連載
#44 イーハトーブの空を見上げて
入浴料は「お気持ち」で カーナビでたどり着けない山奥の〝秘湯〟
「カーナビではたどり着けない」。そう湯治ファンの間でささやかれる北上山地の「湯どころ」がある。
180年以上の歴史があるとされる、岩手県遠野市の「飛龍山の湯」。
山奥の民家に、86歳の粒針(つぶはり)キミさんが1人で住み込みながら、「秘湯」を守り続けている。
取材に訪れたのは5月の連休。
電話で取材の約束を取りつけてはいたものの、「飛龍山の湯」は、記者の車のカーナビやグーグルマップにも出てこない。
遠野市中心部から約40分、途中で地域の住民に尋ね、脇道からガードレールのない凸凹の山道を約10分登った先に、民家が1軒ぽつんとたたずんでいた。
「まずはお風呂に入ってくださいな」
笑顔で出迎えてくれた粒針さんからは、取材の前に入浴を勧められた。
民家の奥に約4畳半ほどの浴室があり、ヒノキの浴槽の中にトロリとした湧き水が沸いている。
粒針さんはこの民家で生まれ育った。
結婚して花巻市東和町に転居したものの、約30年前から実家を手伝い始めた。
現在は4月中旬から11月末まで、月の半分ほどをこの民家で寝泊まりしながら、入浴客を受け入れている。
体が芯から温まると評判で、年間数十人から100人近くが訪れる。
客が来ない日も多いが、「来た人ががっかりしないように、お湯だけは毎日沸かしている」。
入浴料は「お気持ち」。
民家の座敷で寝るだけの宿泊も可能だが、宿泊料も「お気持ち」だ。
理由を聞くと、大声で笑った。
「だってお金を取れるような、大したものじゃないのよ」
注意事項は特になし。
ただ大昔、入浴客が酒に酔って風呂をひっくり返したことがあり、その後、湧き水が出なくなったという言い伝えがあるため、「節度をもって入浴してください。他の温泉地のように、酒を飲んで遊ぶ場所ではありません」とお願いしている。
毎朝3時か4時に起床し、ナラやクリのまきをくべながら約4時間かけて湧き水を沸かす。
自らが30分ほど入浴し、その後は午後7時まで客を待つ。
来なければ夕食を取って午後8時ごろ寝床に入る。
「毎日がその繰り返し。忙しい、忙しい」
新緑の山々の間を、涼やかな風と笑い声が駆け抜ける。
(2024年5月取材)
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