お金と仕事
「斎藤佑樹ならではの恩返しを…」元プロ野球選手のネクストキャリア
「野球のない生活が想像できなかった」と語る、元プロ野球選手の斎藤佑樹さん。甲子園で球史に残る名勝負を演じ、11年間日本ハムでプレーしました。引退後は自身の名前を冠した「株式会社斎藤佑樹」を設立。「自分にしかできない恩返し」がしたいと、今は新たな夢を追いかけて活動しています。引退から2年半が経つ今、ネクストキャリアを経験して感じたことを聞きました。(ライター・小野ヒデコ)
斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)
「これまで、野球と共に生きてきました。現役時代は、“野球のない生活”というのが想像つかず、すごく不安だったんですよね」
11年間、日本ハムファイターズ投手として活動した斎藤佑樹さん(36)は、何度もケガに悩まされました。2021年に引退を発表した理由もケガでした。
小学1年生から野球を始めた斎藤さんにとって、野球は日常の一部であり、相棒のような存在でした。
その生活が、引退によって劇的に変わってしまうことに「人生がガラッと変わってしまうのではと思っていました」と振り返ります。
将来に不安を抱く日々を過ごしていましたが、ある時ふと、「野球〝選手〟ではなくなるけれど、野球に携わり続けていくことはできるのでは」という考えが頭に浮かびました。その瞬間、不安が一気になくなったことを鮮明に覚えていると話します。
野球で得た経験をベースに、新たなキャリアを築いていけないか。「自分じゃないとできない野球界への恩返しをしたい」との強い思いが核となりました。
そのためには、企業や組織に所属するのではなく、自分で事業をする方がいいと考えたそうです。
そして、2021年12月に「株式会社斎藤佑樹」を設立。正直、具体的な活動は決まっていませんでしたが、「1人で歩いている姿を見せることによって何か生まれるのでは」という思いだったそうです。
〝ハンカチ王子〟と呼ばれるなど、ほかの選手とは「違う注目のされ方をしてきた」と語る斎藤さん。
「だからこそ、僕なりの野球界の恩返しがあるのではないかと、勝手に自分の中で使命感を抱いていました。その思いは今も変わりません」
「野球界への恩返し」の一つに、斎藤さん自身も抱いていた、「アスリートの将来への漠然とした不安」の解決がありました。
「現役時代、悩みを聞いてくれる親や友人知人は身近にいたのですが、自分の思いを話すだけで終わってしまうと感じていました。そこから一歩踏み込み、『こんな道もあるのでは』といった提案をしてもらえる場があったら良いなと思っていました」
その原体験から生まれたのが、アスリートのネクストキャリアを考えるサービス「アスミチ」でした。
斎藤さんが取締役を務めるシーソーゲームにて提案をしたアスミチでは、元アスリートの体験をもとにした記事をはじめとするネクストキャリアの情報発信をしています。
キャリアプランナーへの相談や、デジタルスキルを習得するリスキリング講座、さらにビジネスマッチングも展開していく方向で、一気貫通したサポートを提供予定です。
斎藤さん自身、アスミチを中心としたプロジェクトの推進を通じて、多様な考え方や選択肢に触れるようになったといいます。
その一方で、引退後に新たな分野を突き進む元アスリートたちに憧れを抱くこともあると打ち明けます。
「『今何をしているの?』と聞かれた時、明確な業種をなかなか答えづらいところがある反面、フットワーク軽く、動くことができています。アスミチで感じた課題を、『株式会社斎藤佑樹』として出会った人と一緒に解決に向けて取り組める可能性があることが、自分の武器になっていると感じています」
引退から2年半が経つ今、斎藤さんが明確に見据えている目標は、「少年少女専用サイズの野球場を作ること」です。
今年6月、アスミチとマイナビアスリートキャリアが共同開催した、アスリートのキャリアを考えるトークイベントでは、この夢の理由をこう語っていました。
「日本では、子どもたちは河川敷やグラウンドで野球をしますよね。そうなるとランニングホームランが多くなります。でも、フェンスオーバー(ホームラン)でしっかりとダイヤモンド(ベース)を踏んで1周返ってくる経験を味わってほしい。もしかしたらそのホームランの一球の成功体験が、その子の野球人生における糧になるかもしれないからです」
その思いの元、野球場の建設場所について検討を重ねてきました。
現時点では北海道夕張郡長沼町が最有力候補に。「北海道」を選んだのは、やはり11年間所属したチームにゆかりのある地だからだといいます。
「将来的には子どもたちが安心して野球ができ、ケガのケアをできる場所にもしたいと考えています。クリニックを併設して自分の体を知り、競技だけではなく体やケガのことも考えた場所にできたらという考えを巡らせています」
実は、斎藤さんが引退当初に起業して計画した事業は、「ケガをした選手へのアプローチ」でした。
しかし、リサーチする中で「野球選手を引退したばかりの人間が、すぐに課題解決できるほど甘くはない」という現実に直面し、構想をあたためていたという経緯がありました。
それから2年半、たくさんの人やモノとの出会い、アスミチの運営における気づきなどの「点」と「点」が結びつき、「線」になっていく――。
ケガへのアプローチ法をはじめとする事業の可能性は、斎藤さん自身の経験や知見の広がりと連動していると筆者は感じました。
斎藤さんは「アスリートの課題解決をする手伝いができることが、僕自身とても嬉しく思っています」と力強く話します。
そんな斎藤さんの「線」はこれからも増え、ゆくゆくは「面」になっていくのかもしれません。
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