連載
#43 イーハトーブの空を見上げて
泣き相撲で思い出す 目を真っ赤にした大人たちが迎えた〝新しい命〟
「よっ、よっ」という掛け声に合わせ、生後6カ月から1歳半までの豆力士たちが親方に抱かれて土俵に上がり、顔を近づけ勝負する。
子どもの健やかな成長を願う岩手県花巻市の初夏の風物詩「全国泣き相撲大会」が今年も開かれた。
全国から約620人が参加し、「目覚め泣き」「ほほ笑み返し」などの決まり手がアナウンスされる度に、会場からは子どもの泣き声と大人たちの笑い声が沸き上がる。
泣いた方が負け。
千葉県松戸市から参加した衣真(えま)ちゃん(10カ月)の母親は「始まる前は大泣きしていたのに、土俵に上がった途端にびっくりして泣きやんでしまった」とちょっと残念そうに笑った。
輪の中心で赤ん坊が泣き、その外側で大人たちが笑う、普遍的な風景。
でもその真逆の景色を、私はかつて見たことがあった。
2011年7月、私は宮城県の沿岸部である女性の出産に立ち会っていた。
分娩室の扉の外にある長いすで、新たにおばあちゃんになる2人の女性と一緒に、新しい命の誕生を待ちわびていた。
女性は3月5日に結婚式を挙げ、新婚6日目の3月11日に夫を津波で亡くしていた。
当時、おなかの中には赤ちゃんがいた。
女性の義理の母は、津波で両親と息子(女性の夫)、娘の家族4人全員を失っていた。
おなかの中の赤ちゃんだけが、残された唯一の「家族」だった。
午後7時32分、妊婦の絶叫が突然、乳児の産声に変わると、私は2人のおばあちゃんと一緒に分娩室へと駆け込んだ。
助産師の大きな胸に、2980グラムの小さな命が抱かれていた。
津波で家族4人を失い、40代でおばあちゃんになった女性が乳児を受け取り、愛おしそうに顔を近づけて言った。
「ほらほら、私がおばあちゃんだよ」
ある意味、異様な光景だった。
生まれてきたばかりの赤ん坊は目をしっかりと見開き、泣き声もあげずに微笑んでいるようにもみえる。
その周囲で、出産を終えた女性や2人のおばあちゃんだけなく、医師や看護師までもが、目を真っ赤に腫らして泣いている。
私は乳児にカメラのレンズを向けながら、この小さな瞳にはいま、どんな世界が映っているのだろうと夢想した。
ファインダーが涙で曇り、ひそかに目元をぬぐおうとしたところを、乳児を抱いた40代のおばあちゃんに見つかった。
「お、新聞記者、また泣いてるな」
お互い、泣きながら、笑い、また泣いた。
あの日、涙の海から生まれた女児は、全国のピアノコンクールで2位に入るような少女に育ち、この春、中学校に入学した。
花巻市の「泣き相撲大会」の会場で多くの泣き声を聞きながら、「健やかに、ただ、健やかに」と願った、あの日の気持ちを思い出す。
(2024年5月取材)
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