今年1月からスタートしたドラマ『春になったら』(カンテレ・フジテレビ系)で主演を務めるとんねるず・木梨憲武。お笑いタレント、役者、歌手、アーティストなど幅広い活動で知られているが、その独自のスタンスはいかにして生まれたのか。木梨、およびコンビが放つ魅力の原点について考える。(ライター・鈴木旭)
今年に入り、3時のヒロイン・福田麻貴、ネプチューン・原田泰三、ロバート・秋山竜次やはんにゃ・金田哲など、ドラマに出演するお笑いタレントが目立っている。
そんな中、とくに注目を浴びたのが、『春になったら』で約24年ぶりに連ドラの主演を務めるとんねるず・木梨憲武だ。娘の結婚を前にステージ4のすい臓がんが発覚し、病状悪化とともに持ち前のポジティブさが揺れ始めるシングルファーザーを好演している。
コンビで森田芳光監督の映画『そろばんずく』(東宝・1986年公開)やドラマ『火の用心』(日本テレビ系・1990年)といった作品に出演し、木梨個人でも『甘い結婚』(フジテレビ系・1998年)で初主演、近年でも映画『いぬやしき』(東宝・2018年)で主演を務めるなど俳優業でも存在感を示してきた。
そもそもとんねるずは、自分たちの芸を「部室芸」「素人芸」だと語っている通り、著名人や学校教師のものまねネタを得意とするコンビだった。人前で何かを演じるという意味では、芸人としても俳優としても経験を積んでいたことになる。
例えば『とんねるずのみなさんのおかげです。』(フジテレビ系・1988年~1997年終了)で木梨が演じた名物キャラクター・ノリ男は高校時代の教師をモデルに誕生している。在学中も、その教師の口癖を真似してよく周囲を笑わせていたという。
また、『仮面ノリダー』の主題歌で「♪赤いマフリャゥ〜(マフラー)」といったアクの強い歌い方をしているのも、サッカー部の合宿所や遠征先の宿でテレビアニメ『科学忍者隊ガッチャマン』(フジテレビ系)の主題歌を「♪だれだ、だれだ、だれっでやぅ~」と歌って笑わせたのが原点だ。「そっくり」ではなく、「特徴をとらえてムードを再現」するのが木梨の特徴だった。
1980年代のドラマではコミカルなシーンも見受けられたが、それは制作側から当時のとんねるずのイメージに沿った演技を求められたのではないか。年齢を重ねるにつれ、余計なものが削がれ、味わい深さが増していったように感じる。
とくに『春になったら』で木梨が演じる父親は、話術が巧みな自由人で忘れっぽい。役どころと木梨の性格がシンクロしているからこそ、生き生きとしたシーンとのギャップがより切なく感じられるのではないか。
木梨は役者だけでなく、あらゆる方面で精力的な活動を続けている。今振り返れば、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系・1991年~2001年終了)の企画をきっかけにスタートさせているものも多いことに気づかされる。
例えば、絵画などのアート活動。番組では、「太陽の塔」のデザインを手掛けたことでも知られる岡本太郎になりきり、“芸術家・木梨憲太郎”というキャラクターで絵を描いた。“描いた”と言っても、全身絵の具だらけになってキャンバスに飛び込むというもの。ここだけ見れば体当たりで笑わせた当時のバラエティーだ。
しかし、木梨はこれを機に1994年からアートの展覧会を継続。これまで開催した個展、巡回展で実に延べ100万人以上を動員し、人間の手をモチーフとした『REACH OUT』シリーズや色とりどりの花を描いた『感謝』といった人気作品を生んでいる。
とんねるず以外での歌手活動も『生ダラ』からだった。1996年、北島三郎プロデュースのもと演歌歌手・山本譲二とのユニット「憲三郎&ジョージ山本」を結成。シングル曲「浪漫-ROMAN-」がスマッシュヒットし、同年の『NHK紅白歌合戦』に出場を果たすなど注目を浴びた。
同番組では、石橋貴明と工藤静香とのユニット「Little Kiss」も誕生し、シングル曲「A.S.A.P.」をリリースしている。かねてコンビでは「雨の西麻布」「情けねえ」「ガラガラヘビがやってくる」などのヒット曲を持っていたが、それぞれがユニットを組んだのは同じ日本テレビ系列の『ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』(および後続番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』)で音楽ユニット「ポケットビスケッツ」にまつわる対決企画が当たったことも関係しているのかもしれない。
