連載
#65 イーハトーブの空を見上げて
「気球」の名付け親のふるさとでバルーンフェス 蘭学者の大槻玄沢
岩手県一関市は熱気球の街でもある。
毎年10月になると、カラフルな熱気球が北東北の透明な秋の空へと舞い上がる。
「一関・平泉バルーンフェスティバル」。
東日本大震災の復興支援イベントとして2012年から始まった大会は、国内最高峰の熱気球競技大会「熱気球ホンダグランプリ」の第2戦として組み込まれ、全国から腕利きのパイロットが集結する。
「実はこの『気球』という言葉、一関出身の蘭(らん)学者、大槻玄沢が生み出した言葉なんです」
そんな豆知識を一関市博物館の相馬美貴子副館長が教えてくれた。
大槻玄沢(1757~1827)は現在の一関市に生まれ、医師を志して22歳の時に江戸へ出ると、杉田玄白の私塾に入門する。
蘭学を学んで江戸に我が国最初の蘭学塾を開くと、幕府の翻訳事業にも携わり、蘭学の入門書や、玄白から命じられて「解体新書」を改訳した「重訂解体新書」をはじめ多くの著書を残した。
その玄沢が、著書「環海異聞」(1807年)の中で、ロシアでのバルーン飛行を日本で初めて「気球」という言葉を使って説明したらしい。
「気球という言葉は、科学者でもあった玄沢らしい訳語です」
相馬副館長は誇らしげに話す。
「200年近くたった今でも彼の訳語が使われているって素晴らしいです。そんな知識も含めて、バルーンフェスを楽しんで頂けたら」
(2021~24年の10月に取材)
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