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#62 イーハトーブの空を見上げて

仲間3人を失った人形劇団 「私たちもやりたい」…背中を押したのは

上演後、子どもたちと記念写真に納まる「ポレポレ」のメンバー
上演後、子どもたちと記念写真に納まる「ポレポレ」のメンバー
「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。
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イーハトーブの空を見上げて

人形も舞台もすべて手作り

「さあ、人形劇が始まるよ~」

 軽快な音楽にあわせて舞台上に可愛らしい人形が登場すると、会場に詰めかけた約30人の子どもたちの目が一斉に輝き始める。

岩手県陸前高田市のアマチュア人形劇団「ポレポレ」の地域公演。

人形や舞台がすべて手作りだ。発泡スチロールの頭とペットボトルの体。

人形たちは魂を吹き込まれたように、生き生きと舞台上を跳ね回る。

脚本もオリジナル。会場の反応を織り交ぜて、物語を一緒に作り上げていく。

主人公のピンチには応援する子どもたちの悲鳴が飛び、チャンスにはどっと明るい笑い声があふれる。

「子どもたちの笑い声に勇気づけられています」

舞台袖で、馬場幸子代表(64)がうれしそうにほほ笑む。

劇団は1992年、アマチュア人形劇の面白さに感動した馬場さんが、子育てサークルの主婦ら15人に声を掛けて設立した。

人形劇で子どもたちの豊かな心を育みたいと、週1回集まって練習を重ね、公演を続けてきた。

東日本大震災、仲間3人が犠牲に

いつまでもみんなで、人形劇を演じていければ――。

そんな夢を抱いていた2011年3月、東日本大震災が起きた。

津波は高台に建てられていた馬場さんの自宅まで押し寄せてきた。

「波はノンノンと静かに迫ってきた。あっという間に水位が上がり、足をすくわれた」

裏山へと流され、もうダメだと思ったが、木につかまって辛うじて助かった。

夫や娘は無事だったものの、自宅や職場は全壊。

何よりつらかったのは、当時9人いた劇団員のうち、3人が犠牲になったことだった。

「数日前に笑いながら話をした仲間でした。どれほど生きたいと思ったか。その無念さを思うと、いまも胸が締め付けられます……」

震災1年後、人形劇公演を再開

震災後、全国各地から支援団体が被災地を訪れ、歌や演劇で励ましてくれた。

ありがたいと思う一方で、別の感情が胸にあった。

「私たちもやりたい」

2011年の秋、生き残った仲間にそう打ちあけると、みんなが同じ気持ちだった。

人形や舞台を手作りし、震災から1年となる2012年3月に人形劇の公演を再開した。

子どもたちが喜んでくれると同時に、大人たちが目に涙をためて喜んでくれた。

「ああ、待っていてくれたんだな、と思うと私たちも涙が出た。そして、思ったんです。これでようやく、前に進むことができる、と」

ゆっくり焦らず、でも日々を大切に

震災後、新しいメンバーが2人加わり、今は8人で活動を続ける。

「ポレポレ」はスワヒリ語で「ゆっくり、のんびり」の意味だ。

「『当たり前』という日は1日もないことを、あの震災で学んだ。ゆっくり焦らずに、でも1日1日を大切に、日々を過ごしていきたい」

仲間と一緒に今日も人形劇を通じて子どもたちと向き合う。

(2023年11月取材)

三浦英之:2000年に朝日新聞に入社後、宮城・南三陸駐在や福島・南相馬支局員として東日本大震災の取材を続ける。
書籍『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で開高健ノンフィクション賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で小学館ノンフィクション大賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で山本美香記念国際ジャーナリスト賞と新潮ドキュメント賞を受賞。
withnewsの連載「帰れない村(https://withnews.jp/articles/series/90/1)」 では2021 LINEジャーナリズム賞を受賞した
 

「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。

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