「フィットネス業界のアップル」「次のネットフリックス」ともてはやされた、オンラインフィットネスの米ペロトン・インタラクティブ社。ユニコーン企業として注目され、パンデミックを経て急速に勢いを失った同社の事例からは、テクノロジーを活用した新しいサービスが生活に浸透するための条件がみえてきます。(朝日新聞withHealth)
巨額の経済効果をもたらすユニコーン企業として、海外で注目された米ペロトン・インタラクティブ社。2012年に設立され、6年後の18年8月には時価総額が40億ドルに。そして19年9月には米ナスダックに上場、20年12月には株価が160ドル以上をつけるなど、いわゆるコロナ銘柄として時代の寵児になりました。
そんな同社のビジネスモデルは、オンラインフィットネスサービスにおけるサブスクリプションと、機器販売です。「次のネットフリックス」と呼ばれるゆえんでもあるサブスクリプションの価格自体は、受講できるクラスが変わるメンバーシップの形にもよりますが、現在は月額13~44ドル(約2000~6000円)。
一方、創業当初から提供するディスプレイつきのバイクエクササイズの専用バイクは下位モデルの1445ドル(約20万円)から、18年に発表されたランニングエクササイズの専用トレッドミルは2995ドル(約43万円)からと、かなり高価です。これは「フィットネス業界のアップル」と呼ばれるゆえんでもあります。
提供されるオンラインのコンテンツは、大きく分けて二種類。オンデマンドとライブのレッスンがあります。人気インストラクターが盛り上げるだけでなく、専用の機器とアクセサリーによりユーザーの運動量や状態を検知して画面に表示し、インストラクターがそれに基づいてインタラクティブに声をかけることもできます。
洗練されたガジェットのようなデザインの専用機器や、人の魅力、テクノロジードリブンのコンテンツで「最先端のもの」「おしゃれなもの」としてブランディングし、サービスの価値を向上させていくというのは、まさにアップル社やネットフリックス社の姿と重なります。
世界的なステイホーム需要を背景に、快進撃を続けたペロトン社。しかし、最近の株価は5ドル弱と、最盛期の3%まで下落しています。何が起きたのでしょうか。
主な原因は、やはり「リアルのフィットネスジムに人が戻った」ことだと言えるでしょう。新型コロナウイルスへの人々の警戒が弱まったのと時期を同じくして、ペロトン社は21年にそれまでの急速な売上増から一転、減収が続きました。
コロナ禍でペロトン社は成長路線を描き続けていたため、事業計画との乖離は甚大でした。需要の減少とそれに伴う業績の悪化を受けて、22年2月に共同創業者のジョン・フォーリー最高経営責任者(CEO)が退任、ネットフリックスやスポティファイで最高財務責任者(CFO)を務めたバリー・マッカーシー氏がCEOに就任しました。
バリー氏の体制で、物流部門を中心に従業員の2割に当たる2800人を人員削減し、米オハイオ州で23年に完成予定だった新工場の建設計画も取り止めました。この頃、米アマゾン・ドット・コムやナイキによる同社の買収検討が報じられ、アナリストの中にはアップルによる買収の可能性を予想する人もいました。
もう一つ、ペロトン社の業績に影響を与えたのが、製品リコールへの対応の遅れでした。米消費者製品安全委員会が調査したところ、同社のトレッドミルの不具合により、ユーザーがベルト部分に巻き込まれる事故が多発しており、子どもの死亡事故を含む150件以上の事故があったことがわかりました。
同社は対応の遅れを謝罪し、21年5月に12万台以上のリコールを実施することに。23年5月にはバイク約220万台のリコールも発表。株価も大きく下落しました。乱高下を続ける株価に、信用も失われていきます。このように、「新興企業ゆえの製品の安全管理や対応の不備」もまた、ペロトン社の減速の原因だったとみることができるでしょう。
24年4月には、バリー氏もCEOを退任。あわせて従業員の15%に当たる400人の追加削減や、小売店舗の閉鎖が発表されました。こうした再建計画の効果か、8月に発表された最新の24年4~6月期決算は市場予想を上回る売上高でした。
同社はこの結果を「特に誇りに思う」とコメント。「収益性の向上は、コストを事業規模に合わせることに引き続き注力していることを反映している」として再建計画の効果を強調し、「引き続き支出の最適化に取り組んでいく」としました。一方で、7~9月の決算は予想を大きく下回る厳しい見込みとなっており、同社の苦しい状況は続きそうです。
最新の決算資料では、有料のコネクテッドフィットネスサブスクリプション(機器利用するサブスク利用者)が約298万件で四半期で7万5000件の減少、有料アプリのサブスクリプション(機器利用しないコンテンツのみのサブスク利用者)が61万5000件で約6万件の減少であると発表されました。
機器利用するサブスクリプションは増加が続き、23年に300万件超となっていましたが、そのラインを割り込みました。機器利用しないサブスク利用者は22年に約100万件になってから、減少を続けています。数十万円の専用機器を購入した人でも、コンテンツのサブスクを解約しているというのは、深刻な状況です。
「最先端のもの」「おしゃれなもの」としてブランディングしてきた以上、守るべきはその価値と言えますが、コロナ禍の一時の流行として消費され、かつ、安全ではないものとして生活者からみた価値が損なわれてしまえば、人がオーソドックスなリアルのフィットネスに戻るのは自然なことでもあります。
利用者を夢から醒めさせてはいけない一方、コロナ禍という未曾有の状況で、まったく新しいサービスを提供するための舵取りは難しかったはずです。
そもそも家で運動することには向き不向きがあります。日本でも、家の物置に使用しなくなったフィットネスバイクが放置されている、という人もいるでしょう。
本当に便利で必要なサービスであれば、リアルとオンラインは生活様式の中で共存できるものです。例えば「オンライン会議」は業種によっては定着しているところもあります。一方で、コロナ禍でうたわれた“ニューノーマル”のように、オフィスワークのすべてがリモートに、会議がオンラインのみになることもなさそうです。
ペロトン社の事例からは、新しいサービスが社会に浸透するために必要なのは、その需要のほどを読み誤らないことだと言えそうです。