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グルメ

お米を愛する写真家の「はたちメシ」 20歳の自分に伝えたい夢は

写真家の衛藤キヨコさんがよく食べていた「はたちメシ」は…
写真家の衛藤キヨコさんがよく食べていた「はたちメシ」は… 出典: 白央篤司撮影

二十歳の頃、何をしていましたか。そして、何をよく食べていましたか?

久しぶりに食べた「はたち」の頃の好物から、あなたは何を思うでしょうか。

今回は、写真家の女性の「はたちメシ」。ちょっと意外な味でした。

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ハタチめし

衛藤キヨコ(えとう・きよこ)さん:写真家。1976年、大阪府吹田市に生まれ、東大阪市で育つ。地元の高校卒業後、雑貨販売店で勤めるかたわらカメラに興味を持ち、カルチャースクールへ。アシスタント経験を経て27歳で独立、人物や紀行、食をテーマに撮影。現在、東京都杉並区で夫と暮らす。

「はたちメシですか、なんやろなぁ~……?」

わりと濃いめの関西弁でつぶやきながら、衛藤キヨコさんが思いをめぐらす。

今年48歳、大阪生まれ。雑誌や書籍で写真家として活動されている。

「山菜おこわかなあ。その頃雑貨店でめっちゃバイトしてたんですけど、休憩中にスーパーで売ってるおこわをよく食べてて。対面販売でおこわとか赤飯とか、量り売りしてるコーナーあるでしょ、あんな感じの。なすの煮びたしみたいなお惣菜も買って、一緒に食べて」

20歳前後の頃、どんなものをよく食べていたかを聞く本企画。山菜おこわという答えに対して「おお……そうきたか!」なんて思っていたのが顔に出ていたようだった。

「驚いた(笑)? ははは、私ね、若い頃からおばあちゃんみたいなもの好きやったんです。他の子たちは休憩中お菓子とか食べてたけど、山菜おこわは腹持ちいいし。お米好きなんですよ、今も毎日のように食べてます」

ミスドやロッテリアにも行ってましたけどね、と続けて笑った。

大阪人の中でも話好きな人たち特有の、テンポよく淀みない調子が心地いい。聞いていてこちらも笑顔になってしまう。小さい頃から話好きでしたか?

「うーん、そうかも(笑)。調子のり、でしたね。人にしゃべりかけたいタイプ。勉強はきらいで、音楽好き。中学生のときは吹奏楽部でクラリネット吹いてました。4つ上の姉がプリプリ(プリンセス・プリンセス)のコピーバンドやってたから、次第にそういう影響も受けて」

中高時代、奥田民生がボーカルのUNICORN(ユニコーン)が大好きだったと教えてくれる。

時は1990年代初頭、世は空前のバンドブームだ。私も同年代なので、あの頃バービーボーイズが好きだったな……なんてメモを取りつつ思い出す。

受験戦争も激しい頃だったが、進学についてはどんな思いだったろう。

「早く働きたかった。大学に行く目的もないし。親も一切干渉しないんです、『キヨコなら(社会出ても)大丈夫なんちゃうー』ぐらいの感じ(笑)。バイト先の雑貨店で素敵な先輩がいて、彼女からカルチャー全般教わったんですけど、そのうちのひとつがカメラでした」

いいカメラを持っていた先輩と京都へ遊びに行き、気になる場所で撮り合いっこをした。

キヨコさんが撮った写真を先輩は褒めてくれ、プリントしてプレゼントしてくれたのだった。

「それを見た瞬間『あ、これや!』って思って、すぐ中古カメラを買いました。プロの写真家さんのレッスンを受けたくて、『ケイコとマナブ』で探して」

『ケイコとマナブ』は、リクルートが発行していた習い事や資格スクールの情報誌。キヨコさん、思い立ったら行動力の人である。最初に行ったスクールの先生がいい人で、のちに師匠となるのだから展開が早い。アシスタントをしながら様々な現場で経験を積み、27歳になる2003年に独立した。

ここで、温め直した山菜おこわを食べていただく。わらびやふき、ぜんまいにたけのこが入ったおこわから湯気が上がっていい匂い。

「なんなんこれ、むっちゃおいしそうやーん」と目をきらきらさせてキヨコさんが言う。

 キヨコさんは写真家だが、被写体としても素晴らしいなと撮影していて思った。ここまでおいしそうに食べてくれる人もなかなかいない。

「だってほんまにおいしいねんもん、ああ~久しぶりやな山菜おこわ。最近食べてなかった。食べものの好みはずっと変われへんけど、量が減った。45歳を超したぐらいからごはんのおかわり、しなくなって。でも体重は減らんねん(笑)」

40代はずっと東京で暮らしてきた。夫の仕事の都合で東京に来たのが2010年の暮れのこと。生まれ育った地を離れることに不安はなかったろうか。

「出版不況で大阪の媒体も減り出してきた頃で、WEBへの過渡期でもあり。東京で働いてみたいという気持ちはあったので、行くなら今かなと。連載の仕事はすべて後輩に引き継いでもらって、さあ引っ越したと思ったら数か月で東日本大震災が起こりました」

予定していた仕事はなくなり、営業もままならない日々が続く。だけどこれは東京を知る時間にあてようと考えた。

じっくり歩き回って様々なまちを知り、知り合いを増やすことに専念する時間なのだと割り切った。

「今回質問されて気づいたけど、私って悩まないね。高校出て特に夢もなく、就職しようと思ったけどうまくいかず、バイト生活8年続けてたときも深く悩まなかった。いざ東京に来て仕事なくても、悩まない」

だけど写真という仕事で「やってやる」という心だけはあった、と続けた。「やってやる」の響きの強さに襟を正す思いになる。

上京してから数年で着実に仕事を増やし、現在は人と食の撮影依頼が多い。同時に「仕事じゃない撮影も大事にしていきたい」と語る。

「韓国を旅したとき、各地の市場とそこで働くオモニ(お母さん)たちが懐かしかった。私が育った大阪の空気に似ているから。景色や環境はすごい速度で変わってしまうので、次行ったらもう無いかもしれない。誰に頼まれたわけでもないけど、私の役目と思って勝手に撮り続けてるんです」

量は食べられなくなってきたけど、「朝はしっかり作って食べる」サイクルを大事にしている。ある日の朝ごはんはこんな感じ。撮影:衛藤キヨコ
量は食べられなくなってきたけど、「朝はしっかり作って食べる」サイクルを大事にしている。ある日の朝ごはんはこんな感じ。撮影:衛藤キヨコ

これからの夢はと聞けば、「そうやって撮りためたものを、50歳までに写真集か展覧会かの形にしたい」と即座に教えてくれた。

若い頃はやりたいことが特になかったのに、今はある。夢もある。

「20歳の自分に伝えたら、『嘘ぉ!』って驚くやろね」と笑いつつ、キヨコさんは残っていた山菜おこわをきれいたいらげて、満足げにまた笑った。

取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター、コラムニスト。「暮らしと食」をテーマに、忙しい現代人のための手軽な食生活のととのえ方、より気楽な調理アプローチに関する記事を制作する。主な著書に『自炊力』(光文社新書)『台所をひらく』(大和書房)『のっけて食べる』(文藝春秋)など。2023年10月25日に『名前のない鍋、きょうの鍋』(光文社)を出版。2024年10月29日、『はじめての胃もたれ』(太田出版)を出版予定

Twitter:https://twitter.com/hakuo416
Instagram:https://www.instagram.com/hakuo416/

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