連載
#53 イーハトーブの空を見上げて
92歳のバラ名人が抱く夢 「雨ニモマケズ」の名前に込めた思い
宮沢賢治の故郷・岩手県花巻市に「名人」と呼ばれるバラの育種家がいる。
吉池貞蔵さん(92)。
著名なバラの国際大会「第17回国際香りのばら新品種コンクール」で昨年末、見事、金賞を獲得した。
受賞したバラの名前は「雨ニモマケズ・ノースアイボリー」。
審査では「香りはティー系。華やかなダージリンティーの香りに爽やかなレモンとバイオレットの花を遭わせた香り」と評された。
同大会は「香り」に重点を置いた世界的にも珍しいコンクールだ。
応募された苗は、公園内の試作場に植えられ、その後2年間、同じ条件で育てられ、審査される。
「厳密な審査のなかで、『ああ、良い香りだな』と実感してもらえたことがうれしい」と吉池さんは顔をほころばせる。
長野県出身。
通っていた農学校で農家の見学に行った際、田んぼに露地で栽培されていたカーネーションやテッポウユリの美しさに心を奪われた。
「花の栽培を勉強したい」と千葉大に進学。東京のアルバイト先でバラと出合った。
「まだ戦後まもない時期で、東京・三越の向かいでは、地べたで園芸品の直売をしていた。
園芸業者と仲良くなり、長野県出身だと言ったら、『長野には野バラがあるだろう』と」
長野に帰って野バラの株を掘り、東京で売ると1株2円50銭から3円で売れた。
販売した野バラは全部で3千株ほど。
「食糧難の時代でも、人は花に心の潤いを求めていたんです」
その後、岩手県内の農業学校や園芸試験場に勤務してからも、自宅の庭にはバラを植え、「勤めから帰った後に、懐中電灯でこっそりバラの様子を確かめる日々」を長く続けた。
定年退職後にバラの栽培に本腰を入れ、いくつもの国際コンクールで金賞を受賞。
花巻市の自宅前の「ほ場」には現在、数百種・数千株以上のバラが咲き誇る。
これまでに開発したバラは50品種以上。
10品種以上に「クラムボン」「雪渡り」「イーハトーブの朝」など、岩手の詩人・宮沢賢治にちなんだ名前がつけられている。
「バラは病気に弱いのが難点なので、『雨ニモマケズ』という耐病性の高いバラのシリーズを作っている。一般の家庭でも、植えっぱなしで秋まで美しく咲いてくれるような、そんな病気に強い、誰でも簡単に育てられるバラを作り続けていくことが、夢です」
栄誉でなく、バラを愛する人々のために――。
そんな願いがどこか、賢治の生き方にもつながる。
(2024年6月取材)
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