連載
#29 イーハトーブの空を見上げて
揺れる「みそ玉」が告げる春の訪れ 地域に根ざす食文化だったけれど
岩手県沿岸部に位置する野田村の作業小屋に自家製の「みそ玉」が揺れている。
90歳の北田白礼于(はれに)さんに頼んで作業小屋に入れてもらうと、全身が芳醇(ほうじゅん)なみその香りに包まれた。
「ね、良い香りでしょ?」と満面の笑みで90歳が言う。
「作り方はとっても簡単」
3月、数十キロもの大豆を一晩水に漬けて大釜で煮込む。
水をきってすり潰した後、つり鐘状に固め、わら縄でつり下げる。
5月まで風にあてると、乾燥してひびが入り、カビが生えて発酵が進むという。
「こうして風を通すとね、なんともコクのあるみそになるんだわ」
みそ玉はその後、塩とこうじを混ぜて1年ほど熟成させ、村の直販所で「玉みそ」として販売する。
地域ではかつて、どこの家でも囲炉裏にみそ玉をつるしていた。
やがて囲炉裏が消え、みそ玉を作る家が減り続けていたときに、東日本大震災が起きた。
北田さんの作業小屋も約1メートル浸水し、機械が壊れ、みそもダメになった。
多くの人がみそ玉作りをやめた。津波は地域の食文化さえも奪ってしまった。
70代まで出稼ぎで暮らしを支えた夫は2022年5月、97歳で他界した。
「夫も玉みそが好きだった。完成したら仏壇に供えたい」
発酵食品を食べると、肌が若いままに保たれるという。
北田さんの顔や手は、40代後半の私の肌よりすべすべである。
(2023年4月取材)
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