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「芸人になるため」中国から〝東大〟へ 核融合を研究、M-1も出場
「そんなやついるかぁ!」3回戦の動画が好評
「私、吉本(興業)に入るために留学ビザがほしいから、東大に入った!」。M-1の3回戦で、異色の経歴を持つ中国・北京出身の女性が会場をわかせました。来日6年目。「お笑い芸人」ではビザを取ることが難しいため、日本の大学・大学院に進学して二足のわらじで活動しています。そこまでして追い求める「日本のお笑い」の魅力とは。
「日本のお笑いが好きで日本に来ましたよ」
「芸人やってるくらいですからね」
「でも芸人としてビザもらえないから、不法滞在になりそうです」
「え、そうなん!? めっちゃピンチじゃん」
「私、吉本(興業)に入るために留学ビザがほしいから、東大に入った!」
「そんなやついるかぁ! そこまでして吉本にいたいやつ、いないんだよ」
11月上旬に開かれたM-1グランプリ3回戦。赤いチャイナドレスを身にまとったいぜんさんと、ピン芸人・渡辺ポットさんのユニット「いぜんポット」が、キレのある掛け合いで会場をわかせました。
いぜんさんは中国・北京出身の26歳。現役の東京大学大学院修士2年で、核融合を研究していますが、来日の動機は「吉本に入って芸人になること」でした。
中学生の頃、たまたまインターネットでアイドルグループ・嵐のミュージックビデオを見てファンになったという、いぜんさん。
嵐が出演するバラエティー番組の動画を見ているうちに、ついお笑い芸人を目で追うようになっていったといいます。
インタビューに対して、いぜんさんは流暢な日本語で、そのときの衝撃を語りました。
「ゲストで森三中さんが出ていて、いつもクールな『松潤』が奥歯を見せて笑っていました。そんな『松潤』を見たのは初めて。お笑い芸人として活躍している女性はかっこいいと思ったし、私もいつかこの世界に入りたいと思いました」
以来、M-1やトーク番組など芸人が出演するバラエティー番組を字幕を通して見続けました。
明石家さんまさん、川島明さん(麒麟)、千鳥、かまいたち……特に印象的だったのは吉本芸人たちです。
日本語はまったくしゃべれませんでしたが、お笑い養成所・NSC(吉本総合芸能学院)について調べました。
動画を見るときも、初めは中国語の字幕を頼りにしていたものの、1年ほど見続けた結果、自然と日本語を覚えていったといいます。
「勉強ができるのが数少ない私の取り柄のひとつ」というほど、もともと勉強は得意だったそう。
東野圭吾さんや伊坂幸太郎さんの推理小説も好きで、学生時代からかばんには1~2冊の小説を持ち歩いていました。
お笑いに出会う前から、「北京にいる順風満帆な人生はあまりおもしろくないし、いつかどこかに行くなら日本が一番いいな」と思っていたといいます。
幼い頃から「お笑い芸人キャラ」で、人を笑わせることが大好き。小学生の頃は友達に「コント師になれそう」と言われたこともありました。
日本のお笑いに出会い「私の居場所はここかもしれない」と思ったそうです。
中国の高校を卒業後、東京都立大学理学部に留学する名目で来日。同時にお笑い養成所・NSCにも申し込みました。
しかし面接当日、手続きの順番待ちだと思って2時間並んだ行列が、「ラーメン二郎」の列だったことが判明。面接に間に合わず、入学はかないませんでした。
お笑いの道を諦めきれなかったため、松竹芸能の養成所に入所。その後はコロナ禍で思うように活動できず、2021年にNSC東京第27期として改めて入学し、吉本芸人の扉を開きました。
ただ、肩書が「芸人」では、ビザがおりません。
正確には芸人として会社に雇用され、かつある程度の収入を得られるほどの活躍をしなければ、日本での在留資格が認められないのです。
養成所の無名の芸人では在留資格が取れないとなると、「留学生」のビザが近道。学生を続けなければ「強制帰国になってしまう」といいます。
NSCを卒業して吉本興業所属の芸人となり、劇場などのライブに出演しました。
一方、日本に滞在するために、同時期に大学院の入試に集中。東大に入学した上で活動を続けることにしました。
日本でお笑いをしたいと思う理由を聞くと、いぜんさんは「多様性があるところ」と話しました。
「ピン、コンビ、トリオ、それぞれで男女コンビも女性コンビもある。コントも漫才も新喜劇もあって、関東と関西のスタイルも全然違う。芸風やキャラクターも本当に十人十色で百花繚乱な感じです。多様性がすごい新鮮で、日本の文化を知る窓口としても新しいなと思いました」
