連載
#83 「きょうも回してる?」
北海道発のガチャ専門店 銀行員辞め家業継ぎ…店舗は130超に成長
売り上げは「2019年の13倍」
さまざまなカプセルトイが人気を集め、活況のガチャガチャ業界ですが、ガチャガチャ評論家のおまつさんは「専門店の存在抜きには語れません」といいます。一時は「5台設置するのもやっとだった」というガチャガチャ専門店「#C-pla」を運営するトーシンは、幾度となく倒産の危機を乗り越え、現在は全国130店舗を展開するまでに成長しました。何がターニングポイントだったのか、おまつさんが取材しました。
ガチャガチャ業界は、今年も活況を呈しています。2022年の市場規模は、過去最高の610億円を達成し、23年には800億円を突破しました。「なぜガチャガチャ業界がこんなにも盛り上がっているのか」を探るとき、ガチャガチャ専門店(以下、専門店)の存在抜きには語れません。専門店を運営する会社は、ベンダーと言います。ベンダーはメーカーから商品を仕入れ、ガチャガチャ自販機を設置します。
設置する場所は大きく2種類あります。ひとつ目が、設置店舗の空きスペースにガチャガチャ自販機を設置するロケーション型であり、スーパーマーケットやドラッグストア、量販店などに設置してあります。もう一つは、ベンダー各社が数百台のガチャガチャ自販機を設置して運営する店舗型です。
これがショッピングモールで見かける「専門店」になります。ガチャガチャ専門店と言えば、ガチャガチャ業界大手のバンダイグループが展開するガシャポンのデパートやガシャココのほか、ガチャガチャの森、ドリームカプセル、#C-pla(以下、シープラ)などがあります。
数あるのベンダーのうち、シープラを運営するトーシンは創業当時、北海道中心に展開するベンダーでしたが、2018年に初の専門店「#C-pla4丁目プラザ店」を出店して以来、5年間で130店舗(3月時点)まで急成長しています。そして今年、創業50周年を迎えます。
トーシン代表の宮本達也さん(41)は、2013年にトーシンに入社して、2019年に代表になりました。このトーシンを立ち上げたのが、宮本さんの父、建治さんです。
宮本さんがどのような思いで会社を継ぎ、今の急成長を実現したのかを知るには、3つのターニングポイントがあります。
一つ目のターニングポイントは、宮本さんが建治さんの家業を継いだ時でした。
宮本さんは、トーシンに入社する前は銀行員でした。銀行に8年間勤める中、銀行員としての働き方に疑問を抱き始めていました。そんななか、宮本さんはトーシンの今後を考えます。宮本さんのお父さんは60代半ばとなり、「トーシンは自分が継がないと会社を精算するか、他者に売却して終わってしまう。これまでに何度も倒産しかけたことがありましたが、父はなんとか会社を40年守ってきました。その会社が無くなることに納得ができませんでした」と話します。
その思いから、2013年に宮本さんは銀行を辞め、お父さんと一緒にトーシンを経営することになりました。ただ、宮本さんが銀行を辞めたとき、母に「あなたにこんな苦労させたくない。大人しく勤め人をやってればいいじゃない」と泣かれましたし、大学時代の同級生に家業を継ぐことを報告したときには、「ガチャガチャなんかオワコンだろ、大丈夫? 潰れんじゃねーの」(宮本さん)と、馬鹿にされたそうです。それくらい、当時のガチャガチャ業界は認知度がほとんどなく隙間産業でした。当然、ベンダーにとってもショッピングモールやスーパーマーケットでも良い設置場所をもらえるような業種でもありませんでした。
「スーパーマーケットの店長の元に通い詰め、頭を下げて、設置してください、取引してくださいって、何ヶ月も通ってやっと新規設置が5台決まりました。それで月の売上がせいぜい5万円です」(宮本さん)。
これは、トーシンに限らず、ほとんどのベンダーも同じような状態で、ガチャガチャビジネスだけでは決して儲かるビジネスモデルではありませんでした。
冴えないガチャガチャ業界でしたが、2010年代後半ころ、各ベンダーが専門店を始めていきました。もともとベンダーは地区ごとに、暗黙の了解として住み分けがありましたが、ベンダーが専門店を出店しはじめたころから、従来の住み分けが崩れ、宮本さんは危機感を抱きました。
