連載
#26 イーハトーブの空を見上げて
あれも、これも消えた…涙でにじんだファインダー 撮り続ける思いは
私設ギャラリーに足を一歩踏み入れると、壁を埋める大型のカラー写真や200冊を超えるアルバムが、訪れた人を出迎える。
大船渡市の「ギャラリーさかい」。
展示されているのは、酒井丈夫さん(取材当時82)が60年以上、故郷・大船渡の街並みや風景を撮影し続けてきたフィルム写真の数々だ。
写真を撮り始めたのは、高校2年生の時。
修学旅行で撮影係を任されたため、父親にヤシカのフィルムカメラを買ってもらって以来、とりこになった。
高校卒業後、セメント会社や大型スーパーで働いたが、その間も故郷の風物を夢中になって撮り続けた。
商店街の催しや町内会の祭り。山から見える工場群、大船渡駅前を行き交う人々のにぎわい――。
大船渡写真クラブの会長になった2004年からは、自営するスーパーの旧店舗を「ギャラリー」として開放し、仲間と一緒に撮影会や展示会を楽しんでいた。
2011年3月11日。
そんな日常を大津波が打ち砕いた。黒い波は高台にある「ギャラリー」のすぐ手前まで迫ってきた。
民生委員として、地域に亡くなった人がいないかどうか確認するよう求められ、地区内を回った。
だが、常に持ち歩いているカメラを手にすることは、どうしてもできなかった。
「親類を亡くして涙する遺族に、レンズなんて向けられませんでした……」
数日後、死者の確認を終えると、近くのカメラ店に残っていたフィルム200本を買い受け、変わり果てた故郷の姿を撮り続けた。
半世紀以上も撮影し、すべてが見慣れているはずの街は、完全に面影を失っていた。
「あれもない、これも消えた……」
シャッターを切る度にファインダーが涙でにじんだ。
あの日から10年以上。復興が進む大船渡の様子を、今もフィルムカメラで撮影して回っている。
がれきが取り払われ、更地になり、新しい建物ができる。
震災前の写真はどれもが貴重な「記録」になり、時折、新聞記者や市職員が「使わせてほしい」とやってくる。
「写真の良いところは、それを見ていると自然と当時のことを思い出せることです」と酒井さんは言う。
「震災前の写真を見ながら、震災前の大船渡の話がしたい。ここで暮らしていく人たちにとって、ある種の『癒やし』につながるのです」
(2022年12月取材)
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