普段はピン芸人として活動していますが、漫才への憧れもあります。
「しゃべくりが好きなんです。お客さんも一緒になって内容や設定、ひとつひとつの漫才の世界に入る。言語の技術やテンポもあって、一番いい状態になるまでの芸を磨く過程もすごいかっこいいなと思います」
中国にも「相声(そうせい)」という伝統的な話芸がありますが、漫才とは少し違います。
「『相声』は漫才のように3、4分で勝負ということがあまりありません。漫才は短い時間で満足させるのも一つの魅力です」
旧正月には紅白歌合戦のような国民的な娯楽番組はあっても、M-1グランプリやキングオブコントといったお笑いだけの「国民的エンターテインメント」番組はないといいます。
「お笑いだけで国民的に盛り上がっているイベントがあるのが不思議なほど。うらやましいですね」
日本語を流暢に操るいぜんさん。来日3カ月で、日本語能力試験の最上位であるN1(幅広い場面で使われる日本語を理解することができるレベル)に合格しました。
「日本語を勉強する留学生同士は、よく五十音を覚えるのも大変だったと言ってるんですけど、私は本当に好きだったから、嵐やさんまさんのおかげかなと思います」
今年のM-1では初めて3回戦に進み、10330組中407組に残りました。ネタの大筋はいぜんさんが書き、ユニットの相方・渡辺ポットさんにツッコミ部分を調整してもらったそうです。
YouTubeに上がっている3回戦の動画には、「いぜんポットとてもいい」「中国語訛りの日本語のはずなのに言葉のキレがすごくて面白い…!」「いぜんポット、なんとか合法滞在して漫才つづけてほしい」といった称賛の声が並びます。
「ほぼ初めてちゃんと自分が書いた漫才で出ました」といぜんさん。
「コメントに感動しすぎて、泣きながらひとつずつ『いいね』を押しました。褒めてくれたコメントには少なくともひとつは『いいね』がついていますが、本人からです(笑)」
3回戦後、番組の収録で会った錦鯉や元和牛の水田信二さんにも「3回戦のネタ見ましたよ」と声をかけられたそうです。
ピンや漫才のネタづくりは、日常会話を参考にしています。
「『私の苗字の〈李〉はすごい普通だなあ』と後輩芸人に話していたとき、『何人ぐらいいるんだろう』と聞かれました。調べてみると、まさか1億人もいて。めっちゃおもしろいなと思ってネタにしました」
ジャッキー・チェンなど、中国にまつわるテーマもネタにします。
「(同じアジアの国である)『日本』と『中国』では、厚切りジェイソンさんの『欧米』と『日本』のような大きな違いはありません。本当に繊細なところが私たちの中国出身の芸人の勝負するところ」といぜんさんは話します。
「日本語も文化もちゃんと理解できないと難しいし、そもそも芸人としてちゃんとできるのかなというのは心配していました」
しかし、今年はクロちゃん(安田大サーカス)とナダルさん(コロコロチキチキペッパーズ)の番組「クロナダル」(テレビ朝日)をはじめ、地上波の番組や芸人のYouTubeチャンネルにも立て続けに出演するなど活動の幅を広げてきました。
物応じせずはっきり伝える姿勢が、先輩芸人からも愛されています。
「今年は急にキャラが見えてきた感じですね(笑)。最近はやっと日本楽しいな、東京楽しいなと思っています」
今年、大学院2年生ということですが、ビザの問題は……?
「M-1の3回戦と重なっていた大学院の必修授業を欠席したから、留年確定なんです(笑)。専攻の先生から直接、『必修の授業を受講してないんだけど』と連絡がありました。『今日だっけ!?』みたいな感じでした」
来年度は学生としての本分を全うしつつ、芸人活動も続けるそうです。
ただ、東大の卒業生と話すなかで就職の道も意識し始めました。
「最近はM&Aの企業のインターンもやっています。いろんな知識を身につけたら、将来は情報番組のコメンテーターとしても活躍できるかもしれない。物理や理系の話もできるし、分かりやすくおもしろい説明もできるので、そこも目標の一つかな。核にあるのはお笑いで、やりたいことはいっぱいです」
すべては、日本でお笑いを続けるためーー。
「最近は本当に、(大学院で専攻している)地球の将来のエネルギーの話より、目の前の人々に心のエネルギーを与えるほうが生きがいを感じます(笑)」と話す、いぜんさん。
いつか賞レースで、「チャイナボケマシーン『いぜん』」と紹介される日を想像し、今この瞬間を楽んでいます。
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