テレビドラマや映画で活躍する俳優が、“実はお笑いをやっていた”ということがある。その経緯は様々で、時代によっても変化しているのが興味深い。30年ぶりにコンビ活動を再開した朝ドラ俳優、役者に転向したエンタ芸人、ピンネタを披露していたバイプレーヤー、今旬な3人の歩みに迫る。(ライター・鈴木旭)
かつてお笑いコンビで人気を博した俳優と言えば、2024年度前期のNHK連続テレビ小説『虎に翼』に出演した田口浩正が真っ先に思い浮かぶ。
福岡出身の田口は、喜劇役者を目指して上京。劇団「東京乾電池」の研究生を卒業後、六本木のショーパブ「ランフィニ レヴュー倶楽部」のキャストオーディションで後の相方となる小浦一優と出会う。
小浦はダンスがうまく、シュッとしていて女性人気が高かった。“イロモノ枠”で採用された田口とは真逆のタイプだったが、ともに地元が福岡で同い年という共通点もあり急接近。田口から誘う形で、1989年にお笑いコンビ「テンション」を結成した。
ザ・コーデッツの楽曲「ロリポップ」をブリッジ(短いネタの間にはさむ言葉や動作)にしたショートネタで早々に頭角を現し、爆笑問題、SET隊、ホンジャマカらを輩出した若手の勝ち抜きお笑い番組『LIVE 笑 ME!』(日本テレビ系)でチャンピオンの座を射止める。その後、関西でレギュラー番組を持つなど、とんとん拍子に活躍の場を広げていった。
しかし、1993年にテンションは活動を休止。俳優としても忙しくなり、「映画を撮りたい」という思いが強くなっていた田口のほうから切り出した。その後、田口は映画『MIND GAME』(松竹)で監督を務めるなど夢を叶えた一方で、小浦は2つの劇団を続けながら不遇の時代を過ごすこととなった。
しかし、小浦は2008年にどんでん返しを起こす。「R-1ぐらんぷり」決勝で“芋洗坂係長”として見事準優勝を果たしたのだ。小浦はショーパブ時代から様変わりし、でっぷりとした体形となり、入れ替わるように田口は体重を落とした。
以降、小浦はミュージカルなどの舞台で活躍し、田口もまた数々のドラマや映画に出演。今年に入って2人は30年ぶりに活動を再開し、来年には結成35周年を記念して単独ライブを開催する。各々が大成し、芸人コンビとしても復活した稀有な例だろう。
『silent』(フジテレビ系)、『地面師たち』(Netflix)といった話題のドラマでバイプレーヤーとして活躍する安井順平も、もともとお笑い芸人として活動し俳優へ転向した1人だ。
幼少期は『8時だョ!全員集合』(TBS系)や『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)が好きな少年だったが、お笑いの世界に進もうとは考えていなかった。私立の高校に受かってから目標を見失い、何をするにもやる気が起きず赤点を取って留年してしまう。1つ下の同級生に気を遣われながら、暗黒の4年間を過ごしたという。
高校卒業後は「まだ働きたくない」という理由から東京アナウンス学院に入学。そこで、後の相方となる杉崎真宏(旧芸名:政宏)、ビビる大木と出会った。1995年、杉崎から誘われる形でお笑いコンビ「アクシャン」を結成。幼少期に好きだったお笑い熱が再燃したという。
早くから注目を浴び、『お笑い向上委員会 笑わせろ!』(テレビ朝日・1997年~1998年終了)や『笑う子犬の生活』シリーズ(フジテレビ系・1999年~2001年まで放送された『笑う犬』シリーズの姉妹番組)といった若手中心の深夜番組に出演。ネクストブレークが期待される若手だった。しかし、2002年にコンビは活動停止。杉崎は俳優に転向し、安井はピン芸人として活動をスタートさせた。
『エンタの神様』(日本テレビ系)で「あれはあれでいいのかねー?」から始まる漫談を披露しつつ、もともと好きだった芝居寄りのコントも作っていた。ところが、『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)に代表されるショートネタブームが到来し、番組オーディションに受からなくなってしまう。
限界を感じ始めた矢先、予期せぬ流れで後輩芸人が作・演出を務めるサスペンスコメディーの舞台に出演することに。これを客席で見ていた「劇団イキウメ」のプロデューサーから声が掛かり、2007年に同劇団の舞台に客演として参加。2011年末に正式に劇団員となり、2014年に「読売演劇大賞 優秀俳優賞」を受賞するなど、舞台・映像ともに活躍する実力派俳優として認知されていく。
