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連載

#25 大河ドラマ「光る君へ」たらればさんに聞く

お慕いしております!彰子さまの直球の告白 「光る君へ」ファンも涙

紫式部の邸宅跡とされる、京都・廬山寺の境内にある源氏庭
紫式部の邸宅跡とされる、京都・廬山寺の境内にある源氏庭 出典: 水野梓撮影

紫式部が主人公の大河ドラマ「光る君へ」。感情を表に出さなかった彰子さまが、ついに帝へ「お慕いしております!」と思いを伝えた第35回「中宮の涙」は、SNSでも大きな反響を呼びました。平安文学を愛する編集者・たらればさんと語り合いました。(withnews編集部・水野梓)

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『紫式部日記』執筆の頃、清少納言は…

withnews編集長・水野梓:15日放送の最新回「中宮の涙」は、本当に盛りだくさんの内容でしたね。

たらればさん:予告も含めて、情報処理が追いつきませんでした。

一瞬だったのでしっかり確認できなかったんですが、チラッと映った清少納言(ファーストサマーウイカさん)の衣装、鈍色(喪服)じゃなかったですかね?
水野:予告の清少納言の服装が気になるたらればさん、さすが清少納言強火担です(笑)。

鬼気迫る表情で「その物語を読みとうございます」と言ってましたね。これは『源氏物語』のことだと思いますが、怖かった…。

たらればさん:次回(第36回「待ち望まれた日」)は、まひろ(吉高由里子さん)が道長(柄本佑さん)から、中宮・彰子さまの出産のようすを記すよう頼まれて、『紫式部日記』を書き始めることになりそうです。

そうするとこの回の舞台は一条帝と彰子さまの第一子、敦成親王が生まれた寛弘五年(西暦1008年)秋頃のことだと分かります。

そしてこの年の春は、清少納言が仕えた定子さまの3人の子どものうち、3番目の媄子(びし)内親王が亡くなった時期なんですよね……。

水野:えっ……。それで喪服ですか。
京都市右京区にある車折神社の「清少納言社」。清少納言がまつられています
京都市右京区にある車折神社の「清少納言社」。清少納言がまつられています 出典: 水野梓撮影
たらればさん:まだ分かりませんが……よくない予感はします…。媄子内親王は、定子さまが命を落とした出産の時に生まれた子で、満年齢7歳ほどで亡くなってしまうんです。

水野:これまでドラマでは、まひろとききょう(清少納言)はとても仲よく描かれていますが、このあたりで仲違いしていってしまうんでしょうか……。

たらればさん:『紫式部日記』には、紫式部が一方的に清少納言のひどい悪口を書いてますからね。どうなるんだろうとは思っていましたが…心配です。

内親王が亡くなった際、身重の彰子さまは内裏に参内して一条帝をお慰めする…という記録が残っています。どんなふうに描かれるんでしょうね。

帝に思いを伝えた彰子さま 告白のシーンの衝撃

水野:とはいえ、ドラマ本編「中宮の涙」では、ついに彰子さまが帝に思いを伝えるシーンがあり、これはもう衝撃でしたね!

たらればさん:いや~…、本当に。あそこはすごい展開でしたねぇ。

水野:まひろから見た彰子さまの姿を伝えていくとき、彰子さま演じる見上愛さんの目にどんどんと涙がたまっていって。「その息づくお心のうちを、帝にお伝えなされませ」と言われた瞬間、流れた一筋の涙。すごすぎました。
水野:リスナーさんからも「火の玉ストレートの告白に泣きました」と感想がありましたが、涙ながらに「お慕いしております」と伝えたのには、わたしも心が揺さぶられました。

漫画家のおかざき真里さんが、<ちょっと待って!彰子中宮さま!いきなりすぎる。ゼロイチな距離の詰め方。漫画でいうとページをめくったら前振りなしの見開きクライマックス、読者もびっくり><けれど優等生一条くんにクリティカルヒット>と表現されていて、「まさにそれ~!」と思いました(笑)。
たらればさん:表現作品にはそれぞれ媒体ごとに「手法」の違いがあって、たとえばマンガにはマンガの、小説には小説の手法と力があるんですけど、いや~、テレビドラマにはテレビドラマの手法と力があるなぁと。そしてそれは「役者の表現力」を使えるからこそなんだな、というのがよく分かりました。

今回は「ファイト一発!」をしていた、道長一行のハードな御嶽詣…みたいな印象的なシーンがあったんですけども、その印象がはるか彼方にいってしまいましたもんね(笑)。

水野:彰子さまの告白に驚いた帝が「また、来る」と言ったのは、わたしの心の中の直秀が「帰るのかよ!」と叫びましたけど(笑)、これも帝らしい受け止め方なのかなと思いました。

「紫の上」と自分を重ね合わせた彰子さま

たらればさん:今回、まひろは【若紫】(『源氏物語』第五帖)を書いていましたよね。

まさか彰子さまが、子どもの頃に入内して育った自分と、光源氏に連れていかれて育てられる紫の上を重ねあわせるとは、びっくりしました。

水野:そこも驚きでした!

