連載
#6 U30のキャリア
中学2年で見た、震災後の安置所 「納棺師になるかも」直感した女性
祖父が味方、「いいんでねえか」
東日本大震災で被災し、そのときに見た光景から葬儀にたずさわる仕事に――。
葬儀会社で働く27歳の女性に、仕事への思いを聞きました。
宮城県内の内陸部に住む女性は、中学2年生だった2011年3月11日に東日本大震災で被災しました。
発災時は通っていた中学校にいて、卒業式の準備中でした。
「当時は行事をまじめにやるような生徒ではなく、準備半ばで友人4人くらいでトイレに行き、鏡の前でおしゃべりをしていました」
そんなときに揺れが起きました。
「最初は『長いね』なんて言いながらやり過ごしていましたが、しばらくすると下から突き上げるような揺れになり、手洗い場やトイレのドアをつかみながらやっと立てているような状態でした」
揺れがおさまったあと、トイレの外に出ようとするも、揺れでゆがんでしまったためか、ドアが開かなかったといいます。
「少しのすき間から、先生や生徒が逃げているのが見えました」
気持ちが焦る中、必死に助けを呼びました。それに気付いた先生たちと協力して、なんとかドアを開け、避難することができました。
「当時は雪も降っていてすごく寒かった」と、女性。
校舎の外に、運動会などで張られるテントが設置され、一部の生徒たちはそこで親の迎えを待っていたそうです。
女性は7歳下の弟を迎えに行き、いとことも合流してから、山間の祖母の家に避難しました。祖母宅には発電機があったからです。
その後、女性の母親も祖母宅で交流。ガスや水道が止まる中、祖母宅で避難生活を続けていました。
発災から1週間ほど経った頃、女性は母親の仕事の都合で、県内でも海沿いの地域に行くことになります。
その頃、母親は海沿いの東松島市で介護職として働いていました。
津波などで甚大な被害が出ていた宮城県内。母親の勤務先の施設利用者の安否確認をするための人手が足りていませんでした。
安否確認に母親が向かう車に、女性も同乗しました。母親の勤務先は中学校の体育館の近く。駐車した車内で待っているようにと言われましたが、「ゲームも携帯もなく時間をもてあましたので周囲を歩いてみました」。
中学校の体育館にふと目をやると、そこは、地震や津波で被害に遭った方々の遺体を安置する場所でした。
「ブルーシートや毛布、何かしらの端切れのような布で全身包まれたご遺体の横で、家族が泣き叫んでいたり、ボーッと立ち尽くしている人もいました」
その傍らで、行政の職員らしき人が涙ながらに遺族に何かを説明していた様子が印象に残っているといいます。
安置所の雰囲気は、これまで女性が感じたことのないものだったといいます。
「人が泣き叫んでいる声も聞こえているのに、妙に静かで、冷たいような、張り詰めたような空気でした」
そして感じたのは「怖いとも、悲しいとも違う、不思議な感じ」だったといい、納棺師と思われる人が、遺体に最低限の処置をする様子も目にしました。
その光景を目にしたとき、女性は「私って納棺師になるかもしれない」と直感したといいます。
「私は声も大きいし、笑い方も豪快。だから、周りからは結婚式場など『ハレ』の場で働くことが向いているって言われるんです」
そう話す女性ですが、高校卒業後の就職先として希望したのは葬儀会社でした。
震災時に目にした安置所での出来事や、「華々しい場面よりも『けがれ』のときの家族の気持ちに寄り添う方が自分には向いている」という自己分析からの選択でした。
ただ、その当時は、残念ながら不採用。数年間は別の職業に就き、働いていました。
転機は2022年。
女性の祖父が亡くなったことがきっかけでした。
女性の祖父は、高校卒業後の就職先選びで葬儀会社を第一志望と周囲に話したとき、唯一「いいんでねえか」と背中を押してくれた人でした。
他の家族からは「嫁入り前の女が葬儀屋、ましてや火葬場の業務だなんて」と言われたこともありましたが、祖父が肯定してくれたことがとてもうれしかったといいます。
そんな祖父が亡くなったとき、引き出しにしまっていた「夢」が顔を出しました。
「もう一回チャレンジしてみよう」
そして昨年3月、地元の小さな葬儀会社への就職を果たしました。
女性の会社では、亡くなった方を遺体が安置されているところへお迎えにいくところから、葬儀までを請け負っています。
女性は「天職だと思っています」というほど、いまの仕事にやりがいを感じているといいます。ご遺族の心情を考えながら、生前の話をにこやかに聞くときもあれば、ただじっと寄り添うだけのときもあります。
「最近、私自身も幼なじみを亡くしていて、そのときは誰にも話しかけてほしくなかった。悲しむので精いっぱいで、『惜しい人を亡くした』といわれても、あなたに何がわかるのかという気持ちもありました」
震災時の体験は、いまの遺族への接し方に通じているところはあるのでしょうか。女性に尋ねると「大切な人を亡くしたことにはみんな変わりはないし、亡くなり方がどうであれ、悲しいものは悲しいです。どのようにすれば遺族に寄り添えるか、考え続けることができるのが自分のよさだと感じています」。
人が亡くなる時間は昼夜を問いません。そのため、女性の働き方も不定期になりがち。いまも家族や友人から心配されることもあるといいますが、一方で「徐々に認められている感じはある」といいます。
仕事に夢中になるがゆえに、「もっとこういう提案ができたのではないか」と思ったり、仕事の夢をみたり。「経験を積むしかないよ」と叱咤激励してくれる先輩のもとで、今後も葬儀会社での仕事を続けたいと思っています。
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