その一方で、映画『ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE2 サイキック・ラブ』(東宝・2014年公開)や元ラーメンズ・小林賢太郎のコント公演『カジャラ』(2016年「大人たるもの」)に参加するなど、お笑い要素の強い作品にも並行して顔を出している。
親交のある俳優・薬丸翔のPodcast番組『薬丸翔の考えすぎる人』の#102「安井順平さんと、考えすぎる、Part3」の中で、安井は「(筆者注:俳優志望ではなかったからこそ)いつまで経っても演劇に対して素人でいたい」と語っていた。
お笑い芸人からスタートし、客観的に演技の世界を眺められる視点が俳優としての武器になっているのだろう。
意図せず、ピン芸人のような活動をしていた俳優もいる。それが、前述の『虎に翼』や『新宿野戦病院』(フジテレビ系)などのヒット作に立て続けに出演する岡部たかしだ。
岡部は工業高校の土木科出身。「友だちが行くから」という安易な理由で進学を決めた。卒業後、地元和歌山の建築会社に就職し現場監督を担当したが、そもそも興味があって選んだ道ではないため面白さを見出せず約1年で会社を辞めてしまう。
その後、地元でトラックの運転手や喫茶店といった仕事を転々とする中で、漠然と「芸能人になってみよう」と考え始める。当時の交際相手(元妻)に背中を押されたこともあり、24歳で東京に向かう決意を固めた。
大阪で観た柄本明の演技に感銘を受けていた岡部は上京後、アパートを契約するより先に柄本が主宰する劇団東京乾電池の研究生オーディションへと足を運んだ。一張羅の白いスーツ姿で尾崎豊の楽曲「I LOVE YOU」を熱唱。その場に居合わせた先輩から「本当にヤバいやつがきた」と思われたものの、オーディションに合格。1年後には正式に所属が決まった。研究所の同期には、阿佐ヶ谷姉妹の2人がいる。
3年が経ち、東京乾電池を退団。環境を変えようと、お笑い芸人・俳優で脚本・演出も手掛ける九十九一(つくもはじめ)のもとに足を運ぶようになる。そこで、もともと好きだったジャッキー・チェンを模して“ニセ広東語”をしゃべって見せたところ、九十九から「それネタにしたらええんちゃうか」とアドバイスをもらい、老舗のお笑いライブ「いしだちゃん祭り」などでピンネタを披露するようになった。
一方で、俳優・村松利史の演劇ユニット「午後の男優室」や劇作家・山内ケンジがプロデュースする「城山羊の会」などに出演しながら、テレビドラマにも少しずつ顔を出し始める。とはいえ、アルバイト生活が続き鬱屈した思いは募っていく。やがて30代中盤になり、“売れること”をあきらめてから肩の力が抜け、不思議と演技が評価されるようになったという。
ブレークのきっかけとも言える2022年放送のドラマ『エルピス —希望、あるいは災い—』(カンテレ/フジテレビ系)のプロデューサー・佐野亜裕美は、まさに「城山羊の会」の公演を観て岡部の演技力と声に魅了されキャスティングしたという。岡部は50歳にして、ついに大きなチャンスを掴んだ。
今年7月に放送の『なりゆき街道旅』(フジテレビ系)の中で、岡部はお笑いライブでの経験についてこう振り返っている。
「やっぱどっかお芝居につながってまして。『お笑いをやってる』っていうよりも、なんかこう自分の身体とか得意なこと使ってノリ作るみたいな。そういうのがお芝居になかなかできなかったんで。それはちょと訓練やったんかもなと思ったりしますね」
そのほか、元ラーメンズの片桐仁、ドランクドラゴンの塚地武雅、マキタスポーツなどお笑い芸人としてスタートし役者業が増加したケースもあれば、演劇畑のコントユニット「親族代表」の嶋村太一、竹井亮介、野間口徹のように最初からジャンルの垣根を越えて活動し人気を博す俳優もいる。
最近では、コント公演と演劇公演を並行して開催する男女8人組「ダウ90000」のような活動形態もあり、一部の層からの支持で終わらず、早い段階でテレビやラジオなど主要メディアの出演につながっているのが興味深い。
「YouTuber」「ライバー」という存在が一般に認知されたように、新たなメディアの台頭や演者の自己プロデュースによって見られ方はいかようにも変化する。毎年お笑い養成所出身の芸人が輩出される一方で、「あの俳優、お笑い芸人だったの?」という意外性は、もしかすると徐々になくなっていくかもしれない。