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#46 イーハトーブの空を見上げて

父母を奪った海、だけど… 遊覧船「うみねこ丸」の造船技師の願い

宮古港に入港した「うみねこ丸」
宮古港に入港した「うみねこ丸」
「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。
イーハトーブの空を見上げて

宮古港に初入港、出迎えた大漁旗

三陸海岸の絶景ポイントとして知られる岩手県宮古市の「浄土ケ浜」。

2022年夏、そんな白い流紋岩の景勝地をめぐる新しい遊覧船「宮古うみねこ丸」が就航した。

建造を担ったのは、東日本大震災後に復興を目指して設立された地元の造船会社だ。

5月末、完成したばかりの「うみねこ丸」が宮古港に初入港すると、待ち受けていた数百人の市民らが大漁旗を振って出迎えた。

造船技師の鈴木津(しん)さん(57)も、岸壁から大きく両手を振った。

「みんなにこんなに祝ってもらえて、なんだかウルッとしちゃいますね」

大槌町の実家は跡形もなく…

あの日の海を忘れたことはない。

2011年3月11日は、故郷の岩手県大槌町にある半導体部品工場で働いていた。

激しい揺れで工場前の道路がゆがみ、直後、近くの川を津波がさかのぼってきた。

部下の安全を確保してから、宮古市の自宅に戻ると、家族は無事だったものの、大槌町の実家で暮らす父(当時81)や母(同73)と連絡が取れない。

数日後、ガソリンを確保して町に向かうと、実家は跡形もなく、2人は行方不明になっていた。

遺体安置所を回り、両親を捜した。

数十の遺体と対面し、その中から首元に見覚えのあるスカーフを巻いた遺体を見つけ、母親だとわかった。

「寒かっただろうな」

優しかった面影がまぶたに浮かび、涙があふれた。

父親は見つからなかった。

自分の仕事を息子の目に見える形で

翌年、勤務していた工場を辞めた。

残りの人生は故郷の復興に貢献できる仕事に就きたいと考えた。

そんな時、船舶の再建を通じて地域の復興を図ろうと岩手県山田町に設立された造船会社が求人を出しているのを知り、応募した。

1年間、広島で研修を受けて造船技術を学んだ。

再就職先に造船会社を選んだもう一つの理由は、長男の琉久(りく)さん(16)に、自分の仕事を目に見える形で残したかったからだ。

「あいつに『これが俺が造った船なんだぞ』と言えたら、どんな素晴らしいかと思って」

初入港の日、駆け寄ってきた息子は…

最初に挑んだ大仕事が、全長約19メートルの遊覧船の建造だった。

宮古市では1962年に民間の遊覧船が就航していたが、津波で3隻中2隻が被災し、震災後は1隻で運航を続けていた。

しかし、赤字続きで2021年1月に運航を終了したため、代わりに宮古市が建造に乗り出していた。

「うみねこ丸」の初入港の日、真新しい船を見つめる鈴木さんに、息子の琉久さんが駆け寄って声を掛けた。

「おやじ、すげーじゃん」

「そうか?」

短く返した鈴木さんの両目に、うっすらと涙がにじむ。

両親をはじめ、多くの命を奪った海。

一方で、子どものころに両親と過ごした楽しい思い出もあり、いままた、こうして息子との絆を深めてくれる。

鈴木さんは照れながら言った。

「多くの人にこの遊覧船に乗ってもらい、楽しい思い出をたくさん作ってほしい。亡くなった両親も、きっと喜んでくれていると思うから」

(2022年5月取材)

三浦英之:2000年に朝日新聞に入社後、宮城・南三陸駐在や福島・南相馬支局員として東日本大震災の取材を続ける。
書籍『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で開高健ノンフィクション賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で小学館ノンフィクション大賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で山本美香記念国際ジャーナリスト賞と新潮ドキュメント賞を受賞。
withnewsの連載「帰れない村(https://withnews.jp/articles/series/90/1)」 では2021 LINEジャーナリズム賞を受賞した
 

「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。

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