彰子さまは以前も「光源氏は笛の上手な帝のよう」と言っていました。それに自分を紫の上へ重ねて、作者(まひろ)に「紫の上は光源氏の妻にしてほしい」と願ったんですね。物語の解釈は本当に人それぞれなんだなぁと感じます。
紫式部の邸宅跡とされる京都市の廬山寺。『源氏物語』の「若紫」の巻の絵をあしらった特別な御朱印もありました
紫式部の邸宅跡とされる京都市の廬山寺。『源氏物語』の「若紫」の巻の絵をあしらった特別な御朱印もありました 出典: 水野梓撮影
たらればさん:一条帝と彰子さま、やっぱり二人とも、これまではどこかで亡くなられた定子さまのことが頭にあったんだと思うんですよ。

彰子さまは自分のことをずっと「身代わり」だとか、「父親による政治的な役割のみでここにいる存在だ」、と思っていたのかもしれませんが、あれから約7年、今回で「いや、そうではなく、大切なのは自分自身がどうしたいかなのだ」と気がついたということですよね。「ハレルヤ!」ですよ、まさに。

水野:そういえば、彰子さまの藤壺にお渡りになるとき、一条天皇が舞い落ちて溶けてゆく雪を見つめていましたよね。この表現は……。

たらればさん:はい。あそこで「ああ、一条帝はやはり定子さまを思っているのかなぁ」と想起しました。
彰子さまのお墓につながる「鳥辺野陵参道」の石碑
彰子さまのお墓につながる「鳥辺野陵参道」の石碑 出典: 水野梓撮影
たらればさん:『栄花物語』によると、定子さまの葬送の日も雪でしたし、清少納言が御簾を掲げて見せたのも「香炉峰の雪」で、一条帝が定子さまと一緒に雪山を作った思い出の日も雪でした。定子さまと雪は関係が非常に深いので。

水野:定子さまを幸せにできなかったと自分を責めていたところから、少し解放されたのかなぁ、素敵な思い出として思い返せるようになったのかなぁと感じました。

たらればさん:この二人の関係と【若紫】執筆をあわせてくるの、すごいシナリオと演出だなと思いました。

【若紫】って、紫の上との出会いもそうですが、藤壺との密通など、見どころがたくさん盛り込まれている帖なんですよ。それにまんまと引っかかって情緒が大変なことになっているんですけど。

中関白家も「今年こそ道長に勝つ!」

水野:第35回「中宮の涙」の放送があった9月15日は、ちょうど「関ケ原の戦い」の日で、たらればさんは思うところがあったそうですね。

たらればさん:毎年この日は、数日前から、Xの「石田三成」アカウントが「今年こそ西軍が勝つ!」って発信しているんです。

いつもは「あー、毎年恒例だなぁ」くらいの気持ちで見ていたんですが、今年は我が身を振り返って「この姿勢は見習わらなきゃいけないな」と思いました。
水野:見習う!?(笑)

たらればさん:昨年の大河ドラマは戦国時代が舞台の『どうする家康』でしたよね。とても面白かったです。

家康関連の書籍もたくさん発売されて、関ヶ原の戦いにも注目が集まって、石田三成(中村七之助さん)もドラマに登場して、きっちり西軍が負けました。

その時(去年の9月15日)もXで石田三成のなりきりアカウントは(X上で)関ヶ原の戦いを実況して、惜しくも(惜しくも?)敗戦、「くそ…、また負けてしまった…しかし来年こそは!」とつぶやいていたんです。
たらればさん:そして今年の大河ドラマは「光る君へ」ですよ。

今年も(今年も?)道隆(井浦新さん)は早逝し、伊周と隆家は失脚して定子さまは出家し、中関白家は道長一派との権力闘争に負けつつあります。

しかしこの時代のファンとしては、今年一般視聴者の皆さまのあいだに生じた平安時代への熱さを、できるだけ持ち越したい。一人でも多くの人に、来年もその後も、関心を持ち続けてほしいんです。

そのためには、政治的敗者である中関白家ファンのわれわれも、来年以降「今年こそ道長に勝つ!」と言っていくべきではないか、と思うわけです。

水野:なるほどそういうことですね(笑)。

たらればさん:ちなみに関ケ原の戦いにおいて石田三成さんは今年「425回目の敗戦」だそうで、そのていでいくと中関白家は(定子さま没の長保二年十二月十六日<西暦1001年1月13日>から数えて)今年で「1024回目の政治的敗戦」となります。しんどい。一回くらい勝ちたい。

水野:(笑)。「関ケ原の戦い」のように、歴史の授業で習った分かりやすい日があると、一緒にわいわい盛り上がれますもんね。
紫式部が源氏物語の着想を得たという「石山寺」の紫式部像=滋賀県大津市
紫式部が源氏物語の着想を得たという「石山寺」の紫式部像=滋賀県大津市 出典: 水野梓撮影
たらればさん:そうなると古典ファンにとっては、11月1日の「古典の日」があたるでしょうか。

寛弘五年(西暦1008年)十一月一日、酔っ払った藤原公任が紫式部に対して「ここらへんに若紫はいませんか」(「このわたりに若紫やさぶらふ」)と呼びかける――。

これが記録に残る初めての「紫式部」で、これにちなんで「古典の日」が制定されたんです。

水野:今回の予告で、公任演じる町田啓太さんが「若紫はいませんか」と言っていましたね……!!!

たらればさん:次回以降も盛りだくさんですが、どのように描かれるのかが楽しみですね。
◆これまでのたらればさんの「光る君へ」スペース採録記事は、こちら(https://withnews.jp/articles/keyword/10926)から。
次回のたらればさんとのスペースは、10月13日21時~に開催します。
たらればさんが、朝日カルチャーセンターの講座『「枕草子」の煌めく世界―紫式部を鏡として』に登壇します。
『新訂 枕草子』の著者・河添房江さん、津島知明さんに、清少納言や「枕草子」のあれこれを聞いて深掘りします。

日時:10月26日(土)13時~

申し込みはこちら(https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=7394695)から。

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