紫式部を主人公とした大河ドラマ「光る君へ」。清少納言も重要なキャラクターとして描かれていますが、推してきた編集者・たらればさんは、なぜ「枕草子」にここまでハマったのでしょうか。たらればさんは「負けることの多い私たちは、どう負けるかを知ることが大事」と指摘します。(withnews編集部・水野梓)
水野梓・withnews編集長:大河ドラマ第23回「忘れえぬ人」では、一条天皇から清少納言が褒められるというシーンも描かれましたね。
リスナーさんから、こんな質問をいただいています。
<たらればさんが古典文学を好きになったのはいつ頃でしたか? また、清少納言を推し始めたきっかけは何かあるのでしょうか>
水野:これはわたしもいつか伺いたいと思っていました…!
たらればさん:昔から古典文学は好きでした。雪崩を打って読み始めて、古本屋で5000円ぐらいの本でもひるまず買うようになったきっかけは、2007年ぐらいに山本淳子先生の『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』を読み始めたことでした。
たらればさん:「源氏物語の時代」とタイトルにありますが、前半は中宮定子と中関白家の話です。その後、道長政権になって、紫式部が源氏物語の執筆に入っていく本です。
吉祥寺のジュンク堂書店で、面陳されているものをなんとなく手にとって、家に帰ってページを開いたら一気に最後まで読んで、「大変なものを読んでしまった…」と思いましたね。
水野:子どもの頃、古典が大好きで得意だったとかではないんですね。
たらればさん:もちろん好きでしたけど、特に得意というほどではありませんでした。小倉百人一首はだいたい覚えていたし、その手の本が出たら買おうとかはありましたけど……。
水野:それはだいぶ得意で好きな部類です(笑)。
たらればさん:それと、2008年にアメリカ大統領選挙でバラク・オバマ氏が勝って、共和党のジョン・マケインさんが負けたんですよね。その時のマケインさんの敗戦の演説にものすごく感動して。「敗者の物語」に非常に興味を持ち始めたことも契機のひとつとしてあります。
水野:敗者の物語……。
たらればさん:「ああ、負けることのほうが多いわたしたちは、どう負けるか、負けたあとどのように振る舞うか、を知ることも、とても大切なんだ」と気づいたきっかけでした。枕草子って、やっぱり敗者の物語なんです。
これ、私は小倉百人一首も敗者の物語だと思っています。小倉百人一首が成立したのは1235年頃、いよいよ平安時代が終わり、鎌倉時代になるところです。
これからは武士の時代で、貴族・王朝文化は終了する……という時期に、藤原定家が「ああ、これはもうダメかもしれん」と、天智天皇から順徳院まで約550年間の王朝時代に詠まれた和歌を百首まとめた歌集なので。
たらればさん:そういえば5年前のwithnewsのインタビューでも敗者の弁について答えた記憶が。
水野:枕草子の話もあって、言っていることが変わってないです…!
たらればさん:同じことをずっと言ってますね(笑)。
たらればさん:私は「枕草子」は、ヤマシタトモコさんのマンガ『違国日記』と同じようなテーマを扱っている…とも思っています。
水野:単行本全11巻「違国日記」、わたしも大好きなマンガで、6月7日から映画が公開されましたね。
たらればさん:先日、枕草子を読み返して、その勢いで違国日記も読み返したんですよね。
違国日記は15歳で両親を事故で亡くした女子中学生が、35歳で作家の叔母の元へ引き取られる……というストーリーですが、このマンガの主題を私は「ことば」だと思っています。
水野:たしかに、ことばが印象的な作品ですよね。
たらればさん:ええ。私たちは「寂しい」だとか「愛している」という言葉を、当たり前のように使うわけです。
でも、私が感じる「寂しい」という感情と、たとえば水野さんの考える「寂しい」という感情が、一緒なわけないんですよね。
これまで醸成してきた心の動きとか環境とか、性別とか年齢とかで、それぞれ「寂しい」のかたちは違うはずです。それでも、全然かたちが違っていても、私たちは「寂しいです」と言われたら「寂しいんですね」とコミュニケーションしてしまいます。
違国日記も、枕草子も、これは多くの名作が普遍的に抱えるテーマだとも思いますが、私たちは欠けているピースを、欠けたままやりとりしています。欠けたまま差し出して、欠けたまま受け取り、その「欠け具合」を抱きしめるしかない。
水野:あぁ~そういうことはありますよね…相手の「寂しい」がそのまま、まるっと理解できるわけはないし…。
たらればさん:枕草子は300段ぐらい章段がありますが、千年前の最高級貴族へ向けて書かれています。令和に生きる庶民の私たちにとって枕草子は、「欠けたピース」だらけの作品なわけです。
それでも「定子さまが私に与えてくれた世界はこんなに美しく輝いていて、生きるに値する世界なんだ」という清少納言の「思い」は受け取って、抱きしめることができます。そんなテーマの共通性を、違国日記と枕草子との間に感じました。
たらればさん:それとは別に、『桃尻語訳 枕草子』を書いた橋本治さんは、枕草子の時代は日本語という言葉が若かった時代だと指摘しているんですね。
第1段では特に「をかし」が連発されていて、これは日本語の散文がまだ若かったからだと。あえて「をかし」を連発しているんだと。
水野:今でいうと、素敵!すごい!やばい!を連発しちゃうように、いろんな「をかし」を「をかし」1語で表現していたということですね。
この「をかし」ということばで、いろんな美しさをつづることで、世界の美しさを定子さまに伝えたかったということですよね…。
たらればさん:史実を調べると、「清少納言」の周囲に少納言職を務めた人はいません。なのになぜ彼女は「清少納言」と呼ばれたのか、誰がそう名付けたのかは分かっていません。
今回の大河ドラマでは、清原家の元輔の娘「ききょう」を「清少納言」と名づけたのは定子さま、という説が採用されていますよね。
この「定子命名説」は私もそうだったらいいな…と思っていて、というのも、「清少納言というキャラクター」は定子さまがつくったものなわけです。定子さまが見せてくれた世界で、定子さまとともに生まれたものである、と。
だからこそ清少納言が書くものは、定子さまに返すべきものである、と考えていてもおかしくないでしょう。そういう思いがあるとすると、さらに泣けるじゃないですか。
「定子さまにすべてを捧げましょう」と考えた時に、何ができるか……それは「書くこと」であると。目の前の不幸な姫君のために「光りを記そう」、「心に明かりを灯そう」と思って書いた作品が、1000年残ってよかったなぁと、しみじみ感じます。