その後、とんねるずは野猿(1998年~2001年解散)、矢島美容室(2008年~2012年活動休止)といったユニットのメンバーとして活動。各々が本格的な歌手活動を再開したのは『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系・1997年~2018年終了)が幕を閉じた翌年2019年のことだった。
石橋は元野猿のメンバー2人とのユニット「B Pressure」、YouTubeチャンネル『貴ちゃんねるず』の演出を手掛けるマッコイ斎藤氏とのユニット「Ku-Wa de MOMPE」を結成しシングル曲をリリース。木梨は自主レーベル「木梨レコード」を立ち上げ、音楽フェス「木梨フェス 大音楽会」を開催するなど、積極的な活動で今も業界を盛り上げている。
多彩な活動で話題を呼ぶ背景には、大手芸能事務所に所属しなかったとんねるずならではの流儀がある。
2人は『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)で活躍し始めたことをきっかけに、当初は同番組の演出を担当していた制作会社「日企」に籍を置いた。1983年に西城秀樹の初代マネージャーが設立した「オフィスAtoZ」へと移籍後、1994年に「アライバル」を立ち上げ独立。その後、木梨が抜け、自身の事務所「キナシコッカ(旧・コッカ)」を設立し現在に至る。
では、なぜ大手に入る道を選ばなかったのか。木梨は著書『みなさんのおかげです 木梨憲武自伝』(小学館)の中でこう語っている。
「個人事務所の場合、事務所がやるべきことを俺たち自身でやることになる。『マネージャーを通してください』とか、『まずは事務所の担当者同士で話を詰めましょう』といったやりとりはすっ飛ばして、俺たちタレントが直接、自分の出る番組を即決し、制作側の人たちと話したり、出演交渉をしたりするわけだ。だから動きが速い。そういうスピード感も俺たちには合っているんだよね」
師匠や芸能事務所という後ろ盾を持つのが当然だった時代、とんねるずは出演番組や行きつけの店で知り合ったタレント、作家、ディレクターなど個人的な人脈を広げ、新たな企画やプロジェクトを展開していった。
1991年から10年間、年末にフジテレビ、日本テレビ、TBS、ニッポン放送の番組関係者やライブスタッフ、親しい作家などを集めて「とんねるずの大宴会」を開いていたというエピソードも実に彼ららしい。
出演者と制作陣が一丸となって番組を作っていたからこそ、番組の視聴者にも現場の活気や臨場感が伝わったのだろう。
「歌や笑いにもセオリーがあるものだけど、俺たちは独自のスタイルでこれまでやってきた。(中略)だから、いまさら無理やり、『似合わないこと』はしたくない。とんねるずらしくないことはしない。いまは、俺たちに似合うことを探しているときなんだ」
前述の著書『みなさんのおかげです~』の中で木梨はこう記している。高校時代に先輩を笑わせていた部室芸が『とんねるずのみなさんのおかげです。』のコントにつながり、歌番組が全盛の時代に頭角を現わしたことで歌手としても評価を得た。
1980年代~90年代、人気タレントがドラマや映画に出演したり、歌を歌ったりするのは珍しいものではなかったが、どの分野でも強烈な印象を残した者はごく少数に限られる。とんねるずの芸風は、勢いづく右肩上がりの時代にあまりにフィットしていた。
木梨が還暦を迎えた2022年3月9日、ある配信番組のスペシャル企画でジグソーパズルをプレゼントされたという。その裏面には親しい関係者の祝福コメントが寄せられており、相棒の石橋が書いたのは「魂」の一文字。帝京高校の全ての部活に受け継がれる伝統的な言葉「帝京魂」の略で、試合をひっくり返すような場面で使われるものだったらしい。
2018年にコンビのレギュラー番組が終了し、長らく続いた公式ファンクラブも閉会。各々の活動が目立ち、木梨が個人事務所を構えたことで“とんねるず解散説”も浮上した。しかし、当人たちの関係性は出会った頃から変わっていないのだろう。
石橋は今年2月に投稿されたYouTubeの『貴ちゃんねるず』の動画の中で「カッコ悪いじゃん、(筆者注:もっと仕事したいって)ガッツつくの。いい歳こいて」と語っている。ただ、リアルタイム世代の視聴者からすると、久しぶりに奔放なとんねるずのツーショットを見てみたい。それほどに2人は、何ものにも代え難い魅力があるのだ。