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〝無脳児〟実は1000人に1人 仕方なく中絶、入院中に火葬の予約

「普通」の出産は決して当たり前のことではない。※画像はイメージ
「普通」の出産は決して当たり前のことではない。※画像はイメージ 出典: Getty Images

目次

『ブラック・ジャック』のドラマ化に伴い、衝撃的な、かつ“闇医者”ブラック・ジャックの生命倫理観を示すエピソードとして、原作マンガの「無脳児(作中では無頭児)」の回を紹介するSNS上の投稿が拡散されています。無脳児とはどのような状態で、その親はどんな選択や対応をし、どんな思いを抱くのでしょうか。(朝日新聞デジタル企画報道部・朽木誠一郎)

「殺した方がよかった」とBJ

製作発表時から話題になっていた、手塚治虫さんのマンガ『ブラック・ジャック』の24年ぶりとなるドラマ化。原作からの設定の改変に伴い、キャラクターの生命倫理観が取り沙汰されています。

その中で、主人公の“闇医者”ブラック・ジャックの生命倫理観を反映するエピソードとして、原作マンガの第12話「その子を殺すな!」の回を紹介する投稿がX(旧Twitter)に投稿され、拡散されています。

見る人がグロテスクに受け取るであろうタッチで、大きく描かれた無脳児(作中では<無頭児>)の姿。

ブラック・ジャックは指をさし<X線像でこのことはわかってたんだ/だから殺したほうが母親のためによかったのだ!!/それともそんな赤ん坊を生かすのが神のおぼしめしだってのか?そのカエルみたいな脳ミソのない子がどんな一生を送るというんだっ/殺せ――っ>と叫びます。

私はこのエピソードは初見で、実際に読んでみて、複雑な思いを抱きました。それは、私自身が昨年、無脳症だった自分の子どもを亡くしているからです。

実は「1000人に1人」の発生率

この投稿を見かけた人は、おどろおどろしいフィクションの世界の中のこと、あるいはたとえ現実であっても極めて珍しい症状だと感じたのではないでしょうか。

実際に、手塚治虫さんがどんな病気をモデルにこのエピソードを描いたのか、本人に聞くことは叶いません。ただ、作中にある<大脳をまったく欠いた赤ん坊である><ごくまれにしか生まれないが/もちろん 生まれても/生存能力はない>という表現に近いのは、無脳症という病気です。

無脳症とは、脳の全部または一部が欠損している疾患です。頭蓋骨も欠損し、脳が露出していることもあります。そして、この疾患は1000人に1人(※)という、胎児の奇形のうち、少なくない割合で発生するのです。決して、誰もが無関係な病気ではありません。

※Antenatal diagnosis of fetal acrania. J Ultrasound Med. 1987 Dec;6(12):715-7. doi: 10.7863/jum.1987.6.12.715.

脳は思考や意識だけでなく、呼吸や心臓の拍動などの生命維持機能も司ります。厚生労働省によれば、無脳症では過半数が自然流産するか、妊娠中絶を受けるか、出生しても 24 時間以内に死亡します。そのため、医師からは基本的に中絶を勧められます。

なお、他の国では、移植可能な乳児の臓器不足を背景に、無脳症児を臓器移植のドナーとして推進する立場もあります。
 

生きているのに火葬を予約する

無脳症には、当事者になってみないとわからない、親にとって特有の苦しみがあります。

まずは、いわゆる出生前診断のような検査を自ら希望して受けて判明するわけではなく、通常の妊婦健診の超音波検査で、胎児の先天性形態異常(奇形)を探す中で見つかることです。

親としては、赤ちゃんを授かってその成長を喜ぶつもりで受ける妊婦健診。しかし、そこで突然「脳がない」、つまり、母体内では生きているのに、母体外では生きられない、という可能性を告げられることになります。

さらに、そのため、親が自ら妊娠を終了する、つまり中絶するという意思決定をしなければならないのです。

担当医師は私と妻に「産むという選択肢は現実的にはない」とした上で「それでもどうするかを選ぶのは親」と言いました。中絶には同意書が必要ですが、その理由は「母体の健康のため」と書かれていました。日本では、胎児の病気を理由とした中絶は認められていないからです。

「脳がない」という奇形が判明するのは妊娠中期であることもしばしばで、その場合、中絶は12週未満の場合に可能な掻爬や吸引といった方法ではなく、分娩によって行われます。生まれた瞬間に命を失う子どもを生むために、妻は陣痛を感じ、いきみ、“出産”をしました。

中期中絶の場合、火葬許可証と死産届が必要になります。当然、入院中の妻には対応できないので、これは私が対応しました。

我が子が生きているうちから、火葬を予約するという行為は、精神的に負担だと感じましたが、さらに大きな肉体的な負担まで引き受ける妻を思うと、そんなことは言っていられない、と思い直しました。
 

50年前のエピソードに思うこと

死産から半年以上が経ちましたが、「無脳症で家族を亡くした」という経験は、今も根深く影響しています。周囲から「元気がない」「楽しそうじゃない」と言われるようになり、気分が落ち込んだ時にそれを上手くコントロールするのが難しくなりました。

「どうしたの」と聞かれても、「子どもが死産になったから」なんて、言われた相手も困るでしょう。そこで、外ではできるだけこれまで通りに過ごし、家に帰って妻とこれからの話をすることで、なんとか立ち直ろうとしてきました。

だからこそ、「その子を殺すな!」のエピソードのブラック・ジャックの物言いには、強い違和感を覚えました。

フィクションであることは承知の上で、<そのカエルみたいな脳ミソのない子がどんな一生を送るというんだっ/殺せ――っ>という台詞は、気持ちのいいものではありません。脳がなくても、この世に出てきた我が子は、確かに人間だったからです。

また、親の知らないうちに、医師が無脳児の命を断つという意思決定を肩代わりすることは、少なくとも自分にとっては救いではないと考えます。

第12話は少年チャンピオン・コミックス版の2巻に収録されていますが、その発売日は1974年の7月18日と、ちょうど50年前(ちなみにピノコが初登場する巻です)。そもそもの生命倫理観も、今とは異なるでしょう。

設定の改変を巡るネット上の騒動は、「生命の捉え方は移り変わるもの」という一つの証左とも言えそうです。
 

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