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学校で〝やりたい〟心折られそうな君へ YOSHIKIが伝えること
「将来就きたい職業」に「ロックスター」と書いて「すごい勢いで怒られた」。
そんな中高時代の経験をX JAPANのリーダーYOSHIKIさんがX(旧Twitter)でつぶやきました。その背景には、「おおらかな時代」になっているはずの現代でも、当時のように、子どもの〝やりたい気持ち〟をくじいてしまう社会への疑問があったと言います。
YOSHIKIさん、今、子どもたちに、伝えたいことは何ですか。
YOSHIKIさんがX(@YoshikiOfficial)で中高時代の経験をつぶやいたのは、6月12日でした。
《自分は以前、進学校に行って、将来就きたい職業を書くように言われ、ロックスター って書いたら、職員室に呼ばれて、真面目に書け、って凄い勢いで怒られた。》
文章とともに引用していたのは、東京都千代田区立・麴町中学校のダンス部が直面した「ヒップホップ禁止令」に関する記事。
記事では、東京都千代田区立麴町中学校がダンス部の活動をヒップホップから創作ダンス中心に変更したことに生徒や保護者が反発し、区の教育委員会に抗議文書を出すに至ったことを報じていました。学校側は、抗議を受け、2、3年生には週1回の自主練習を認めましたが、部活動でヒップホップダンスをやらない方針は変わっていません。
この投稿には、「もっと(教師に)耳を傾けてほしい。自分の価値観を押し付けちゃいけない」「やるからには、突き詰めてやり遂げなよ、と後押しがほしい」「学校がドリームキラー(夢をつぶす人)になってしまう日本の教育、本当に変わってほしいと思います」「そのときの先生は、今どう思っているんだろうか」と学校に対する思い出や、共感するコメントがつきました。
ニュースを見て《かわいそう》だと生徒たちの苦境に共感したというYOSHIKIさんにオンラインインタビューを申し込むと、快諾してくれました。
自分は以前、進学校に行って、将来就きたい職業を書くように言われ、#ロックスター って書いたら、職員室に呼ばれて、真面目に書け、って凄い勢いで怒られた。😭#YOSHIKI https://t.co/JDwOqKurGP
— Yoshiki (@YoshikiOfficial) June 12, 2024
今でこそ、〝就きたい職業〟に書いた通り、不動のロックスターとなっているYOSHIKIさんですが、中高時代は「ロックは不良のやることだ」という偏見に苦しめられたと言います。
「自分の中では真剣だったのですが、先生たちからはふざけて書いたと思われたんでしょうね。『真剣です』と反発しても聞いてもらえず、とてもつらかった記憶もあります」
部活動としてのヒップホップダンスを学校によって終わらされる子どもたちに想いを重ねます。
「おおらかな時代になっているので、今でもこんなことがあるんだとショックでしたし、びっくりしました。生徒の皆さんが、昔の僕と同じような境遇に立たされるのは、かわいそうだなと。学校側はもう少し考慮してあげてもいいんじゃないかな、とも思っています」
YOSHIKIさんは4歳でピアノを始め、10歳でロックと出会いました。
父親の自死を経験するなど波瀾万丈な人生の、怒りや悲しみを音楽にぶつけてきたと言います。
大げさではなく、「音楽がなかったら、生きてこられなかった」とまで考えています。
だからこそ、学校側には、その重さと向き合ってもらいたいと願っています。
「学校側にも事情はあるのでしょうけど、そういった音楽表現が若者の支えになっているのはあると思うんです」
もし、学校などで大人に「やりたい気持ち」を折られてしまったら、どうしたらいいのでしょうか。
「まずは学校側が制約のバランスを考えてくれるといいと思うんですけど」と前置きした上で、子どもたちにメッセージを送ってくれました。
中学や高校では「ロックや奇抜な格好が理解されなくてつらかった」というYOSHIKIさん。それでも、高校の最初の文化祭で演奏した後に、周りの目が変わったといいます。
「先生たちも『ひょっとしたらすごいかも』と、だんだんと応援してくれるようになりました」
やり続けることが、後押しを生み、「ロックスター」を叶えた自分の経験を通して、エールを送ります。
「人気ラッパーやロックスターといった夢を追うことができる環境の国ではあるので、今は苦しくても頑張ってほしいなと思います」
ほかにも、YOSHIKIさんは学校や教育界への願いも語ってくれました。
特に筆者の胸に刺さったのは、「なぜ日本には『突拍子もない人』が生まれづらいのか」という問いかけから始まるメッセージでした。
子どもたちの未来のために、私たち大人ができることは何だろうか――。
筆者自身も改めて考える機会となりました。
YOSHIKI
千葉県館山市出身。1989年にX JAPAN(当時はX)のドラム・ピアノ担当としてメジャーデビュー。「紅」「ENDLESS RAIN」など多数のヒット曲で知られる。最近は、愛用のクリスタルピアノをオークションに出品するなどして、能登半島地震の被災地に合計5000万円を寄付。ウクライナや周辺国の避難民に対してはこれまで3000万円を援助している。また、ハリウッドで制作された映画『YOSHIKI:UNDER THE SKY』で初となる監督を務め、自身が手掛けるハイファッションブランド「MAISON YOSHIKI PARIS」が、ミラノ・ファッションウィークで世界デビューを飾るなど、活動は多岐にわたる。
8月2~31日、ディナーショー「EVENING / BREAKFAST with YOSHIKI 2024 in TOKYO JAPAN」を東京都内で開く。今年において最後の単独公演となる予定。「ローソンチケット」で一般先着販売中。8月1日には、本人とオンライン上で話すこともできる有料のファンコミュニティーを始める。「ロックやビジュアル系への偏見が根強かった初期から、ずっと支えてくれたのはファン。もっと密につながっていきたい」
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