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泣き相撲で思い出す 目を真っ赤にした大人たちが迎えた〝新しい命〟

土俵で大泣きする豆力士
土俵で大泣きする豆力士
「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。
イーハトーブの空を見上げて

岩手・花巻、初夏の風物詩

「よっ、よっ」という掛け声に合わせ、生後6カ月から1歳半までの豆力士たちが親方に抱かれて土俵に上がり、顔を近づけ勝負する。

子どもの健やかな成長を願う岩手県花巻市の初夏の風物詩「全国泣き相撲大会」が今年も開かれた。

全国から約620人が参加し、「目覚め泣き」「ほほ笑み返し」などの決まり手がアナウンスされる度に、会場からは子どもの泣き声と大人たちの笑い声が沸き上がる。

泣いた方が負け。

千葉県松戸市から参加した衣真(えま)ちゃん(10カ月)の母親は「始まる前は大泣きしていたのに、土俵に上がった途端にびっくりして泣きやんでしまった」とちょっと残念そうに笑った。

2011年7月、待ちわびた新しい命

輪の中心で赤ん坊が泣き、その外側で大人たちが笑う、普遍的な風景。

でもその真逆の景色を、私はかつて見たことがあった。

2011年7月、私は宮城県の沿岸部である女性の出産に立ち会っていた。

分娩室の扉の外にある長いすで、新たにおばあちゃんになる2人の女性と一緒に、新しい命の誕生を待ちわびていた。

女性は3月5日に結婚式を挙げ、新婚6日目の3月11日に夫を津波で亡くしていた。

当時、おなかの中には赤ちゃんがいた。

女性の義理の母は、津波で両親と息子(女性の夫)、娘の家族4人全員を失っていた。

おなかの中の赤ちゃんだけが、残された唯一の「家族」だった。

午後7時32分、妊婦の絶叫が突然、乳児の産声に変わると、私は2人のおばあちゃんと一緒に分娩室へと駆け込んだ。

助産師の大きな胸に、2980グラムの小さな命が抱かれていた。

津波で家族4人を失い、40代でおばあちゃんになった女性が乳児を受け取り、愛おしそうに顔を近づけて言った。

「ほらほら、私がおばあちゃんだよ」

泣きながら、笑い、また泣いた

ある意味、異様な光景だった。

生まれてきたばかりの赤ん坊は目をしっかりと見開き、泣き声もあげずに微笑んでいるようにもみえる。

その周囲で、出産を終えた女性や2人のおばあちゃんだけなく、医師や看護師までもが、目を真っ赤に腫らして泣いている。

私は乳児にカメラのレンズを向けながら、この小さな瞳にはいま、どんな世界が映っているのだろうと夢想した。

ファインダーが涙で曇り、ひそかに目元をぬぐおうとしたところを、乳児を抱いた40代のおばあちゃんに見つかった。

「お、新聞記者、また泣いてるな」

お互い、泣きながら、笑い、また泣いた。

あの日、涙の海から生まれた女児は、全国のピアノコンクールで2位に入るような少女に育ち、この春、中学校に入学した。

花巻市の「泣き相撲大会」の会場で多くの泣き声を聞きながら、「健やかに、ただ、健やかに」と願った、あの日の気持ちを思い出す。

(2024年5月取材)

三浦英之:2000年に朝日新聞に入社後、宮城・南三陸駐在や福島・南相馬支局員として東日本大震災の取材を続ける。
書籍『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で開高健ノンフィクション賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で小学館ノンフィクション大賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で山本美香記念国際ジャーナリスト賞と新潮ドキュメント賞を受賞。
withnewsの連載「帰れない村(https://withnews.jp/articles/series/90/1)」 では2021 LINEジャーナリズム賞を受賞した
 

「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。

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