いてしまいました。

たらればさん:当時は「死」の感覚が、今とかなり異なっていたと思うんですよね。

生と死の間に出家があって、俗世に生きる人にとって出家した人は「半分死んでいる感覚」、「半分は向こうの世界の人間」みたいなイメージだったんだと思います。

水野:なるほど。

たらればさん:弱っていく紫の上のそばに、なぜ光源氏がギリギリまでそばにいられたかというと、紫の上は出家していないからなんですよね。

出家していたら臨終のときに立ち会えないと思いますし、まひろと道長については、そもそも身分も大きく異なりますから、ギリギリまで看取るという描き方はドラマオリジナルだし、いやあ、倫子さま、心が広いなあと思っていました。

しかし、そのうえで、「おお、紫式部先生の新作が語り下ろされている…、これ誰もメモらなくていいのか!」と思いながら見ていました(笑)。

水野:御簾のそばにいる百舌彦、聞いてないでメモって!みたいな。(笑)
宇治陵総拝所。木幡の地には、藤原氏出身の皇后や中宮、皇子たちが葬られたといいます
宇治陵総拝所。木幡の地には、藤原氏出身の皇后や中宮、皇子たちが葬られたといいます 出典: 水野梓撮影
たらればさん:記録では道長の最期は、かなり苦しみながら亡くなっています。糖尿病からの多臓器不全といわれ、七転八倒しながら痛みに苦しんで死んだとされています。

ドラマのなかでも(刀伊の入寇で活躍した)隆家がふれていましたが、娘を政争の道具にしてしまった因果応報という亡くなり方をしているんですね。ドラマではずいぶん安らかに亡くなりましたけれども。

水野:まひろの「続きはまた明日」がしみましたよね。

たらればさん:『千夜一夜物語』のシェヘラザード、という指摘を見て、なるほどと思いました。幸せな亡くなり方ですよね。

道長は大胆で豪放磊落な人なんですが、祟りや死を恐れる面もあって。豪華なお寺を建てたり改修したりしています。それって死を安らかにしたい、極楽浄土に逝きたいという気持ちの表れでもあるので、そこもちゃんと描かれていたなぁと思います。
 

「仏教を信仰しよう」広まっていた末法思想

水野:リスナーさんから質問が寄せられていて、仏教の末法思想はこの頃、どのぐらい広がっていたんですかというものがありました。

たらればさん:信じていない人もいたと思いますが、この頃の仏教は社会のど真ん中にある価値観でしたね。

『源氏物語』にも色濃く反映していますし、紫式部の生き方にも、道長の生き方にも強く影響しています。

水野:末法思想というのはどんなものなのでしょうか?

たらればさん:仏教が廃れてきて世の中が乱れているので、もっと仏教を信じましょう、でないと大変なことになるし、いまもうそれは始まっている、という、ある種の終末思想ですね。

「ノストラダムスの大予言」みたいに、このままでは世が終わってしまうので、みなさんちゃんと仏教を信仰して生きましょうと。

お寺にもお金をかけて寄進したり寄贈したりしていましたし、豪勢なお寺を建てて、立派なお坊さんを呼んで法会を開くことが信じられていた時代ですね。

水野:そういえば、紫の上も法会を開いてましたもんね!

たらればさん:今のお金持ちにもいると思いますけども、当時の貴族も、あの世に財産は持っていけないのでお寺を建てますね、「だから死後もよろしくね」と、そういう発想になったんですね。

道長が亡くなった法成寺もドラマで描かれましたし、息子の頼通は「極楽浄土のような美しい建物」といわれた平等院鳳凰堂を建てましたし。
道長の息子・頼通が建立した平等院=2024年11月、京都府宇治市、水野梓撮影
道長の息子・頼通が建立した平等院=2024年11月、京都府宇治市、水野梓撮影
水野:ドラマでは、危篤の道長と、仏様の手が五色の糸がつながっているシーンがありましたね。

たらればさん:これは『栄花物語』に描かれている臨終間際のシーンですね。

水野:リスナーさんからは、「まひろが道長の手をとったのは、この阿弥陀仏とのメタファーかなと思いました」というリプがありました。まだまだ見逃しているシーンがありそうなので、何度も見ないといけないですね。

たらればさん:ききょうとまひろのシーンだけでもいいんですけどね(笑)。
◆これまでのたらればさんの「光る君へ」スペース採録記事は、こちら(https://withnews.jp/articles/keyword/10926)から。

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