なぜならトーシンは北海道中心にロケーション型で展開していたため、ビジネス領域を侵されると思っていたからです。そこで、2018年12月に札幌市のファッションビル、3丁目プラザに「シープラ 4丁目プラザ店」の出店を決めます。その翌月2019年1月には旭川に期間限定有人型カプセルトイ専門店実験店舗を展開し、マーケティングや店舗ノウハウを蓄積していきます。そして、2019年3月に初の有人型専門店「#Cーplaイオンモール札幌発寒店」が誕生しました。これが2つ目のターニングポイントになります。
当時は社内でも過去に例のない巨額投資に対して役員からも反対があり、「ガチャガチャは置くだけで売り上げが上がるのに、『わざわざ内装工事に何百万円もかけてビジネスとして上手くいくはずがない』と言われましたね」(宮本さん)。しかし、宮本さんは他ベンダーの専門店の成功事例や集客力の強さを目の当たりにしており、勝負に出ました。その結果、最初の半月で目標の倍の500万円の売上を上げ、2か月目では700万円を売上げるようになりました。
初店舗出店を機に、イオンモールなどに認められ、専門店の本州進出に取り組み、都内でも専門店の出店が決まっていくなか、コロナ禍に入りました。政府の緊急事態宣言により、宮本さんは休業要請に従い直営店舗全店の営業を停止する判断を下します。宮本さんは「続々と店舗の出店が決まっていく中での緊急事態宣言です。店が開けられない以上、直営店舗は本当に売り上げゼロです。家賃は、売れても売れなくても負担しなきゃいけない。契約が多かった中で、ほんと、コロナになって終わったなと思いました」と話します。
ただし、直営店舗の売上が無くても、北海道でスーパーマーケットやドラッグストアなどの軒先を借りたロケーション型ガチャガチャコーナーも多数展開していたため、なんとか会社を経営していくことができました。 当時、活必需品を扱う、食品スーパー、ドラッグストアなどは休業要請の対象外でした。 そうしてなんとか最初の緊急事態宣言の時期を乗り越えます。
その後緊急事態宣言が明けた後は予想もしないことが起こります。 ガチャガチャ業界では6月は閑散期であるにも関わらず、ほぼ、どの店も同月の過去最高売上を記録したのです。 この時、宮本さんは社会に娯楽の要素は必要不可欠であり、我慢を強いられた分のリベンジ消費が必ず来ることを確信します。
この時コロナ禍による政府の中小企業支援メニューである実質無担保、無利息の「ゼロゼロ融資」の支援を受けます。 融資を受けて現金を手元に残して置くこともできた宮本さんでしたが、ピンチをチャンスと捉え、業務拡大に出たそうです。
「緊急事態宣言が明けたら、ショッピングモールで当社以外のいろいろなお店が退店しました。普段は声すらかけてもらえない一流ショッピングモールのディベロッパーから店舗の出店のお誘いを受け、この先も休業要請が予想される中、業種問わずどのテナントも警戒して勝負を仕掛けない時期だろうし、ここで勝負を仕掛けるしかない。業務拡大のチャンスは今しかない」(宮本さん)。
ここが3つめのターニングポイントになります。宮本さんの判断が、厳しい状況でも勇気を出してやってくれる会社があるということが広まり、ディベロッパーに信頼を得ることに繋がりました。その結果、新しいショッピングモールでは必ず店舗出店の声がかかるようになっているそうです。
今では、専門店は全国で130店舗以上となり、24年の売上は115億円規模。初店舗を出店した2019年の売上が8億7千万円で売上が13倍に伸びるまで成長しました。
今後10年の目標を聞くと、宮本さんは「まだまだガチャガチャ業界は伸びていきます。10年後には300億円を目指したい」と期待を寄せています。
専門店が全国に広まることでガチャガチャ業界の認知度が高まり、市場規模拡大にも大きく貢献したことは間違いありません。
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